第16話 生ゴミとナイフ①

ジジは夢を見た。


笑顔を振りまく女の姿を。

いつも帰りを待つその姿を。

隠れて泣いていたその姿を。


そして、血まみれで倒れている彼女の姿を。


***


「ふぁー」

 ジジはレジのカウンターに立ちながら大きな欠伸をする。幸いなことに、客は入り口の脇にある雑誌コーナーで、立ち読みをしているのが一人だけ。店員を気にする様子は微塵も無い。


「何? 寝不足? あの後ずっと起きてたの?」

 あのというのは昨晩、ガンガンの部屋の前ですれ違った時のことだ。そう尋ねたギンガも、同じように大口を開けた。もはや手で隠そうともせず、豪快なものである。


「ベッドには割りと早く入ったんだけど、なんか寝付けなくて」

「そういう時もあるよなー」

「というか、そっちこそ寝不足なんだ」

「ああ、昨日ソーチョーと長々と話してたから」


 ジジは、口でOオーの字を作ると、分かりやすく感心して見せた。


「じゃあ、ソーチョーは、ガンガンのこと受け入れてくれそうなの?」

「いやー。まだ初期段階といいますか」

「初期って、どこだよ」

「ソーチョーがガンガンを受け入れる可能性を見出したというか」

「何それ、もっと詳しく」

「要は、重要なところは、分からないということです!」


 ジジはさきほど抱いた感情を返してくれとでも言いたげに、ギンガに死んだ魚のような目を向けた。


「でも、俺とソーチョーとは距離が縮まって、有意義な時間だったんだぞ」

「あっそ。何の話したの」

「星の話」

「ロマンチストか」

 

 予想を上回るくだらなさだったのか、カウンターに両腕をついて、ジジは首を落としてしまった。


「そんなに言うってことは、ガンガンとはさぞ上手く話せたんでしょうね」


 まるで聞こえていないかのように、ジジは下を向き続けた。昨夜のジジの言動を聞けば、上手くいかなっかたことなど丸分かりなのだから、さぞ、今のギンガは勝ち誇った表情をしているであろう。


「おーい。無視しないでよ、ジージ」

「ガンガンはかなりのクズってことが分かった。ソーチョーがああいう態度なのも、分からなくは無い」

「なるほど。それで? 歳上として、何か助言でもしたの」


 ジジは顔を上げると、低めのトーンで話し始めた。ここからは真面目に行こうという見えない取り決めが二人の間に流れたのか、ギンガの顔からもいささか緊張感のようなものが漂う。


「まあ、少しね」

「さすが」

「だけど、あんまり響いてなかったというか。逆にこっちが空回った」

「ふーん。告白でもされちゃった?」

「......」


 否定されることを前提に話したようであるが、予想していた返答は返ってこない。緊張は一瞬にして切れ、ギンガはこれでもかと目を見開いた。


「図星かい」

「告白っぽいのは、されたかな」


 腕を組んで眉間に皺を寄せてしまったジジは、手を挙げてはいないが、お手上げな様子である。


「いっそ、試しに付き合ってみれば」

「......」

「ものは、試しって言うだろ?」

「......」


 次は何を言ってやろうかとでも言うように、無言のジジの顔をのぞきこむギンガ。しかし、二人の目が合った瞬間。店内は凍りつくような空気で張り詰めた。


「人と付き合うのに、試しってなんだよ。そんな簡単に付き合えるわけ無いだろ」

 

 決して、大きくは無いその声。きっと、雑誌に集中するその客には届いていないだろう。しかし、歯で言葉を噛み締めながら、限りなく低い声で言い放たれたそれは、恐ろしさ以外の何者でもなかった。


「そ、そんなこと分かってるよ。そんな真面目に答えなくても......」

「すみません、これください」

「はい、かしこまりました」


 店内にいたただ一人の客は、雑誌と鶏そぼろ弁当を持って、二人の会話を遮った。タイミングが良いことに。


「こちら温めますか?」

「お願いします」


 会計を済ませたギンガは、電子レンジの小さなモニタに表示される、あと何秒という数字だけに意識を集中させようとしていた。それは、お客様満足向上のために、0を指した瞬間に弁当を取り出そうとしているのだろうか。それとも、隣に居る従業員と、目を合わせまいとしているのだろうか。

 その間にも頬をつたう、冷や汗。あのまま会話が続いていたら、どういう展開を迎えていたことか。


 タイマーの音が鳴り響くと、弁当を袋に入れ、その客に手渡した、


「「ありがとうございました」」


 二人してその客の背中を追いかける。店員として、お客様のお帰りを最後まで見送るホスピタリティ精神は良い心がけなのだが、この二人に関しては、お客様のためにこの行動をとっているというわけでは無いであろう。


 二人っきりにしないでくれという、ギンガの嘆く声が聞こえてきそうな時、運よく、その客とすれ違うように、新しい客が入店した。


「ああ。いらっしゃいませ」


 ギンガはその人の姿を見て、顔をほころばせた。その人は、近所に住むおばあさんで、毎日のように店にやってくる常連客である。健康に良いからという理由で、ブルーベリージャム入りのヨーグルトを購入することが多い。ちなみに、そのおばあさん曰く、ブルーベリーが目に良いということは強調すべきところらしい。


「おばちゃん、荷物持っておくよ」

「いつも悪いねー」


 いつの間にカウンターの中から出たのであろうか。ジジはその人の荷物持ちをかってでていた。なんの抵抗もなく、渡している様子を見ると、これが日課のようになっているのであろう。

 ギンガは首を傾けた。ジジは働き始めて、一ヶ月程しか経っていない。それなのに、どうして、こんなにも親しいのだろうかと疑問に思っているに違いない。


「ふーん。なんか楽しそう」


 ギンガがいる位置から、会話は聞こえないが、何やら楽しげに会話をしている。そのなんとも平和な光景で、店の空気そのものが和やかなものとなっていた。


 そんな時、来客を告げる軽快なベルが鳴り響いた。


「いらっしゃいま......」

「どうも」


 そこに居たのは、ソーチョーであった。


「あれ? こんな時間に珍しいねって、その手どうした!?」


 時刻は3時半を回ったところ、仕事が終わるにしては早すぎる。そして、ソーチョーの右手にぐるぐる巻きに包帯が巻かれていることが、気にならない訳が無い。今朝の段階で怪我をしていた様子は無いのだから、真昼間にコンビニにいるよろしくない理由もなんとなくは想像できる。


「ちょっと、仕事中にね......。仕事早退したの初めてだよ」


 ソーチョーは包帯と逆の手で頭を掻きながら、何が恥ずかしいのか頬を赤らめた。


「そういえば、ジジは?」

「ジジは、あそこ」


 今はジジよりも自分のことを心配しろと言いたげであるが、ギンガは素直に、ソーチョーの後ろの方を指差した。

 相変わらずおばあさんと話し込んでいるジジの姿がそこにはある。


「もう、30分はああしてるんだぜ。全く仕事して欲しいぜ」

「ふーん。得意なんだな」


 するとソーチョーは30秒ほどその様子をじっと見つめていた。その間もギンガは右手の謎の物体について解明しようと質問を投げかけていたが。キャッチボールは一回も成功しなかった。


「じゃあ、帰るわ、またね」

「ええ? もう帰るの? ご来店ありがとうございました?」


 一体、何が目的であったのだろうか、彼が残したのは右手の謎だけであった。


 時刻は4時15分。あと1時間もしないうちに、二人の勤務は終わりを告げる。店員二人の間に一度は微妙な空気が流れたが、それも過去のこと。一日何事も無かったことを幸運に思い、時が早く過ぎることだけを楽しみにしている時間である。


 来店の合図が鳴り響き。まだ勤務が終わっていないということを心に刻み、急いで二人は、時計から目を話した。


「「いらっしゃいませ」」


 その言葉を言い終わる前に、今入って来たばかりの客は、レジに一直線へやって来る。


 立派な髭を蓄えたその男は、カウンターに寄りかかるように手を置くと、二人の店員をまじまじと見る。口のなかで言葉を準備するように、ゆっくりと口角を上げると、やっと話し始める。


くん、くん、八番いただけますか?」


 ゴミ屋敷の住民以外が呼ぶことの無い、その名称を聞いて、二人は目を丸くした。

  

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