第26話 空き缶の苦悩①

「おーい」


 何度目になるのだろうか。ギンガが声を掛けているのだが、ソーチョーは一向に何の反応も示さない。


「おい」


 肩にちょこんと触れると、ようやく彼は身体を震わせて、ギンガのほうに見向きした。


「さっきから、呼んでたんだぞ」

「ああ、ごめん。考え事してた」

「周りの音が気こえないほどになるなんて、珍しいな」


 並んで布団の上に横たわる二人。視線が合わさると、意味も無く、くすくすと笑い始めた。 


「それで、何?」 

「俺凄いもの見つけたんだぜ」

 

 川の字とは言わないが、ソーチョーとギンガは綺麗に列をそろえて薄暗い天井を見上げた。


「ドアの直ぐ近くの角にさ、ちっちゃく土星が書いてあるの、俺見つけちゃったんだけど」

「ははは。そう言えばそんなの書いたかも。よく見つけたな」

 久しぶりに聞く彼の笑い声に、ギンガは胸を撫で下ろした。

「あれも、子どもの頃に書いたの?」

 

 ソーチョーは過去を話したがらない。しかし、唯一話したのが、この天井に輝く星と母との思い出だ。ソーチョーにとってそれはよっぽど大切な思い出なのだろう。そして、ギンガにとっても、その話を聞いた夜の光景がいつも胸の中で美しく色づいていた。


 ギンガが見つけたのは、彼が首にかけているものと同じ形の絵であった。何か細いもので削られたようなそれが、二つ並んでいたのである。


「いや、あれは違う。あれを描いたのは大人になってから」

「大人になってから?」

「ああ、友達が土星が好きだったから、その人と書いた」

「そうなんだ」

 

 ギンガは自分のしているネックレスを握りしめた。


「土星が好きなんて俺と一緒じゃん。じゃあ、俺たちはやっぱり出会う運命だったのかもな」

「......そうだね」

「その友達は、今、どうしてるの?」


 ギンガの瞳は包み込むような優しいもの。だけど、それは見せかけだけで、奥には何かを秘めているようなそんな気がした。それから視線を逸らした彼は、天井をじっと見つめたまま、長い間何も語らなかった。まるで宇宙の果てへと飛んでいってしまったのではないかと思うほどに。


「......今は、よく分からない」

「今は......」

 

 答えが返ってきたことの驚きと、言葉の不可解さへの驚き。この二つが交じり合ったギンガは、目をキョロキョロと忙しく動かしていた。


「ごめん。今は、まだ......」

「ははは。分かってるよ。お前が答えるような質問じゃ無いって言うのは、分かってて質問したんだよ。そんな謝るなよ」


 ギンガは彼の言葉を遮るように笑い声を上げた。しかし、乾いたようなその声は、直ぐに暗い闇へと消えてしまう。妙な気まずさを感じたのか、ギンガの

頬には汗がつたった。


「何で、謝るんだよ。いつも、謝らないくせに」

「何でだろうね」


 ギンガは少しのいらつきを見せた。それはソーチョーに対する怒りではなく、どちらかというと、自信の心を戒めているような感じを受ける。


「俺は、お前が大切なんだ」

「......」

「俺はあの頃は利佳がもちろん大切だったけど、今はお前が一番大切だから」

 

 ソーチョーは何も言葉を発さなかったが、その代わりにギンガの方へと顔を傾けた。いつになく、その表情は不安のようなものを浮かべていつように思える。しかしながら、当のギンガは体ごと方向を変えて、そっぽを向いてしまったのである。


「信じてる」


 そう言うとギンガは、手をひらひらさせて布団に潜りこんだ。目を丸くしながら彼の背中を見つめるソーチョーの顔など知る由も無くである。しばらくして、諦めたのだろうか、ギンガの隣から、布団がすれるような音が聞こえ、やがて寝息が始まった。



「信じてるから、確かめに行くよ。ソーチョーと利佳の関係を。お前が、利佳の失踪に関わっていないということを」

 

 彼はネックレスを握りしめたまま目を閉じる。意味深な言葉を並べたソーチョー。彼の胸の中で胸騒ぎを起こして止まなかった。


 狭い一室には美しい思い出が詰まっている。それはソーチョーだけでなく、ギンガにとってもである。だけど、天井を飾っているものは、所詮シミであることを、心に置いておかなければならない。

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