第14話 紙は破れし②
「もう、何なのよ」
彼女はあからさまに音がするよう、自室のドアを閉めると、ベッドに飛び込んで枕に顔を押し付けた。人肌が離れたベッドは冷え切っており、彼女の身体を硬直させるばかり。安らぎを与えるはずのベッドでさえ、彼女の不安定な気持ちに拍車をかけるのには、充分すぎる材料であった。
全身から搾り取られるように集まった悲しみは、枕をじわりと濡らす。目を押し付けているからか、悲しみはは思うようには流れてくれず、彼女の周りで停滞し続ける。
時折鼻をすする音だけが聞こえていたが、しばらく経つと、それさえもしない、無音の世界が広がった。ベッドで横たわる身体は、微動だに動かず、顔も見えないため、まるで屍のようである。寝息がいつ聞こえてきても可笑しくない時、ドアをノックする音が沈黙を破る。
「今更来ても、許さないんだからね」
身体を大きく震わせた彼女は、眠気を邪魔されたことも相まってか、不機嫌極まりない声を上げた。
「俺。ジジだよ。入っていい?」
その声を聞いた瞬間、彼女はベッドから跳ね起きると、半開きだった目をこれでもかと開く。立ち上がって部屋を三周した彼女は、最終的にベッドの直ぐ脇にあるタンスの上から手鏡を取り、髪型を手ぐしで整える。腫れてしまった目も鏡と数センチのところまで近づけてみるが、どうにもならないと悟ったのか、何もせずに手鏡を元の場所へと戻してしまった。
「は、入って、いいよ」
今度は、声を一段高くして、右手は口元に沿えて、外まで聞こえないのではないかというくらいの声量で彼を呼んだ。幸いなことに声は届いたらしく、ジジは直ぐに部屋へと入って来た。
ジジは俯きながらベッドに座る彼女を確認すると、その隣に腰かけた。
彼は彼女とは視線を合わさずに部屋の中を一通り見渡す。その部屋は、ベッドと小さなテーブルとタンス以外にはほとんど何も置かれておらず、女性にしては味気の無い部屋である。さらに、元々付随されていたグレーのカーテンが、その部屋の雰囲気を暗くしてしまっているのは間違いない。明るさだけが取り柄と言える彼女とは、正反対の部屋である。
「何も無いんだね」
「うん。今まで、一つの家に長く住んだことなかったから、こだわりとか無くて」
「そっか」
彼は、二、三度頷いた。
「でも、ここには長く住みたいから、これから明るくしていこうかなって思ってる」
彼女は立ち上がると、部屋の真ん中まで歩いて手を広げて見せた。その様子を見た彼はまた二、三度頷くが、どこか晴れない表情をしている。
「どうして、高校に行きたいの?」
「うーん。ソーチョーに認めてもらいたいから?」
ジジは鼻で笑うと、自分の膝にひじをつけて頬杖をついた。
「えっ? ソーチョーのため? 何かやりたいことがあるんでしょ?」
「いや、何も無い」
首を振るガンガンを見て、彼は大きくため息を吐く。
「ソーチョーが呆れる気持ちも分かるような気がする」
呆れさせているのを申し訳なく思っているのだろうか、彼女は何も言わずに、無理やりな笑顔を作っていた。
「自分のために生きろよ。そんなに、ソーチョーにこだわる必要無い」
「それって、ソーチョーにこだわらずに、ここを出て行けってこと?」
「そんなことは言ってないよ。ソーチョーが追い出さないんだから、好きにすればいいと思う」
彼の声量は少しずつではあるが大きくなる。目を閉じていて分からないが、怒りを抑え付けているようなそんな印象を受ける。
「だけど、苦しんでまでここに居る必要は無いとは思う。俺も、早く出て行きたいし」
「そうなんだ......」
「とは言っても、当分無理だけどね。まだまだソーチョーのお世話になるよ」
彼は、ため息と共に後ろに倒れこんだ。緊張でもしていたのだろうか。手を大きく広げて身体の力を一気に抜く。
「その時は私も連れてってよ」
彼女は寂しいような笑顔を顔に浮かべ、彼を横目で見た。その目には少しばかりの期待が込められているようだが、きっと、彼女は理解している。彼が自分を連れて行くことは無いことを。
案の定、彼は苦しむように両手で顔を覆い何も言葉を発しなかった。
「冗談だよ」
いつもよりも一段と高い声を無理矢理出した彼女は、ベッドを軋ませながら這うと、彼の上に馬乗り状態にる。
彼はゆっくりと手を顔からどけると、抵抗の音を上げようしたのか、口を開く。しかし、顔に落ちてきた数滴の涙がその気持ちを抑え付けたようで、口は閉じられてしまう。
彼女は彼の腰骨あたりに手を添えると、そのまま手を下に滑らせた。
「見つけた」
彼女はズボンのポケットの膨らみを確認すると、その中に手を入れ、二つの物を取り出す。一つは煙草。二つ目はライター。彼女は一本のタバコを口にくわえると、ライターに火を灯す。
「おい、冗談にも度が過ぎてる」
彼は右手を出して、それらを戻すよう促す。
「タバコ吸ったら、ジジに近づけるかなって思って」
その手を断固無視して、彼女は相変わらず、火を灯し続けた。
「知ってるか? ここは室内では吸っちゃいけないんだよ」
「そんなの知らない」
「じゃあ、知ってるか? 日本は20歳からしか煙草が吸えないって」
「皆そんなの守ってないよ」
「ガキが、くだらないことすんじゃねえよ」
彼女の手を覆うようにしてライターの火を消すと、そのままそれらを取り上げる。元の場所へと仕舞うと、彼は立ち上がって逃げるようにドアの方へと向かった。しかし、ドアの目の前で立ち止まると、引き返して再び彼女の隣へと座る。
「今日は、行かないんだ」
「今日は、行かない」
「何で?」
「子どもには説教が必要だから」
「うん。説教して」
彼女は、白い歯を見せて笑ってみせた。いくら頭が悪くても説教の言葉の意味くらいは分かっていると思うのだが、こんな表情をするのは本当に不可解だ。
「人に合わせるな。自分のやりたいことをしろ」
「ジジに好かれたい。それが私のしたいことだもん」
「別に恋愛が目的でもいいとは思う」
「じゃあ、これからも好きにする」
「恋愛はいいけど、俺はそういうのこりごりなんだ。だから、諦めて」
「それを言いたかったんだ」
「そう。じゃあ、おやすみ」
基本事項を伝えるかのように淡々とやり取りを終えると、ジジは彼女に背を向けて、手をひらひらさせた。男はこれでけりをつけたとでも思っているのだろうが、背中を見つめる女は膨れっ面。どうやらこの問題一筋縄ではいかないらしい。いや、むしろ、これで終われると思っているのなら、なんてお気楽主義なのだろう。
「私のやりたいことだもん! 絶対諦めない」
そう言うと彼女は、ジジがまだ外に出ぬうちに毛布を宙に浮かせ、そのままベッドにもぐりこんでしまった。
その声を聞きたくないとでも言うようにドアを閉めると、それに寄りかかるようにして彼はしゃがみこんだ。心の中はきっとミキサーでかき回したかのようにグシャグシャなのだろうが、表情だけは平静を装う。乱れたものを整える暇も無く、彼の顔を金髪頭の男が覗き込んだ。
「どうだった!?」
「分かんない」
「何だよ、それ。まあいい。明日詳しく聞くから」
「ソーチョーは?」
「今から行くとこ」
「せいぜい頑張ってくれ」
右手と右手のハイタッチを交わすと、ジジに見送られて、ギンガは階段を昇っていく。
「詳しく聞かれなくて良かった」
骨が抜けてしまったかのように、ぐったりとなったジジは、心の整理が出来るまで、そこに居座り続けていた。
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