第11話 レアメタルのような男の話③

 職を失ってから三日も経たぬうちに、ジジは新たな働き場所を探し出した。


「今日からよろしくお願いします」

「知り合いだろうとビシバシいくからな!」

 

 働き場所は、屋敷から徒歩10分ほどで行くことができるコンビニエンスストア。実は、ギンガもそこで働いている。


「なんか櫻井さんって、変な感じ」

 ギンガの本名は、櫻井尚さくらいなお。ジジが新人ということで、自己紹介をした際に、彼の本名を知ることとなった。屋敷で共に生活するだけならば、あまりお互いの本名を使う必要は無いのだが、同じ場所で働くとなれば別である。

 自己紹介は、垂れ目でいかにも穏便そうな店長や、その時に居合わせた高校生なども含めて行われた。仕事を教えるのも店長の役割だったため、ギンガとジジの二人きりで話す機会はしばらくの間無かった。ジジはその間、心の中がくすぐったくて仕方なかったらしい。


 店長は休憩に行くとかで、指導担当がギンガに入れ替わった。裏に入り揚げ方を教わろうと、やっと二人きりになった時、吐き出すように、ジジは本名のことを指摘したのであった。


 ジジは、何が可笑しいのか、声が漏れぬよう口をへの字にしながら、顔を真っ赤にしていた。


「そんなに笑うかー?」

 そう言いながらも、フライヤーの準備をしているジジもまた、笑いを押し殺しているようである。


 どっぷりと注がれた油は、風の立たぬ海のようにゆらりゆらりと、音一つ立てぬに行儀良く収まっていたが、温度が上がるにつれ、微かな鳴き声を発し始める。


「でも、二人の時はギンガでいいから」

「そうなの? 来たばかりで分からないんだけど、そんなにあだ名って大事?」

 

 から揚げを十五個ほど投入すると、油は楽しげな音を立てて、勢いよくうねり始める。そして、勢い余った数滴が二人の方までも飛び散りまわる。


「「熱っ」」

 

 ギンガはそこらへんに置いてある布巾を持つと、エプロンやらについた薄黒いシミをふき取る。そして、最後に名札の櫻井という文字を覆うように飛んだ油を拭き取り始めた。


「他の奴らは分からないけど、俺には大切だよ。だって、この名前にはさ、今までしてきた悪いことがこびりついているような気がするんだよ」

 名札を拭くのを止めて、再び揚げ物に集中する。今まで汚れが蓄積してしまっているのか、名札は未だに黄ばんでいて、名前ははっきり見えなかった。


「あの家の奴らはさ、個人的なこととか過去のこととか全然気にしないから、俺はそれが凄く楽に感じるんだよ」

「ふーん」

「ちょっと、ドライすぎると思うこともあるけど」

 ギンガが苦笑いをするのにつられて、ジジも笑い出した。


「だから、ジジもさ、あそこに居る時くらいは過去のことなんて忘れちゃえよ。よーし揚げ終わった!」

 ギンガはから揚げを取り出して、十分に油をきると、串へと刺し始めた。それを見よう見まねでジジも同じく作業する。その後二人は、作業を黙々と続けた。ジジが何も語らなかったのは、その過去のことについて考えを巡らせていたからかもしれない。


 その後、二人は同じ時間にあがることになるが、ギンガは発注があるとかで、店にしばらく残るようだ。

 ジジは一人更衣室に向かい、一つだけある小さな椅子に腰掛けると、店長に貰った温かいコーヒーに口をつけた。


「確かにあいつら、過去に何があったか深くは聞かなかったな」

 そう言って、彼は胸のあたりについている自分の名札を少し上へと向ける。


「過去から逃げたって、俺は俺なんだから、どうしようもないじゃないか」

 まだ新品で汚れ一つついていないそれを、軽く手で拭った。当然何かが変わることは無いのだが。

 鞄を棚から引きずるように引っ張りだすと、その中からタバコとライターを取り出した。火を点けると、それをくわえて大きく息を吐き出す。彼のちょうど真正面の壁には、下手糞な赤文字で、と書かれた紙が貼り付けられているにも関わらず。


「お疲れ様です」

 その時勢いよくドアが開いた。仕事終わりとは思えぬ元気の良さで入ってきたのは、ギンガである。


「あれ? もしかして待っててくれた感じ?」

 ギンガはその返答を待たずに、ジジを三度見くらい見返した。

「ここ禁煙」

 紙をバンバンと叩きながら彼は言った。


「ああ、気づかなかったよ。今度から気をつける。ごめん」

「いいんだよ。言ってなかった俺も悪かった」


 そう言って、ギンガは上半身に着ている物をいっぺんに脱いでしまって、あっという間に裸の状態になる。

 その様子を眺めながら、ジジは呑気に二、三度煙を吐いてから、ギンガの背中に投げかけた。


「ソーチョーのこと信頼してるんだな」

「えっ? ああ。そうだけど」

「刑務所に居た時、凶暴な犯罪者と沢山会って来た」

「うん? ああ、それは大変そうだな」

「ソーチョーはあいつらと同じ目をしている気がするんだ」

「はっ?」


 それまで曖昧な返事を返していたギンガは、顔だけを素早く後ろに向けた。ジジを見るその目つきはトラが威嚇をするようなそんなものである。


「あはは。そんなに怒んなくても。冗談だよ冗談」

「お前が言うと本気っぽく聞こえちまうんだよ」


 ギンガはうっすらと笑顔のような安堵のようなものを浮かべると、顔を元の位置に戻す。


「新人だから、許してくださいね」


 ジジは、誰にも聞こえないようなか細い声でつぶやくと、鞄の内ポケットから、やっと携帯灰皿を取り出した。タバコをこすりつけると、ギンガの隣に並び、やっと帰り支度を始める。勿論、ギンガと共にゴミ屋敷へと帰るために。



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