第3章 休まらない学校生活

第15話 三者面談の予定

 梅雨はまだ明けない。

 六月も終わると言うのにまだ雨は続く。

 裂と出会ってから、もう一週間は過ぎようとしていた。

 裂と出会い、別れてから喜潤は変わろうと決意したが、中々機会を作れないでいた。


「外の雨、すごいな」

「そうだね、すごいね」


 教室でお昼休みに空と二人。

 喜潤は間を埋めるように他愛のない話をする。

 粉を挽くように時間を磨り潰していくのは最高の贅沢でもあり、一生の後悔でもあるかもしれない。しかし、今の喜潤はそれを気にすることはない。

 外を向いていた空が喜潤に目だけを向けて、鼻をひくつかせる。


「雨宮君ってさ、いつも良い匂いにするよね」

「そ、そうかな?」


 自分の発している匂いなんて気づきずらいからわからない。

 臭いと言われるよりは良いが、変な気分でもある。


「するよ。お姉さんとかいる?」

「いや、いないけど……」


 飾は姉ではないし、質素倹約な彼女が香水はおろか化粧すらしない。


「前は、一週間くらい前かな。すっごく良い香りがしてた」


 やはり喜潤に思い当たることはない。


「良い香りだったなー。食べちゃいたいくらい」


 ニヤリと空は笑う。覗く八重歯がいやに鋭く見えた。

 その歯の形には見覚えがある気がする。しかも良くない方の。

 思いだしたくない喜潤は口を食べることに集中させた。


「ねぇ、喜潤君」


 比希が席の近くに立つ。


「なんだ?」

「あのね、先生が呼んでるの。ご飯食べたなら、国語研究室に来てほしいって」

「わかった。ありがとう」


 喜潤は弁当を片づけて教室を出ていく。

 比希は彼が出ていくのを確認すると、


「さてと、私も空さんにちょっと話があるんだけど」

「ふーん。何かな?」


 比希は喜潤の椅子を空の向かいに座る。

 比希は空の顔を見据え、彼女には似合わないような歯を出した笑顔を作った。


「最近、随分と雨宮君と仲が良くない?」

「そ、そうかな?」

「よく話すし、朝もときどき二人っきりでいるし」

「そ、それは最近、比希ちゃんが来るの遅いから」

「ふーん。……おにぎり、そんなに美味しかった?」

「っ」

「空はさ、私の友達でしょ。ずっと、私といてくれるんでしょ? だったら、雨宮君とあまり仲よくしないで。わかってるでしょ、雨宮君は――」

「わかってるよ。でも、私は雨宮君を助けてあげたくて」

「助ける? どうして?」

「……同じだから。比希ちゃんと同じだから」

「……はぁー」


 比希はため息をついて、俯く空の頭に静かに手を置く。

「私は彼とは違う。私にとって空はもう大切な友達だから。私は空のすべてを受け入れられる。空のことを捨てたりなんて絶対にしない」

「……うん。わかってるよ」


 空の言葉を聞いて、比希は安心したように顔を緩ませる。

 空は比希の安らぎの顔を見るたびに癒される。

 空にとってこの癒しは麻薬と同じであり、比希がいなくては自分が生きてはいけないことを思い知らされるのだった。 

 



 担任とは言え、前回のことがあり、喜潤は尋ねに行くのが億劫であった。

 国語研究室の前に行き、息を整えてから中に入る。


「失礼します」


 研究室にはお昼休みなのに繕一人しかいない。

 部屋は電気が付いているのに薄暗い。そのせいか喜潤には繕の姿がぼやけて見える。


「よかったぁー。雨宮君来てくれたんだね」


 繕の声は一段高く聞こえる。そんなに嬉しいことなのだろうか。


「前に話した時、雨宮君の様子おかしかったから、私嫌われちゃったと思ったの。だから、よかった」

「そんなことは」


 気分が悪くなったことは確かだが、嫌いになるまではいかない。

 繕はまだ若く生徒の人気も高い。親しみやすい性格もある。

 喜潤も元々好きな先生ではある。


「本当によかった。これなら、あの話も大丈夫かな?」

「あの話? ってなんですか?」

「うんうん。三者面談」


 事もなげに繕は言う。

「え? は?」


 喜潤は言葉の意味が理解出来なかった。

 たった一言で彼の思考が停止させられた。それだけ予想外で。最悪の言葉だった。


「この前、雨宮君が進路票提出してくれたから、ようやく計画が立てられるの。それでね、やっぱり雨宮君は家庭の事情がちょっと特殊だから早めに予定を聞いておこうと思って」

「は、はぁ」

「だいたい一か月後くらいから始めたいんだけど、どうかな、、お父さんかお母さん、こっち帰ってくる予定ある?」

「え、いや。わかりません。多分、無理かもしれません」

「うんうん。仕方ないよね。出来ればご両親に同席してもらいたけど、無理なら仕方ないよね」

「じゃ、じゃあ、僕だけで?」

「うんうん。それもいいけど、せっかくだから、雨宮君の家にいる家政婦さんにも来てもらえないかな?」

「え、なんで?」

「うんうん。前に雨宮君の話を聞いてると、その家政婦さんは親御さん代わりみたいだし、進路のことだしね。大人も交えた方がいいかなって、先生は思うんだよね」

「……」


 今まではなんとか誤魔化せてきた。

 喜潤は少し不幸な家庭環境にあるが、成績優秀で、問題を起こさない『いい子』だった。だから、学校も心配しない。両親がいつも不在でも不審がらない。

 しかし、今度ばかりはそうはいけないのだろう。


 繕は良い先生だ。若い女性でいてい、授業はわかりやすく、熱意もある。

 スタイルも良く、美人で生徒からは男女問わず、人気がある。

 そんな彼女が喜潤を心配している。今は無理でも、彼女は待つだろう。


 喜潤と二人ではなく、もう一人大人を交えた三者での面談を行えることを。

 果たして、両親は喜潤のために遠い国からここへ来れるだろうか。

 喜潤にはなんとなくそれが限りなく無理だとわかっていた。

 だから、飾を頼るしかない。飾にここへ来てもらうしかない。

 おそらく、繕もそれを望んでいるのだ。

 教育者としてか人としての好奇心か。

 喜潤にはわからないが、繕は喜潤という少年を保護する人物に興味があることは確かだ。


「うんうん。急には無理だよね。すぐにじゃなくていいよ。えっと、家政婦さんとまた相談して、日程を決めてくれればいいから。でも、早めにお願いね」

「……はい」


 繕は先生だ。怪しむべき要素はない。受け入れるべきだ。拒絶するべきではない。

 なのに喜潤の体はかつてないほどの不快に包まれていた。


 今まで平穏だったものが崩れていく。

 それを喜潤は望んでいたはずなのに、壊れようとしている様を見て、後悔している。

 教室へ向かう足取りはひたすら重く、彼の足は鉄の塊を引きずっているようでもあった。





 三者面談の話を喜潤は飾に中々切り出せでないでいた。

 繕は喜潤に日程を急かすことはないが、喜潤を見ていつも笑う目は快い返事を遠回しに催促していた。

 喜潤は心を決めなくてはいけなかった。このままやり過ごせるほど甘くはないだろう。

 夕食の席で、喜潤はついに意を決して飾に話を切り出す。


「あ、あのさ、飾」

「はい。なんでしょうか?」

「学校でさ、三者面談があるんだ。だから、その、どっちでもいいんだけどさ、親が帰って来れないかなって……」

「そうですか」


 飾は箸を置き、両手を膝の上に揃えて置く。


「申し訳ありませんが、喜潤様。翠様も陽士様もお忙しい身です。簡単には帰って来られないかと」

「先生はさ、そういう事情も考えてくれて、いつでも良いって言うんだ。それでも無理かな?」

「……わかりました。お話はお伝えしておきます。ですが、あまり期待は出来ないかもしれません」


 いつも通りだ。

 喜潤が自身の両親との再会を望むと、飾は決まって同じ答えを返す。

 両親に話を通すように善処すると言うが、それが実現したことはない。だから、喜潤は今まで、両親の顔を見たこともなければ、声も聞いたこともない。

 前までの喜潤ならそこで簡単に引き下がった。

 会えない両親を疑問に思っても口に出すことはなかった。だが、今日は違う。言わなくてはいけない。


「親が無理ならさ、先生は飾でも良いっていうんだ」

「え、私ですか?」

「ああ。飾はさ、ずっと俺と一緒にいるし、なんていうか俺の保護者だしさ。これからの進路のことは大人も聞いたほうが良いっていうし。親が無理なら、飾しかいないんだ」

「そんな、私は……」


 飾は明らかに困っていた。

 自分が出る幕ではないとわかっているのだろう。

 ただ、飾としても頑なに拒むわけにいかない。

 喜潤の大事な将来の相談なのだ。彼を困らせるわけにはいかない。


「……わかりました。私でよろしければ同席させて頂きます。喜潤様のためですし、ご迷惑はかけられません」


 飾が了承してくれて、喜潤はほっと胸を撫で下ろす。三者面談をするだけだ。

 裂や咏がいた時のような騒動は起こらないだろう。

 喜潤が頑なに面談を拒否して、変に目立つのは嫌だ。

 先生が両親ではなく、飾でも良いといてくれてのは案外とラッキーだったかもしれない。


 飾が承諾してくれ、三者面談の日程は淡々と決まっていく。

 喜潤達は望み通り、面談の最後の日になった。


「うんうん。よかった、よかった」


 無事に日程が決まると繕は非常に嬉しそうにしていた。

 喜潤も面倒事にならなくてよかったと安心できる。


「九佐木さんは日程いつなんだ?」


 昼休み、喜潤はふと前の席の少女に聞いてみる。


「面談? 確か最後から二番目だよ」

「へぇー。じゃあ俺の前かな?」

「そうだね。雨宮君は成績優秀だし、話すことないよね」

「いや、そうも言ってられないけどなー」


 学校へ始めてくる飾。喜潤は飾のことがひたすら心配だった。


「来るのはお母さん? それともお父さん?」

「いや、親戚のなんていうか姉みたいな人」


 喜潤は飾のことを家政婦だとは言いたくなかった。

 空が飾に興味を持つことはないが、色々と探られるように聞かれるのは嫌だ。


「ふーん」


 空はすぐに喜潤との話を打ち切る。

 いつものことだ。だから、喜潤は空と付き合いやすい。


 普通なら、空は誰が来てくれるのかとか話を繋げるべきかもしれない。でも、喜潤はそんなこと絶対にしない。

 自分から誰かに話題を振って、下手な藪を突くことはしない。

 今日もゆっくりと流れる時間を過ごしていく。

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