第27話 空き缶の苦悩②
翌日。ギンガは仕事を終え、駅前へと向かった。待ち合わせ場所は、勤務先から30分は歩かなければならないような場所に位置している、古びた看板を掲げる喫茶店である。
ドアを開けると、入店を知らせるチャイムが一つ二つと鳴り響き、いらない歓迎してみせた。
「いらっしゃいませ。奥のお席におられますよ」
「ああ、はい」
何年も重ねてきた笑顔に沿って、皺が刻まれた店員が、愛想よく彼を出迎える。そして、迷うこと無く奥へと促した。彼は、どうして分かったのだろうと首をかしげながら、店員の横を通り過ぎていったのだった。
コーヒーの香ばしい香りを辿って店の奥へと進むと、ソファーに囲まれるように配置されているテーブルに、彼が待ち合わせた相手がゆったり身構えていた。
「まさか、君から連絡が来るとは思わなかったよ」
指の間に挟んだ煙草からは、男の顔を隠すように一筋の煙が漂う。しかし、ギンガはそんなものが見えていないかのように、男の目をじっと睨み付けた。
「ああ、ちゃんと自己紹介しますね。私は、警視庁の田沼......」
「
「ふふふ。そうこなくっちゃ」
ギンガの威圧的な視線をものともせず、田沼という男は、余裕たっぷりな表情で、彼をゆっくりとソファー席に座るよう促した。
「観察力が凄くて、その上賢いジジ君あたりが来ると思ったんだけどね。それか、あの女の子。何でも話してくれるから、俺に惚れてんのかなあとか思っちゃたよ。まさか、ソーチョーLOVEの君が裏切るなんてね。驚きだよ」
男は、運ばれてきたばかりのコーヒーにミルクを三滴ほど垂らすと、それを混ぜずに黒に溶け込むのをじっと見つめている。ミルクが溺れていく姿を眺めるその表情は、とても愉快そうだ。
「何言ってんですか。利佳を使って揺さぶったくせに」
ギンガはコーヒーなど目にも留めず、男の顔だけを穴が開くほどに凝視していた。
「まあまあ、そんなに焦らないで。君もコーヒー飲みなよ」
男は再びミルクを足して、色が変わりゆく姿をまるで万華鏡を覗き込むように眺めていた。
「利佳は今何してるんだよ! どこに居るんだよ!」
呑気にしている男に腹が立ったのか、彼は怒りで身体を震わせた。きっと怒鳴り散らしたい気持ちでいっぱいだろうが、なんとか押し殺していたようで、ほんの少しだけテーブルの足を蹴る程度であった。
「それにしても、随分と穏やかになっちゃったんだねー。前は暴れまわってたのに」
「余計な話は要らないんだよ。俺は利佳のことを聞きに来たんだ」
「ふっ。そんなに気になる?」
「ああ」
「まあ、君も予想はしていると思うけど、」
彼は焦らすように、コーヒーを一口含むと、緩やかに喉を潤した。
「死んでるだろうね」
煮えくりかえったような顔をしていたはずのギンガは、一瞬にしてその熱を失ってしまった。戦意喪失のような状態の彼は、この時初めてコーヒーを口に含んだ。湯気はとっくに消え去ってしまったそれが、さらに彼の身体を冷やしたようで、一度身震いした。
その光景を茶菓子の代わりにでもするように、男はまた一口コーヒーをすすった。
「で、でも、死体は見つかってないんだろ? じゃあ、分からないじゃないか」
「そーなのよー。死体が見つかれば一発なのに、どこいったんだかねー」
「お前、利佳を何だと思ってんだよ」
ギンガは勢いよく立ち上がっていた。しかし、男は上目遣いで彼の顔を眺めながら、カップを口元まで運ぶ。最初は香りを嗅いで一度それに浸ると、やっと一口すすり、目をつぶって舌の中で転がる味を楽しんでいた。その姿を見た彼は、何をするでもなく、ひたすらに眺めることしか出来なかった。
「俺の推察はね、あいつが利佳君を殺して、死体をどこかに隠した。あいつ、一体どこに隠したんだろうね」
「あいつっ......て?」
ギンガは、恐怖で悲鳴を上げそうなくらいに怯えながらも、そう尋ねていた。耳を覆いたくなる気持ちを抑え付けるように、拳を握り締めていた。
「分かってるくせにー」
「分からない」
搾り出すように出した言葉は、彼の体格からは想像も出来ないようなか細いもの。いつ泣き出しても可笑しくないような、そんな弱弱しいものであった。
「あいつとは、矢田慧。またの名を、ソーチョー」
きっと、その名が告げられることは分かっていたに違いない。それにも関わらず、彼は崩れ落ちるように腰を下ろし、コーヒーの向こうに地獄でも見たかのように、放心状態であった。
男はそれを満足げに眺め、目の前の人物が次はどう出るのかと、心待ちにしているようである。
「あいつが、関わっている訳が無い」
「ソーチョーと利佳君は、小学校からの幼馴染で、親友だったんだよ」
俯き加減のギンガの顔を覗きこんだ男は、また一段と笑みを浮かべた。
「もしかして、二人の関係性知らなかったのかなー?」
目を逸らそうとそっぽを向く彼の顔を追いかけるように、男はギンガの隣へと席を移動した。
「うんうん。いじめてごめんね。親友が殺人犯なんて思いたくないよね。じゃあさ、彼の無実を晴らすためにもさ、一つ協力して欲しいことがあるんだよね」
慰めるように彼の肩を軽く叩くと、男は一つ角砂糖をつまみ、ギンガのコーヒーへと落としてしまう。
「ガンガンちゃんから聞いたんだけど、あの屋敷には開かずの間があるんだって?どう考えてもそこ怪しいよね?」
男はスープンをコーヒーに浸すと、コーヒーをすくい上げた。そこには、溶けきれていない砂糖が堆積しており、重い足取りでコーヒーへと落ちていく。
「ちなみにジジ君にはね、明日にでも庭が怪しいって吹き込んでおこうかなって思ってる。でも君の方がソーチョー君の信頼が厚いから、可能性が高い方は君にお願いするよ」
男はすくったものをそのまま口に運んだ。そして、スプーンをくわえたまま笑いを浮かべるのだった。
「友達なのに、そんなことする訳無いだろ! やるなら、警察なんだから、勝手に調べろよ」
「いやー。そうしたいのはやまやまなんだけどね、利佳君は行方不明の届けが出されていないから、公には捜査出来ないのよ。上司に黙って捜査するの大変なんだから」
「そこまでして、利佳のことを......」
「ああ。君も知りたいだろ。利佳君のこと」
ギンガは唾を飲み込んだ。彼は利佳が行方不明として扱ってもらえなかったことを、その当時とても後悔した。あの時、自分が警察に抗議をしていたら、結果は変わったのかもしれないと。口の中にいつまでも残るコーヒーとともに、思い出した苦い思い出。
ギンガは男からコーヒーを取り上げると、口に含んだ。苦味を緩和したかったようであるが、それは甘すぎたらしく、眉を潜めるのであった。
「君も、複雑な立ち位置だからねー」
甘いものを求めれば、彼は救われるだけでは無いかもしれない。しかし、同時に苦しみが襲ってくるのかもしれない。そんな恐怖が待ち受けているのなら、彼はどうすることが正解なのだろうか。
「分かりました。やります」
甘いものを求めて、全てが失敗するなんて限らない。どちらも救われる可能性があるのならば、その道を選ぶべきである。利佳のため、そしてソーチョーのためにも、彼は捜査に協力することを決心した。
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