第4章 遠く残る血の記憶
第22話 蠱毒の壺
「気がついたかしら?」
穏やかな声に喜潤は再び目覚めを促される。
喜潤の寝る横。ベットの隣に椅子に座った老婆がいる。
前に飾が座っていた場所だった。
老婆は真っ白ではあるが、豊かな髪をまとめ、皺の多いものの凛とした部分を残した顔立ちは髪にまだ色がある頃は相当奇麗な人だったことが伺える。
「どうなってるんですか?」
目が覚め、頭が動くと次々と答えを要求してくる。
老婆は喜潤の様子を観察しながら、一つずつ答えていく。
「ここは病院ね。あなたの家からさほど離れてないわ。末人に襲われたあなたはここへ運ばれた。命に別条はないわ。まぁ見ての通りね」
末人という言葉が老婆の口から出たということは彼女も関係者であるはずだ。
喜潤は一定の警戒を持つ。
全ての末人が友好的でないことは左肩の痛みが訴えている。
「あなたは誰なんですか?」
「水門玲子。あなたの望むように言えば、裂の監督者ね」
「裂の」
懐かしい名前を聞いた。
それは喜潤の気持ちも落ち着かせる。彼女の監督者ということは敵ではないだろう。
「あなたは、裂から聞いたけど、雨宮喜潤君でいいのかしら?」
「はい、そうです」
「翠博士と陽士博士の御子息ね?」
「……そうです」
末人に関わっているのなら、末人に関わった同じ研究者である父と母を知っているのなら不思議ではない。ただ、今だけ喜潤は二人の名前を聞きたくなかった。
「事態はどうにも複雑ね。私にとってもあなたにとっても」
「どいうことですか?」
「難しい話は明日にしましょう。体はまだ完全じゃないでしょ?」
玲子の言うとおり、肩はまだ痛い。しかし、聞きたいことはまだある。
「飾は?」
立ち上がった玲子は動きを止める。
「イヴ02のことかしら?」
「飾のことです」
喜潤は言い切る。
「彼女ならもういないわ。行方はわからない」
「そんな! 探しに行かないと」
学校にはあの恐ろしい末人が来た。彼女の狙いは間違いなく飾のはずだ。
喜潤の怪我はおまけみたいなものだろう。
喜潤は必死に飾の安否を訴えるが、玲子は鋭い目つきでそれを制する。
「喜潤君、あなたもわかっているはずよ。飾は末人として消された存在。人としても存在していない。あなたと暮らしていることは間違っているわ」
「くっ。そんなこと。人を造る計画自体おかしいじゃないか」
「それは否定できないわね。だから、私は正義を振りかざすことはしないわ」
玲子は部屋を出ていく。
喜潤はすぐに飾を探しに行きたかった。なのに肩は痛むし、体は重い。
それに玲子との話はまだ終わってない。
彼女は裂も知らなかった飾の過去を知っている。それにイヴ計画の全貌も。
今、何が起こっているのかも。飾を追いかける以上、それらを避けられない。
あの大雨の日、自分の定めた聖域に異物を持ち込んだのは喜潤自身だ。
明らかに異常な存在は均衡を崩すことに成功はした。
喜潤は飾との関係を変えたかった。
飾は喜潤にとって家族以上の存在になっていた。だから、もう嫌なのだ。あのまま飾が自分の奴隷でいることは。このまま飾を失うのももちろん嫌だった。
飾と一緒にいたい。それだけが喜潤のわがままだ。
止まっていた時間が急に動き出した。
二十年間、あの施設から連れ出されてから、一度も会うことのなかった同族。それがこの一か月余りの間に三人も会うとは。
玲子は咥えたタバコの煙を大きく吐き出す。
(時が来たと言うのは今こそ相応しい言葉ね)
喜潤が身体を休めるのは玲子が経営している病院だ。
機関での研究が中止になって少し経った後、建設した。
表向きは百床ほど構える中病院であるが、もう一つ。病院に隣接する形で五床ほどの別棟がある。
この別棟の目的は明白だ。機関で行っていた研究の継続である。
玲子の下にも裂という末人がいる。彼女が暮らすため、また教育するための場所が必要だった。
それがこの別棟である。周囲には玲子の家だと言ってある。だが、中はれっきとした研究施設で、怪我や病気の治療も可能だ。
厳密に言えば病室ではないから、喫煙も許される。さすがに病人、怪我人の寝ている横で火を付けることはしないが、廊下くらいなら気休めをしたい。
(末人よりも人間の治療を先にするなんてね。まぁ本来の役目と言えば役目かしら)
末人はその性質上、命に関わる重傷を負うことが多々予想された。そのための備えのはずなのだが、本当に人間を治療するとは思わなかった。
(あの時、以来ね……)
玲子は飾をよく知っている。
機関の中でも当然、出会っているし、そこを出てからも関わりはあった。
だが、今は思い出に浸りそこを深めるつもりはない。
重要なのは『始まった』ということだ。
帰ってきた裂、自分のイヴの体を見れば語らずともわかる。
裂が連れてきた相方もそれを証明している。
ゆえに、日常は崩壊したのだ。
飾が続けてきた家族ごっこはもう終わりだ。
終わりとなれば過去のことを深めるのは無意味だ。そのために必要なのは行動と備えだ。どちらも早急に行う必要がある。幸いにも予感はしており、用意は出来ている。
「戦争は言い過ぎよね。やはり喰い合いというのが一番それらしいかしら」
計画は本来の姿に戻っていた。
生存競争を勝ち残るために互いを喰い合う。
一番の基本だ。
ただ、企画されてから時間がだいぶ経ち、小さな檻には収まり切らなくなったのだ。
この街はさながら蠱毒の壺だ。町全体が檻になり、そこに閉じ込められて互いを喰い合う。
生き残った者が次へ血を繋げられる。
小さな檻では出来なかった手段が今は多様に増えた。
(わかりやすいのは同盟ね)
裂も飾と同盟を組んだ。その飾は今、空と同盟を組んだ。いつかは互いに牙を向いても今は強大な敵に揃って牙を向けようというわけだ。
その思考は獣のそれとは違う。
仲間を作って協力する。非常に人間らしい考えだ。
(そういう意味で計画は順調に進んでしまっていると言えるわね)
力だけではない。狡猾さも要求されるようになっている。その中を勝ち抜くことこそ、イヴに相応しいというわけだ。
(戦いが始まれば私達は介入できない。監督者の名が示す通り見守るしかないわね)
玲子はそれを重々承知している。だが、彼はどうだろうか?
彼は監督者はではない。
(時が解決してくれると思っていたけど、まだ時間は必要みたいね)
玲子は大きく息を吐いて、煙を燻らせた。
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