第15話 紙は破れし③

この屋敷には、主に五つの部屋がある。まず一階にあるのが、台所が付随した居間。もちろん最も広い間取りとなっている。そして、その隣にあるのがガンガンの部屋で、身体の細い彼女にぴったりな、最も窮屈な部屋である。続いて二階に上がると、まず階段のすぐ脇にあるのがジジの部屋。そしてその隣には、ソーチョーとギンガが二人で使っている少し広めの部屋がある。さらに、奥まった所にも一つ部屋があり、そこは物置として使われているらしい。

 

 ソーチョーとギンガは、部屋数の関係で同じ部屋を使用している。普通ならば、家主であるソーチョーは優先的に一人部屋になりそうなものだが、そうでは無いのは、ギンガとの関係性を物語っているのではないだろうか。


 ガンガンの部屋の前に座り込んでいたジジと別れたギンガは、階段を昇り、自室の前で足を止めた。耳を澄ましてみたところ、布が擦れるような微かな音がし、ソーチョーが中にいることが確認できる。


 トントンと二度叩くと、「はい?」というとぼけたような声が返ってきた。


 ギンガが部屋に入ると、ソーチョーは目をぱちくりとさせて「なんだギンガか」と少し残念そうにも見える表情を浮かべた。


「え? 違う人の方が良かった」

「違うよ。いつもノックなんかしないだろ」


 ギンガはソーチョーの不思議な反応をからかうつもりだったらしいが、不思議な行動をとっていたのは自分の方であると我に帰る。確かに、自分の部屋に入る時にわざわざノックなんてする必要がない。居間で一人、考え込んでいただけあって、彼の心もそれなりにぐしゃぐしゃなようだ。


「なんか、ノックしたい気分だったんだよ」


 擦れるような音の正体は布団であったらしく、ソーチョーはそれを敷く最中であった。ごまかすかのように、ギンガはソーチョーから布団を取り上げて、布団を敷き始めた。

 

 この部屋はソーチョーが子どもの頃から使っていた部屋らしいのだが、机とタンスくらいしか無い殺風景な部屋だ。

 畳の上に布団が二つ並び、その上に男たちは体操座りをしている。せめて、大の字で寝転んでくれていたら、いくらか部屋の寂しさが薄れた気もするのだが。


「早いけど、寝る?」

「そ、そうだな」


 ソーチョーがそう促すと、まだ21時だというのに、二人はそろって布団に入った。布団に入るのはいいのだが、二人とも眠気を感じている訳ではないらしく、ペットボトルのキャップほどの豆電球の光をじっと眺めていた。


 ギンガの心の中では、「今だ、いけ!」と背中を押されるタイミングがあったのであろうか。とうとう彼は、あのことについて話すことを試みる。


「あ、の、さ......。ガンガンのこと受け入れてやってくれねえかな。意外と良いところもあるんだぞ」

 静まり返った部屋で、ギンガが一つ唾を呑み込む音が聞こえた。ギンガが恐る恐るソーチョーの方へと顔を傾けてみると、彼は人差し指で天井を指していた。


「天井にさ、黒くてちっちゃいシミがいっぱいあるだろ?」

「ああ、確かに......」

 天井を覆う白い壁紙。と言っても今は暗くて、黒かグレーにしか見えないのだが、確かにそこには、彼が言ったようにシミがついていた。その存在にギンガが気づいていたのかはよく分からないが、とりあえず、今の彼はそれどころでは無いらしい。


「なあ、ソーチョー、ガンガンのことなんだけどさ」

「ちっちゃい頃、母さんと一緒にこの部屋で寝てたんだ。俺は、あのシミがなんだか、ウヨウヨ動き出しそうで怖くてさ、全然眠れなかった。だけどさ、ある日、母さんが、天井に星がいっぱいだねって言ってから、俺にはあれが星に見えるようになった」

「分かったよ。もう聞かない」


 基本的に話は黙って聞くソーチョーが、話を妨げるということは、それ以上聞いてはならないということを意味するのだろう。ギンガはそう悟ったようで、何かをリセットするように目を瞑った。


「星見えた?」

「ああ、見えた」


 ゆっくりと目を開けると、彼は感嘆のような声を漏らしていた。宙に浮かび、星々に囲まれる感覚。これまで、味わったことの無い感覚に襲われたようだ。

 しかし、彼が見ているものは、所詮、ただの壁紙とシミ。こんなのは、子どもだましに過ぎない。


「本当だ。こんな満点の星見たの初めてだよ」

 

 この辺りは外灯が比較的少ないのだが、空気がよどんでいるせいか、上を見上げてもほとんど星を見ることが出来ない。ここに住む前もそんな機会は無かったらしく、彼はこの23年間の間、星という星を見る環境には育ってこなかったということになる。

 本物の星を見てこなかったから、彼はその光景に声を漏らしたのだろうか。


「あのでっかいシミあるだろ、あそこら辺の星をつなげて、ウサギ座とか作ってた」

「えっ? どれだよ、全然分かんねえよ」

「ほら、真ん中の一番大きいの」

「分かんないって。じゃあ、あの端っこのやつは、亀っぽくない?」

 

 二人は天井を指さしながら、思い思いの正座を描いては、お互いに伝えた。そんな子どもみたいな遊びをしていると、いつの間にかに、時刻は日をまたいでいた。


「流石に寝るか」

 ギンガがそう言うと、ソーチョーは再び口を開けた。なぜだかこの日は、ソーチョーがよくしゃべる。


「この星空があるから、ギンガっていうあだ名は結構気に入ってるんだ。そのあだ名をつけてくれたのは凄く嬉しかった」

「そっか、良かった」

「何か言いたいことあったんだろ? 言って良いよ」

「いや、それだけ聞けたら満足だよ」


 おやすみなんて言わずに、二人は同時に毛布を頭のてっぺんが隠れるまで被った。


 生まれてから今まで、この家で過ごしてきたソーチョーも、きっと満点の星空なんて見たことは無いのであろう。だけど彼は充分だったのだ。天井の星空に母との思い出が転がっていて、今日また、新たな思い出が輝きだしたのだから。

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