第31話 獣たちは牙を剥く
構える暇すらなかった。
気付いた時には圓は自分の前にいて、その手が腹部を貫いていた。
空は零れ出す臓物を引きずりながら、後退する。
一瞬で戦闘不能になった。食べられなかったのかが幸いか。
圓の次の狙いは飾だった。
霞んだ目で戦いの行く末を見守るしかない。
空は重く息を吐く。
圓は表情を変えない。対する飾は相手の手が全く読めない。
両手の刀は空を切るばかりだ。
手数で相手を寄せ付けないようにしているが、限界がある。
刀を避け、滑り込むように近づく圓。
目が動いてない。
飾をしっかりと捉えて徐々に体を詰めてくる。
手が伸びる。
咄嗟に後ろへ飛び去るが、床を蹴った足の戻りが遅い。
掴まれ、引っ張られ、背中を打つ。
「ちっ」
刀を振るうが、その前に体が宙を浮く。
投げられた。
体が壁にぶつかる。
全身の痛みは行動の麻痺。
備えるより早く圓は前に立つ。振り被る拳。
飾は腕を十字に交差させる。圓の拳はそこへ捻じ込まれた。
「かはっ」
両腕で防いだはずなのに片腕は折れ、もう一本にもひびが入ったのがわかる。さらに突き抜けた衝撃が肺を押し潰し、体内の空気が全て押し出される。
魚のように口を開くが、肺は膨らまない。
息が出来ない。視界が真黒に染まっていく。
「飾!」
裂が飛び出す。鋼の腕がきらめいた。
「うおらぁ!」
全力で落とされる鋼鉄の塊。圓の頭を強打する。
「まだまだ!」
裂は重棍の一撃を次々に圓へ叩きこんでいく。
圓の口に血が滲む。
効いている。裂はそう確信し、一撃を溜める。
「これで、終わりだ!」
大振りの一撃。
「バ、バカ!」
飾はやっと吸い込んだ一息をまた全て吐き出して叫ぶ。
突き出した裂の拳。その上から被せるように伸びる圓の拳。
交差する彼女達の腕。
衝撃を受けたのは裂だった。
コンクリートの塊を頭にぶつけられた気分だった。
頭がふらふらする。踏み止まれたのは気力だけだ。しかし、それが災いした。
足下の定まらない裂に狙いを定め、圓は屈みこむ。
足のバネ。腰のバネ。腕のバネ。それらを全てパワーに変えて拳から突き放つ。
迷いもなく、一直線にそれは裂のみぞおちに入り、裂の体が浮き上がる。
床に転がった彼女は痙攣を繰り返し、口から血泡を吐き出す。
「裂様!」
咏が駆け寄る。助け起こそうとする咏を圓が見下す。
「裏切、リ、モノ。食べる、価値、モ、ない」
無造作に上げられた足は咏を軽く蹴り飛ばす。
うずくまる咏。体が、体が、痛んで動かない。
「ふむ。強くしすぎたか」
玄得はつまらなそうに言う。
「イヴが三人も揃ってこの様とは。やはり私の計画に間違いはなかったな」
「先生、食ベテ、も、イイデスカ?」
「ふむ、そうだな……」
玄得は早目の幕引きに幾分不満そうだった。顎を擦りながら頭を捻る。
「裂様……」
体を引きずりながら咏は裂の元へ。
「裂様、起きてますか?」
震える裂の手を咏は両手で包みこむ。
「おん?」
裂の眼はまだ空中を彷徨っている。口の呂律も回らない。
「咏を、咏を食べて下さい。咏は裂様の腕を食べました。裂様が咏を食べればその分強くなれます」
「だえだ、おん」
裂も咏の手を握り返す。口から咳と共に血だまりを吐き頭を振るう。
「大丈夫、咏。大丈夫だ。オレはまだ戦える」
大きく深呼吸。体を落ち着かせたい。生き残るため、まだ戦わなくてはいけない。
「ふむ」
悩んでいた玄得は一つの答えを得たようだ。
楽しそうに笑いながら、
「一番元気そうなのは使用人みたいなお前か。良い提案がある。聞いてくれないか?」
「聞くだけ聞きましょう」
飾はとりあえず話を聞いてみることにする。
今の状態ではまともに戦えない。
話を聞いて、時間が稼げるなら、聞くだけ聞いて体を少しでも休めたいし、打開策が生まれるかもしれない。
「せっかくだ。少し語らせて貰おう。君達はどう思っているかは知らないが、この計画は大変素晴らしい計画だ。何と言っても人類を進化させるのだ。既存ではなく、全く新しい人種を作る。言い方を変えれば成功者は神になれるのだ」
玄得が喋り出すと、圓はその場で待機する。
満身創痍な飾達を前にしているにも関わらず、微動だにしない。
「この計画を蹴る愚か者はどこにいる? 私は全く信じられないことだが、実際にいたのだから、恐ろしい」
玄得が言っているのは飾達のことだ。
指摘しようとしたが飾は沈黙を保った。下手な刺激は避けた方が良い。
彼はもしかしたら、この中に愚か者がいると疑念を抱いているだろうが、確信を与えるべきではない。
少なくとも彼は飾に提案をし、話をしている。今はそれを最後まで聞こう。
「計画が中止と聞かされた時、私は絶望したよ。何せ、全てを捨てて私はこの計画に身を捧げるつもりだったんだ。それが闇に葬られてしまったら、何をしていいのかすらわからない」
玄得の体が震える。
屈辱、いや怒りだろう。自分がようやく見つけた生涯の研究が他人のせいで頓挫したのだ。簡単に忘れるわけがない。
「だが、そこは天才と凡人の差だ。私はすぐに閃いた。食べる相手がいないのなら作ればいいのだと」
玄得はニヤリと笑う。
口の端々を釣り上げ、己の発想に心酔しているようだった。
「案が決まれば後は早い。作るだけだ。一、二、三、四。まずは下地を四年かけて揃えた」
飾は咏をチラリとみる。
よんというのは四ということか。そんな気はしていたが、やはりそうだったのだ。
「下地が揃えばあとは餌で良い。一年も待つ必要もない。形が出来れば充分だ。半年ほどで次々に圓に食べさせた。末人の体が丈夫で幸いだった。普通の人間なら耐えられないだろう」
玄得は心の底から這いあがる笑いを堪えているようだった。
彼の背に黒い影のようなものが見える。それは彼の心の色だろう。
言葉を発する度に濃く濃くなっていくような気がする。
「確認ですが、『作る』と言うのはどうやって?」
静かに飾は尋ねる。
これも答えは予想は出来ている。あの鍋の中身を見れば全てを察してはいた。確認をしたかっただけだ。
「ふん。決まっている。末人は末人を食べて進化する。人を作る方法は古来より不変の方法がある。男女であれば誰でも出来る。性交(セックス)しかないだろう」
玄得は続ける。
「私は圓と子どもを作り続けた。これらは全て圓の栄養になる。ああ、そうさ。初めは圓も嫌がった。自分の腹から出た物を食すなど。しかも、そこには私の血も混じっている。完全な末人ではない。こいつらは人が食えない。わかるか? 見た目は同じでも末人と人は味が全く違うらしい。泥と蜜ほどの差があるそうだ。その混合というからには泥の混じった蜜という所か。くくく、私ならそんな物を食べれんな」
「ふふふ。そうですね。泥を食べるなんて正気とは思えませんね」
飾も自嘲気味に笑う。
泥の味は言われなくても知っている。食べたいとは二度と思わない。
「食べさせた。私は圓に食べさせ続けたんだ! 圓は嫌がった。嫌がるから食べやすいように工夫もした。そして、次々に作り、食べさせた。圓だけじゃない。十年経って、子どもが産めるようになったら一、二、三にも作らせて食べさせた。比べるためだ。オリジナルである圓とどれ位力の差が出るのか。だから、三人の食べる量は違う。そこからわかったこともある。私と圓で作った子ども達、オリジナルと比べるとどの位に力の差があるかわかるか?」
「半分くらいですか?」
飾は適当に答えておく。
自分が少しでも興味があるように見せ、話を長引かせたい。
「ははは。そんなには高くない。十分の一くらいだ。それほどの力しかない」
玄得の声は上がっていく。話に熱が入っているのがわかる。
「だが、十体食べれば倍にはなる。圓、一、二、三。この四人に子どもを作らせ続けた。圓だけで三十人は産んで食べた。他も含めれば五十人は超えるだろう。進行は遅いがイブ計画は確実に進んでいたんだ」
飾は玄得から圓に目を移す。
圓の様子。
体は微動だにしないが目だけは忙しなく動いている。時折、何かを堪えるように呻き声も上げる。
正常ではない。
一目見た時からわかっていた。
狂っていると。
話を聞けば当然であろう。自分の子どもを食べていたのだ。狂わないはずがない。
彼女は鬼母。本当の獣になっているのだ。
(人のことを笑えませんね)
飾に圓を哀れだと思う資格はない。その道を外れた行為に怒る資格もない。
飾も同じだ。育ての親を喰らった。それは自分の子どもを食べるのと何が違うというのか。
彼女が鬼母ならば飾は鬼子というわけか。
(でも、同情しますよ。自分の子どもを食べるなんて)
飾は頭に浮かんだ少年の姿を振り払う。
彼とはもう別れた。二度と会うこともないだろう。
飾も圓も同じ母だ。生きるために取った手段は違うと言えど、子を産んだ経験を持つ者同士だ。
「わかるだろ? 既に圓の力は三倍だ。お前達よりも断然に強い。いや、進化を得ている。私は間違ってはいなかったのだ」
「三……」
もしそれが本当なら力の差は歴然だ。
確かにそれならあの強さは納得もいく。と同時に飾の力では絶対に敵わないことも思い知らされる。
「そ、こ、で、提案だよ。君達」
玄得の笑みはどんどん濃くなっていく。
「幸か不幸かここに三人のイヴがいる。君達の誰かが他の二人を食べればうちの圓と同等の力になるとは思ないかい?」
「そ、そんな……」
確かにそれは理屈の通る話だ。
三人の末人がいる。
末人は末人を食べれば、その分強くなる。
二人食べれば二人分の力を手にできるのだ。
そして、その役目を負うのは腹を貫かれて重傷の空でもなく、両腕を失った裂でもなくまだ五体満足で立てる飾しかいないのだ。
「さぁ、早く食べたまえ。大丈夫。私は待っているよ。君の食事が終わる時まで楽しみは取っておきたいんだね。さぁ食べるんだ!」
玄得の言葉に偽りはない。待つと言うのは本当だろう。
圧倒的な力の差を知った以上、不意を打つ意味もない。
飾が空と裂を食べ、その力を付けることを玄得は心待ちにしている。
「私は見てみたいんだ。本物の末人を食べた末人の力を。圓に君達を食べさせたら、その強さを測れない。強化した圓と本来の方法で強くなった君達。果たしてどちらが強いかな?」
玄得は笑う。急かすように囃し立てる。
本来の役目。そう、それに間違いはない。
飾が空と裂を食べることは自然なことなのだ。
あの日、翠と陽士が自分を連れ出さなければ、自分はこのイヴを何の躊躇いもなく食べただろう。あの時の役目。それが今になっただけだ。
空も裂も今は戦力にならない。ならばこのまま飾の血肉になった方が、ましかもしれない。そうでもしないと目の前の圓を倒すことは不可能だ。
「聞く価値もなかったな」
ふらふらとした足取りでも裂が立ち上がる。
咏の肩を支えにする彼女にはまだ休みが必要なはずだ。
「裂……」
飾は立ち上がった少女の姿を見る。
彼女は自分の信念をこんな時になっても必死に守ろうとしている。
咏に腕を喰われ、その分を取り戻してもいいはずなのにそれをしない。代わりにあんな鉄の腕を付けて喜んでいる。
飾は身を返し、空の元に歩み寄る。彼女は全ての体力を身体の回復に努めている。
「聞こえていたよ」
空は影を作る飾に言う。
「食べるんでしょ、私を」
屈みこむ飾。その目を見ながら、
「抵抗はしないよ。いや、出来ないかな。ふふふ。あなたの血肉に成れるなら、まだましかな」
空はここまでの間に飾の強さを見てきた。もし自分がその一部に成れるなら、悔いはない。
「それだけ喋れるなら、まだ動けそうですね」
飾は空の腕を掴み、引っ張り上げて立たせる。
「逃げなさい。あなたはもう使い物になりません」
「食べ、ないの?」
「……食べられたいのですか?」
「ううん」
空は開いた腹の口をぎゅっと締め、汚れた空気を吐き出す。
「ふふふ。あなたがそう言うなら、そうさせてもらうから。後ろから喰いつかないでね」
「……早く行きなさい」
飾は空に背を向ける。空はその背を信頼し、命を預け駆けだした。
「第二ラウンド行きましょう」
飾は玄得を睨みつける。
「ふむ」
玄得は怒っているようだった。口を曲げ、目に力がこもっている。
自分のやりたいことが出来ない。これは予定外のことだ。
「圓、一人も逃がすな。さっきの末人もだ。全員食べるぞ」
「わかりまし、タ」
圓の休憩も終わりだ。ぎろりとした眼が飾を中心に置く。
「おい、飾。何か考えがあるか?」
「ないですよ。そんなもの」
「オレにはある。時間くれ!」
「ちっ。嫌な役を」
飾はナイフを抜く。
圓の気迫。本気だ。相手は素手なのに刃物を全く恐れていない。
裂のためにも時間を稼がないといけない。
飾の得物が切るのは宙だけだ。しかも飾の左腕はさきほど殴られたせいで、ぼっきりと折れている。肘より上へは上がらない。
(捕まれるのはまずい)
足を使って相手を翻弄。近づこうとすればナイフを振る。
(早く、裂)
裂は飾を見ながら、焦りを抑える。
「咏、大丈夫か?」
「うん。出来るよ。咏なら出来るよ!」
咏が持ってきたバック。その中には裂の義手が一式入っている。その内の一つを咏は付けかえさせていた。
玄得はその様子を興味深そうにじっと見ている。
何も言う気はないようだった。
圧倒的な力を前にどんな手を打つか。彼は見ようとしていた。
あんな獣を倒すには強力な一撃が必要だ。たった一撃の必殺が欲しい。
「飾!」
裂が叫ぶ。
飾が圓に捕まった。
床に組み伏せた圓は大きな口を開ける。唾液が飾の顔に飛ぶ。
飾は圓を振り払おうとするが、動かない。力の強さが違い過ぎる。
「決まったな」
玄得が呟いた直後、
「あああああああぁぁぁぁぁ」
飾は断末魔の悲鳴を上げる。
「あぐ、くっ。ぐぅ」
圓の歯がぐっしりと飾の左肩に食い込む。
「こんの! 放せ!」
体を捻る。足を上げる。しかし、圓の歯は離れない。全く動じてない。
「すぅーーーーー」
飾は大きく息を吸い込む。
痛みを堪えろ。力を溜めろ。そして、解き放て。
胸を少し上げて
「かはぁ」
初めて裂と戦った時にその威力は証明済みだ。圓の額から血が噴き出す。
「柔らかい頭ですね」
立ち上がる飾の額も切れている。
赤い川が鼻の真横を通り、抉れた肩に垂れいく。
「もうちょっと」
裂の準備はまだ終わらない。
「香り、イイ、匂い」
頬を伝う自らの血を圓は舐めとる。
「そうですね。お腹、空きましたね」
血を流し過ぎた。腕の痛みも薄らぐくらいだ。
意識が定まらない。杭を打ってないと魂が抜けそうだった。
「帰らないと」
飾の頭の中で夕食を待つ少年の姿が過っていく。早く帰って彼の夕食の準備をしないと。
「喜潤様……」
「飾!」
彼は辿り着いた。
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