第25話 鍋の中身
翠博士の喜潤への溺愛ぶりは目に余るものがあった。
産まれたばかりの喜潤から片時も離れることがなかった。
陽士もさすがに困り、妻を諌める姿が目立った。しかし、夫に言われて翠が行いを改めることはなく、むしろ喜潤への愛は日に増すばかりだった。
飾は別にそれを不満に思ったことはない。
喜潤は翠の子だ。
まして絶対に出来ることのない子どものはずだった。
盲目になるのも仕方ない。しかし、そのせいで翠と陽士が対立するのには胸を痛めた。
翠は喜潤を囲い誰も寄せ付けなかった。特に飾が喜潤へ近づくとひどく怒る。
「この子は私の子よ!」
翠は飾を見る度にそう叫んだ。
喜潤をぐっと抱きしめ、絶対に飾に触らせようとしなかった。
飾を威嚇し、近づくのさえも嫌がった。
「飾、いつもすまないな」
陽士は翠が飾を怒る度にそう謝った。
「あいつは子どもが出来たことが相当うれしいんだ。ずっと子どもが産めないと言われていたからな」
「私は大丈夫です。お気になさらないでください」
飾は慰めても父である人物は複雑に笑う。彼の表情は今ではなく、昔を楽しんでいた。
喜潤が生まれ、家族は新たな喜びに潤うはずだった。なのに、今を喜べない。
「また、また昔みたいに戻れたらな」
陽士はそう言って、飾の手を握るのだ。
いつだって思い出は黒ずんでいる。
楽しいことや嬉しいことはあった。でも、それらは小さな宝石でしかない。
宝石を眺めようとすればどうしても周りの後悔や失敗、悔恨に向き合わざる得ない。
この家は飾の理性を蓋を緩めていた。
(一層、彼女のようになれば……)
飾は先頭を歩く空を見て、そう思わざる得ない。
空は自由だ。
今、彼女を縛る鎖めいたものは見えない。食べたいなら食べ、殺したいなら殺す。
飾がギリギリに踏みとどまっているモノを軽々と超えていく。
既に二階の探索は終わった。
仕留めた末人は二匹。空に言わせると味はイマイチらしい。
おそらく、オリジナルではなく、咏の姉妹の方だろう。
(気配はないですね……)
彼らの出生の秘密は知らないが、そう何体も気軽に生み出せるものではないだろう。
事実、彼女達は何故か味も悪いし、力も劣る。飾達と同じように作られたわけではないろうだ。
(問題はどうやって作られたかですね……)
末人であることは間違いないはずだ。ならば、その作成方法は? 飾も空も実験される側なので自分達がどうやって作られたのか知ることはなかった。
監督者だった翠や陽士も飾を貰っただけで、一から作ったわけではない。当然、作成方法も知らなかった。
では、そんな貴重な末人を四体もどうやって作ったのかだ。
『劣化』という部分にヒントがありそうだが、答えは出ない。
飾は思案しながら、階段を降りる。
玄関に戻り、廊下を歩く。
「何か、匂うね」
空が指さすのは格子状に区切られたガラス戸だ。
開けてみると、ダイニングキッチンだった。
様子を窺う飾に反して、空はキッチンに近寄る。
調理台には肉の切れ端と鍋が置かれている。
「料理ですか?」
「なんかさ、怪しくない?」
そう指摘する空はニコニコと笑っている。
蓋の下に隠されている秘密を暴きたくて仕方ないようだ。
「肉は、うん。食べてきた奴だね」
まな板に残る肉は今まで食べてきた末人と同じものだ。
(まさか、末人を料理していたんですか?)
確かにイマイチの味は技術で補えるかもしれない。
素材が悪いなら先ほどの空のように踊り食いするより、しっかりと『料理』した方が『美味しく』食べられるだろう。
「ねぇ、この蓋さ、開けてみたい?」
真実を示すであろう鍋を空が指さす。
「……」
人の家の夕食を覗く趣味は飾にはない。だが、ここで蓋を閉めたままにしておくほど、好奇心が薄いわけではない。
「じゃあ、開けるよ」
飾の表情で全てを察したのだろう。空が蓋に手を伸ばす。
取っ手を摘まんで、蓋を開いていく。
「これは……」
「へぇー。なるほどね」
入っていたのは単純に言えば煮物だ。ただ、素材が問題だ。
人参、ゴボウ、大根、よく汁を吸いこむ野菜に加えて入れられた肉。
空がお玉を借りてそれを救い出す。
「大人の足にしちゃ、小さいよね?」
「子どもでも大きいと思いますよ」
掌に収まりそうなほどに小さい足の断片。それが意味するのは一つしかないだろう。
「なるほど。産んで食べて、産んで食べてか」
「……味がイマイチなのも納得ですね。人間の血が混じれば美味しくなるはずありません」
「そっか、なんかあいつおかしったもん。喋り方とかさ、動きとかさ。そりゃ、こんなことしてたらさすがに狂うよね」
「……」
空は鍋を掻き回しながら平然と感想を述べる。その隣で飾は必死に過去の記憶を抑え込んでいた。
人間の味。自分の肉親を食す。その悍ましい行為を飾の心を乱す。
「これ、美味しいのかな? 温めれば食べれそうだけど」
「やめておきなさい。毒が入っているかもしれません。何も食事の途中でお邪魔したわけではないでしょう」
調理台に置かれているのは鍋だけだ。そこから見えるテーブルには皿すらない。
この料理のような物を本当に食べていたのかは家主に聞いてみなければわからない。ただの試行錯誤品だとも考えられる。
「そうだね。ご馳走の前にお腹、壊したくないし」
空は蓋を戻し、鍋を閉じる。
残念ながら中の者を供養する義理も時間もない。アルミ製の調理器具が彼女の墓標になるだろう。
(何のために生まれたのか、なんて聞くのは愚問ですね。私達だって同じなんですから)
台所にそれ以上、見るべきものはなかった。
飾と空は最後に残った居間へと向かう。
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