第22話 ギンガと利佳

「ふふふ~ん♪」


 鼻歌交じりで飛び跳ねるように真昼間の道路の中央を歩く中年男。そこに居る皆が、自然と彼が通る道を空けてしまうほど、不自然な光景である。

 しかし、当の男はそれを全く気にする様子も無く、蓄えた髭を激しく揺らしていた。


「誰が、接触してくるかなー」


 胸ポケットからスマホを取り出すと、男は慣れた手つきで画面をスクロールしていく。画面にずらりと並んだ写真。その全てが男のことをじっと見つめていた。そこから一つ選出されたのは、証明写真のように写っているジジの顔であった。それを横にスライドさせれば、ガンガンのそれが出てきた。

 そして、最後に出てきたのがギンガの顔である。


 彼はこの何の変哲も無いギンガの顔を時間かけてゆっくり見終えると、満足したように画面を真っ暗にした。


「ガンガンちゃんかな? あの子は馬鹿だから、後先考えないからなー」

「それともジジ君? 彼は一番冷静な分、彼の異常性に気づくのも早そうだなー」


 男は突然立ち止まる。息を漏らさぬよう堪えながらも、顔中を嘲笑で埋め尽くしていた。


「俺としては、ギンガ君が来て欲しいんだよなー。一番仲の良いギンガ君が、裏切っていく姿を見てみたいもの」


***



「なあ、どうして俺を拾ってくれたんだよ」

 

 ある晩のこと、ギンガはずっと抱いていた疑問をソーチョーにぶつけてみた。いくら価値のあるゴミを拾っているとはいえ、道に転がっている人々はわんさかといるのだし、その中からギンガを迷い無く拾ったというのは、不自然である。だから、彼はずっとこの理由を考えていたのであろう。

 しかし、ソーチョーは微動だにせずに、何も無い白い壁を眺めていた。そんな様子を見ても、ギンガが気を止むことは無かった。ソーチョーという男は、自分からものを話したがらないし、もしも答えたく無い質問が飛んできたら、決して答えない。だけど、それが気分を害しているという訳でなく、これが男の普通だということが分かってからは、そのことについて考えないようになったのだ。

 それに、どちらかというとソーチョーの性格はとても単純で扱いやすいとまで思っているようだ。普通、人というものは、不利な質問をされたら答えを濁すものだし、嘘をついたりもする。そうすると二人の間には不信感が生まれいつの間にかに溝が出来てしまう。しかしながら、彼は本当のことを話すか、話さないかただそれだけだ。だから、彼といると、無駄なことを何も考えなくて良いのだ。


「分かった。もうそのことは聞かないから、俺が拾われた理由を話していいか?」

「拾われた理由?」

「そう。俺がなぜ、ゴミ拾いを趣味とする変人にのこのこと着いていったのか」

 ギンガがニヤッと湿った笑いを浮かべると、ソーチョーは一度首をかしげるが、直ぐに頷いた。


「ホストクラブの同僚で利佳っていう親友が居たんだけど、突然居なくなっちまったんだ」

 

 ギンガの前から突然姿を消してしまった彼は、ギンガにとって最も大切な人であった。自身とは外見も性格お正反対である彼と共に過ごしているうちに、ギンガは少しずつ彼の穏やかさに近づいていくような、そんな錯覚を覚えていたようだ。

 しかし、彼は突然に姿を消してしまった。休むどころか、遅刻さえしなかった彼が無断を欠勤をしたのだ。もちろん彼が住んでいた職場の寮を訪ねても彼の姿は無かった。


「でも、利佳に限って、無言で姿を消すなんてありえない。きっと事件か何かに巻き込まれたんだろうと俺は今でも思っている」


 ギンガは直ぐに店の責任者に警察に知らせるよう求めるが、「そんな、無断欠勤するような奴の面倒なんか見きれないよ」「どっかで、楽しく暮らしてるだろうから、心配すんな」と言われたのであった。ギンガは諦めきれずに、一人で警察に乗り込むものの、「確証が無いと調べられない」と言われ、追いかえされてしまったと言う。

 不安と怒りが段々と彼の身体を支配していることに、気づくはずも無く、何度目か分からない警察に抗議をしてから、時間ギリギリで出勤をした。


 全く急ごうともせず、皆から冷たい視線を浴びながら更衣室に入る。そこにもまた、華やかなスーツに身を包んだ同僚たちが数人。談笑をしているところであった。彼らには目もくれず、ロッカーに一直線に向かうと、一人の同僚が肩に手をかけてきた。「お前の愛しの利佳君だけどさー」とニヤニヤとしながら耳元でささやくが、気味が悪いとでも思ったのかギンガは手を振り払った。

 それを気にする様子も無く、「借金してたみたいだぜ、きっと借金取りから逃げてるんだろ」と言い放つと、ギンガはゆっくりと後ろを振り返った。


 「えっ? お前もしかして知らなかったの?」大口を開けて笑い出す男につられるように、周りに居た数人も声を上げ始めた。耳にまとわりつくような嫌味な声に耐え忍ぶように、ギンガは拳を握り締める。

「お前だけが、親友って思ってただけで、向こうは何とも思ってなかったみたいだな。残念でしたー」

 目の前の男がそう言った時、下のほうで握っていたはずの拳は、顔の真横へと移動していた。


 気づいたときには、彼の目の前には同僚達がうつ伏せで倒れていた。久方振りに暴れだしたそれは収まることを知らず、そこらじゅうの物を滅茶苦茶に壊した。


「あんな奴の言葉、信じるべきじゃなかったんだ。なのに、自分がこんだけ信じてた相手に裏切られたような気がして、当り散らした。本当に馬鹿だよな。そんなことで、怒って。冷静になってみると、そう思うよ」


 ソーチョーは、頷くこともなく、ただどこか分からないところを見つめていた。


「そうやって、冷静に考えられているのも、ソーチョーのおかげなんだ。今なら利佳のことも信じられるんだ」


 視線が合うはずも無いと分かっているのだろうが、ギンガは彼の表情を見つめ続けた。その眼差しは、親がわが子を見守るような優しいものであった。


「利佳と約束してたんだ。力を使う時は大切なものを守る時だって。だけど、俺は何もしてやれなかった。利佳という大切な存在に何もしてやれなかったんだ」


 ギンガはふと、いつも身に着けているネックレスを握り締めた。


「そんな風に後悔してる時に、目つきが利佳に似ているお前が現れた。だから、今度こそは守るよ。ソーチョーという大切な存在を」


 ソーチョーは恥ずかしかったのであろうか、顔を伏せながら、出口の方へとそそくさと向かってしまう。しかし、ドアノブに手を掛けた状態で立ち止まった。


「俺は、そんなんじゃないから」

 それだけ言って、部屋を後にしてしまった。

「ハハハ。何あいつ恥ずかしがってんだよ」

 彼がじっと見つめていた壁に笑いかけていた。


「すっごいいい話してたねー」

「何お前、盗み聞きしてたのかよ」

「聞こえちゃったんだから仕方ない」


 入れ替わるように入ってきたのはガンガンである。彼女はピースサインをして、白い歯を丸出しにした。


「そんな親友が居たとは知らなかったなー。利佳君って男の子なんだよね? ホストクラブだから」

「ああ、当たり前だろ」


 台所でお湯を沸かす彼女を背中に感じつつ、ギンガの顔には雲がかかっていた。利佳という一見女のような名前。それを聞けば、彼女のように大抵だれもが「女?」と聞き返してしまう。


 ソーチョーは必要最低限のことしか話さないし、そもそもホストクラブで働いていたことを知っているのだから、気にする必要なんてない。

 「利佳」の名前を言った時に、女かと聞き返さなかった些細なことなど、気に留めることなんて無い。


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