第21話 第二の同盟

「あなたがおにぎりの人ね」


 病室を出た飾の前に立ち、少女が言う。


「……あなたは? 確か学校で」

「そうだね。雨宮君のお姉さん。私は空。ううん。イヴ04って言ったほうがいいかな?」


 少女はにやりと笑う。鋭い八重歯が見えた。


(なるほど)


 飾は独り頷く。

 初めて出会った時から予感はしていた。

 あの時は繕がいたから香りを間違えたと思ったが、やはり彼女も自分と同じ獣なのだ。


「食べる?」


 不躾に空は飾に何かを突き出す。

 それは手だった。人の手。指は四本しかないが、人の手の形をしていた。

 ただ、その手からはとてつもなく良い香りがする。


 飾は知っている。

 この香りの正体を。これは人の手ではないのだ。形は同じでも人の手ではない。


「遠慮します」

「そう」


 それをわかっても飾は食べることを躊躇った。まだ自分が獣ではなく、人としての自覚があったからだ。

 空は持っていた手首をくるりと回し、親指から喰い千切っていく。


「まぁ私が食べる分が増えるからいいんだけどね」


 空はもう一本指を喰い千切る。

 今度は人指し指。白い指は関節ごとにぷっくりと肉が付いて、可愛らしくも美しい。その指が空の口の中で細かくなっていく。

 引き締まった指の肉は歯応えが良く、弾力があり噛むだけで味わいがある。

 飾は漂ってくる甘い匂いにぐっと唾を飲み込み、目を逸らす。


 末人の匂いは空腹を誘う。

 どんな食べ物より食欲を掻き立てるそれは麻薬依存にも似た抑えがたき欲望だ。

 本能が突き上げてくる究極の欲求。

 肉を切る音。骨が割れる音。耳に残り、頭に働き、食べたい欲望を釣り上げる。


 空は無心に末人の腕を喰らう。

 一本一本指を喰い千切り、指を全て食べ終えると、手の平にかぶりつく。

 ぴりぴりと皮膚が裂け、真っ赤な肉が露になる。

 二、三、四口で、手の平を平らげると、口を大きく開け、残りをその中へ突っ込む。


 太い太い手首の骨を顎に力を込めて、噛み断つ。

 ゴロゴロと口の中で骨の塊を転がしながら、肉を削り取っていく。

 骨は甘噛みを繰り返しながら、力を加えていく。口の動きは徐々に重くなる。

 その度にゴリゴリという骨が痛む音が大きくなっていく。ついに空の歯と歯が噛み合わさった瞬間、骨は砕かれ、空はそのカルシウムの塊を存分に味わう。


「食べないの?」


 骨を飲み下し、空がもう一度聞く。


「……」


 飾は答えなかった。

 目の前であの香りを只管に漂わせていたら、自分も食べたくなる。

 飾はその欲求を理性だけで押さえつけているのだ。


「で、何の用ですか? 私をディナーに誘いに来たわけではないしょ?」


 外はもう暗い。飾はまだ夕飯を食べてないことを思い出す。確かにお腹が空くわけだ。


「ああ、ディナーの時間かぁ。確かにそろそろお腹が空いて来たかも」

「食べたばかりなのに?」

「あれ、実はそんなに美味しくないんだよ。でも、今は目の前にご馳走がいる」

「……」


 空の舌なめずりを飾は黙って見つめる。


「私を食べたいのは一向に構いませんが、それは大きな間違いですよ」


 飾は手に溜めを作る。いつでも攻撃出来るようにするための用意だ。


「あなたが先ほど食べていた手はいわば末端の一部の一部でしかありません。手の主とは別に親玉がいます。彼女は確実に強くなっていきます」


 先ほど、空はどこから見つけたのか末人の香りのする手を食べていた。だが、あれは先や空と同じようにナンバーを貰った末人ではない。


 飾には覚えがあった。咏の存在だ。

『よん』というからには『いち』『に』『さん』がいても可笑しくないだろう。

 彼女達は恐らく尖兵だ。本物は奥にいる。

 彼女達を越えた先、踏み台にしないと見えない席にいるだろう。

 そいつを倒さない限り、秩序は戻らないばかりか悪くなる。


「先伸ばしすればいずれあなたが食べられますよ。それに私もただで食べられるわけにはいきません。私を食べようとすればあなたも五体満足というわけにはいきませんよ」


 空と飾。

 視線を逸らすことなく睨み続ける。


 飾は宣言した通り、ここで食べれられるわけにはいかない。

 喜潤の安全を確保するのを最後の役目に位置づけた。

 もしも、空がここで自分を襲うなら、飾は言い放った通り、必死に抵抗するつもりだ。 

 喜潤を傷つけた獣を仕留めない限り、飾は死ぬつもりはない。


「ふふふ。冗談だってば」

「……」


 折れたのは空だった。

 笑顔を浮かべながら飾の肩を叩く。


「私ね、一度、あなたに会ってみたかったの。私とあなたって本当はすごいそっくりなんだよ」

「どういうことですか?」

「監督者の奴隷じゃないってことかな?」

「……」

「あとは自分の命と差し替えてでも監督者を守りたい気持ち。私はそうだけど、あなたもそうでしょう?」

「間違ってはいません。ただ、喜潤様は私の監督者ではありません。私が生涯かけてお守りする方です」

「ふーん。面白い関係だね。まぁどちらにしても自分を犠牲にしても守りたい存在がいるってのは同じだね」

「その点に異論はありません」

「ふふふ。やっぱりそうだよね」


 空を味方と見ていいのか、飾にはまだ判断がつかなかった。

 ただ、彼女も喜潤と同じ学校へ通い、あの繕の下にいるのだ。

 下手な行動は起こすことはないはずだ。

 それに空は飾に自分と共通点が多いと言っていた。ならば、共感できる所も多いはずである。


 飾はあのイヴを討つつもりでいる。

 喜潤を襲ったのは咏の姉妹といえるものだろう。

 彼女達を野放しにしておいては喜潤の身にまた危険が来るかもしれない。

 例え、飾という末人がいなくても彼女は喜潤に傷を付けた。

 飾は絶対に許さない。


「オリジナルは必ずいます。彼女は全ての末人を喰う気でいるでしょう。私はもちろん。あなただって。彼女は私達を食べるためならきっとなんでもします。私の喜潤様が重傷を負いました。あなたの大切な人だってきっと」

「そうだね……」


 空は少し考える。

 彼女は元々飾を害する気はない。

 因縁から飾を少しからかったが、彼女の考えには全面的に賛成できる。


 比希の件だってある。腹が減れば理性よりも口が動く連中だ。

 今回は喜潤が盾になったが、いずれ空を追って比希に噛みつくことだってあり得る。

 放置は賢くない。ここは堪えて同盟が一番賢い道だ。


「私も協力するので、そいつを食べましょう」

「ふふふ。いいよ。確かにチャンスは今だけだね。血の臭い。すっごくするよ。逃げた奴の場所すぐにわかる」


 空は鼻を微動させる。

 先ほど食べた掌と同じ香りがはっきりとわかる。やはり、あそこで逃がしたのは正解だったようだ。

 香りの先にはもっと素晴らしいご馳走がある。


「善は急げです。相手の準備が整う前にこちらから仕掛けましょう」


 飾は足下に持ってきたバックから一本のベルトを空に渡す。

 八本のナイフがぐるりとついたそれを空は腰に巻く。


「もらっていいの、これ?」

「出来れば返して下さい。セット品なので」


 そういう飾は手首と太ももにナイフのベルトを巻いている。さらにはバックから取り出した二本の刀を腰に下げる。まさに完全武装だ。


「さぁ、行きましょう」

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