第19話 生ゴミとナイフ④

 ギンガとジジは、17時で勤務を終え、18時近くに帰宅をした。


「「ただいま」」


 居間から電気が漏れていなかったため、誰も居ないと思いきや、薄暗い中でソーチョーが一人ソファーに座っているではないか。ギンガは一瞬身を引いたが、何事もなかったかのように電気のスイッチを入れる。

 テーブルの上には、分厚い本が何冊か置かれており、彼は熱心にそれを読んでいた。


「何それ?」


 ギンガがそのうちの一つを手にとってみると、”介護”という文字が目に飛び込んでくる。


「うん? ソーチョー介護士になるの?」

「俺じゃないよ」

「俺じゃない? じゃあ、誰?」

「ジジ」


 二人は、相変わらずドアの前で立ち尽くしているジジに同時の視線を向けた。


「えっ? 俺」


 自分を指差して、首だけを少し前に出すと、他の誰かであってほしいと願うように、左右に誰か居ないかを確認した。しかし、ソーチョーがコクリと頷いたため、ジジは肩を下に降ろした。


「いやいや。何で俺が介護職?」

「さっきコンビニでおばあちゃんの相手してたから、向いてるかなと思って」

「理由単純過ぎない......?」


 ジジは困ったように口をへの字に曲げるが、「待てよ」と小さく呟いて、考えるような仕草を見せた。


「介護職って、確かに人手足りないし、職としては安定してそう」

 困った表情はどこへやら。ジジは天井の隅の方を見上げて、納得したように二度頷いた。


「そうなんだよ。ここを出て行きないなら、安定した職が必要でしょ?」

「そうだな......。ソーチョーに迷惑かけないためにも、真面目に考えてみる」

「まあ、気にしてないんだけど」


 ソーチョーが”俺”を、やけに強調して言ったことが気になったようで、ギンガは眉をほんの少しひそめる。


「とりあえず、これ読んでみる」


 散らばっていた本をジジとソーチョーが二人で重ねていると、ジジは何かを思い出したようで、持っていた本を再びテーブルに降ろした。


「あっ。そういえば、ソーチョーが店から帰って、一時間後くらいかな? なんかソーチョーの知り合いが訪ねてきてさ......」

「ああ! ジジ、ちょっとお前に渡したいもんあるから、今すぐに俺の部屋に行こう」


 ギンガは不可解な奇声を発すると、ジジの言葉を遮り、引きずる勢いで彼の腕を引っ張った。


「えっ? いや、そんなの後で......」

「いや、今すぐ渡さないとダメだから!」


 ジジはブツブツと文句を言いながら、されるがままに彼の後へと続いた。そのまま二階へ上がるが、部屋には入らずにドアの前で立ち止まると、ギンガは、ジジを壁へと押し付けるような体勢をとった。


「何これ? 壁ドン?」

「いいか、あいつが来たことは、ソーチョーには黙ってろ」

「えっ? 何で? 知り合いなのに?」

「上手く説明出来ないけど、あいつとソーチョーは関わっちゃいけない気がするんだ」

「何で?」


 ジジは口をすぼめて、子どもが拗ねるような表情を見せた。状況を把握し切れていないことに、納得出来ないのであろう。


「まあ、お前は気にすんな!」

 ギンガはそう言うと、ジジの部屋のドアを開けて、無理やりに押し込む。


「ちょっと、酷くない?!」

「お前には、関係ないから。あっ。介護職はお似合いだと思うぜ、お前、ばあちゃんといちゃつくの得意じゃん?」


 にっこりと笑みを浮かべたのが一瞬垣間見えたが、何か言葉を言う暇も与えられずに、ドアは閉じられてしまった。


「......別に、いちゃついてる訳ではないけど」


 終始ギンガに主導権を握られていたのが、悔しかったんであろうか。もう声が届くわけでもないのに、最後の足掻きとでもいったように、呟いていた。


 

 彼は真っ暗な部屋に灯りをともすと、窓のすぐ脇にあるベッドに寝そべる。


 しかし、些細な心のわだかまりは、既に消え去っていた。彼の気持ちは、介護の方へと向いていたのだ。寝そべりながら、スマホの検索画面で調べたところ、学校で専門的に学んでいない場合は、三年間実地で働かなければ、本当の介護士としては働けないらしい。三年は長い。しかし、三年かけてでも資格のある仕事につけるのは、決して悪い話ではない。

 ましてや、今は住居の心配が要らないのだから、彼にとって絶好のチャンスなのである。


「思っていた以上に、ここに居る時間が増えるかもだけど、それは大目に見るか」


 突飛な提案のように思われたが、彼の心には、パンにバターが染みていくように、すんなりと溶け込んでいったようだ。

 しかしそれは最初の一口だけ、次第に冷静になり、温度を冷ますと、先ほどのことが嘘のように、不安な気持ちに駆られてしまう。


「俺なんかが、人のために働いてもいいのか」

 

 何がそんなにも彼を邪魔するのだろうか。結局彼は、スマホをベッドに投げ出して、だらりと腕をベッドからはみ出させてしまった。

 頭をよぎるのは、罪の意識なのか。彼はそれから逃れることが出来ないのだろうか。


 彼は真っ暗な不安の渦の中に、落ちそうになっていた。



 そんな時、ドアを激しく叩く音が、彼を現実へと引き戻す。「何だよー」と文句を言いながら起き上がると、ドアを開けた。


「ごめん! ジジ。ちょっと中で話してもいいかな?」


 立っていたのは、ガンガンであった。そしてその後ろにはギンガの姿もある。


「俺の部屋で? まあ、いいけど......」


 ジジは首をかしげながらも、二人を中へと入れ、扉を閉めた。





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