第14話 見送り
咏を生かしたことを飾は後悔していない。ただ問題があった。
食費。
裂はもちろん咏も同じだけ食べる。
体は小さいのにどこにそんなに入るのか調べたくなるほど食べる。
飾や裂と違い、咏はオリジナルではない。
食べる、食べられるの目的だけにために作られた存在だ。だから、食欲は一層強いのかもしれない。どちらにしても旺盛な食欲は冷蔵庫を空にして、家計を圧迫する。
飾は生計を喜潤の両親の貯金でやりくりしている。
貯金はかなりの額があり、少量ではあるが、定期的に増えてもいる。
すぐになくなるというわけではないが、これは自分の金ではない。
使用人である飾が自由に使う権限はないのだ。
喜潤の将来のこともあるので、出来るだけ無駄にはしたくなかった。
「今日、限りだから」
裂がこれからの家計に頭を痛める飾に言う。
「何のことです?」
お昼も過ぎた時間。飾の苦労も知らず、たらふくご飯を食べた咏は裂の膝枕で夢の中だ。
「明日には出ていくよ。……世話になったな」
「そうですか」
引き留める理由もない。
いつまでもいるわけではないのだが、こうもあっさり出ていくとなると、寂しい気もする。
「行く当てはあるのですか?」
「ばあさん、監督者の所で戻るよ。腕もこんなんだし、なんとかしてもらう」
「咏は?」
「連れてくさ。ここに置いといたら、お前に喰われそうだ」
「食べやしませんけど」
食べはしないが、連れていってくれた方が助かる。
面倒を見る自信がないのだ。
「なぁ、オレはもう出ていく。最後に聞かせてくれないか? お前はイヴ02なんだろう?」
「……」
飾は口を閉ざす。裂はそれでも続けた。
「イヴ計画の一期生はオレを含めて五人いた。イヴシリーズは順次増やしていく予定だったけど、一グループの逃亡せいで頓挫しちまったよな? イヴ02。それはあんたじゃないのか?」
「だとしたら、どうするのです?」
「どうするって言われてもどうもしないけどな。たださ、今回はもう逃げられないぞ。咏を見て思ったんだよ。イヴ計画は進行している。オレだって03の番号を持っている以上行き着く先は一つなんだ」
「……」
それは遠い過去の話。まだ喜潤だって生まれていない。
そんなにも時間が経てば、時効のはずだ。しかし、裂がいる。咏もいる。
自分が終わってほしいと望んでいただけで、計画は終わってないのだ。
「今日は御馳走にしましょう。みんなで食べるのは最後ですから」
「ああ。そうしてくれよ」
裂はにっこり笑った。
喜潤は久々に豪華な料理を食べた。
飾はいつも健康を考えてバランスよくほどよい量を作る。
今まで、二人分だけの食事しか作らないせいもあるかもしれない。
机に乗りきらないほどの品数を見たのは初めてだった。
裂と咏は目を輝かせて、料理の山を次々に空にしていく。
喜潤も頑張って手を付けていくが、やはりそれほどは入らない。
裂と咏の食べる勢いは全く衰えなかった。
喜潤は二人の食べっぷりを見ていると逆にうらやましくなってくる。
おいしいものをいっぱい食べたい。万人共通の喜びを彼女達は十分にしているのだ。
「はぁー食った。食った」
裂は椅子に大きく踏ん反り返る。
「食べた。食べた」
しなくてもいいのに咏まで真似する。
飾は久々の大作に疲れ、片付けは明日やるとだけ言い残し、自室へ入ってしまった。
喜潤も後は風呂に入って寝るだけだが、裂と話をしたかった。
「明日、出て行くんだってな」
「そうだな。お世話になったよ」
「俺は何もしてないよ。お礼なら飾に言ってくれ」
「ははは。私を拾って助けてくれただろ。それで十分だよ」
もとはいえば、この家の沈黙を崩したのは喜潤だ。
あの雨の日、裂を拾わなければいつも通りの日常が過ぎていくだけだった。
「裂、前に言ったこと。末人を食べるて。その子、咏も末人なんだろう?」
喜潤は咏を見るが、彼女の瞼はそろそろ閉店常務に取りかかる頃合いだった。
「そうだな。言うのが遅れたけど、咏も一応、末人だよ。昨日、一悶着あったけど、こうして迎え入れることにした」
裂が咏の頭を撫でると、うっとりとした彼女の眼はそのまま開かなくなる。
代わりに穏やかな寝息が聞こえてきた。
「彼女も食べないのか?」
「今は食べないって言ったほうが正確か。隠してもしょうがないから言うけど、昔は仕方なくだけど、食べてたみたいだぜ」
「おいおい。大丈夫なのかよ、それ?」
「ああー。一から説明するか」
裂は昨日、喜潤がいない間に起こったことを順に説明する。
今度の彼の生活への影響も配慮して飾が見せた非情な一面はもちろん伏せて。
「そんなことがあったのか」
喜潤はまだ幼い見た目の少女の身の上に同情を寄せる。
末人という人間とは違う存在でも見た目は同じように心だって似通った部分はあるのだ。
「じゃあ、咏は偽物ってことなんだろ? オリジナルの末人がいるってことはかなりやばくないか?」
「まぁそうなるな。咏は数え切れないほど、食べたって言ったから、オリジナルはもっと食べているだろうな」
「いいのかよ、ほっといて。咏がいるってことは近くにいるかもしれないんだろう?」
末人は末人を食べて進化するとは裂の弁だ。となると、咏のオリジナルは最早かなりの進化を経ていてもおかしくない。
「仕方ないよ。もし、咏のオリジナルが馬鹿みたいに強くなってたら、運命だろうな。オレらは元々そういう存在なんだ。抵抗はするけどさ。食べられることを恨んだりはしない。オレももうこんな体だしな」
腕のない裂。
彼女が弱気になってしまうのも無理はない。
もし、咏でも飾でも裂の隙を付けば、彼女は食べられる運命にあるのだろう。
実際に初日の夜はそうであった。喜潤は知らずのうちに二回も裂の命を助けている。
「イヴ計画についてもっと話せば、現在、末人の管理は監督者に一任されている。まぁ好きにしろってことだな。オレも他の末人の行方は全くわからない。でもな、最近わかったよ。オレ達の本能。食べるための本能だ。気づいてなくても体は獲物を求めている。知らないだけで、案外近くにいるかもしれないんだな」
このゾッとするような感覚を覚えるのは末人達だけではないだろう。
喜潤だって、人間だって同じだ。
夜の十時を回り、真っ暗な外。そこに何が潜んでいるのだろう。
覗き見れない家の灯りの下で何が行われているのだろう。
顔も名前もわからないそこに住む住人全て、喜潤には魔物の類に思えてくる。
今は囲われているが、『獲物』を求めて外に出ることだってあり得るのだ。
「……飾は強いよ。でも、あいつの運命は決まっている。オレはあいつも君の深い事情までは知らないけどさ。飾を大切に思うなら守ってやらなきゃダメだぜ。体を張ってじゃなくてさ、精神的にって言うのか? 難しいことわかんないけどさ」
裂は恥ずかしさを隠すように笑う。
伝えたいこと、言いたいこと、言葉がわからないのだろう。
それでも、喜潤には十分に伝わった。
飾を大切に思うなら、いつでも彼女を迎え入れればいいのだ。
ただ、それだけをすればいいのだ。
「咏。起きろ。起きーろ。寝るなら布団行くぞ」
「……うん……」
咏は目を擦りながら、裂の肩に預けていた頭を起こす。
「じゃあなお休み、喜潤」
「ああ。お休み」
半開きの目をした咏を支えながら、裂は台所を出ていく。
一人、台所に残った喜潤。
飾が人間ではないことはわかってはいた。
年を取らないことに疑問を持っていた。身体能力もずば抜けて高く、病気もしたことがない。傷だってすぐ治る。
昨日ぐるぐるに巻かれていた手の包帯はもう取れて何事もなかったようだった。 それにあの時だって――。
喜潤は首を振る。
飾が人間じゃないからどうだっていのうのだ。
喜潤は飾と一緒にいたい。そのためにも今の彼女に必要な言葉がある。
飾はきっと不安に思っているはずだ。
ここ数日で飾の正体に関係ある出来事、人物が絶え間なく起こった。
飾は喜潤の眼を気にしている。だから、喜潤は伝えたい。飾へのたった一言を。
「おはようございます」
朝食の席はいつもの静けさが戻っていた。
「おはよう」
それに少し戸惑いながら、喜潤は席に着く。
「……二人は?」
「もう出ていかれましたよ。全く家中の米がなくなるかと思いましたよ」
裂と咏は喜潤が起きる前に持てるだけのおにぎりを持って出ていったそうだ。
飾は二人の米泥棒に悪態をつくが、二人の姿を思い浮かべる喜潤は吹き出してしまう。
「静かに、なりましたね」
ぽつりと飾が言う。犬食いする少女もイチャつく少女ももういない。
「あっと言う間だったな」
「いつまでもいられるのも困りますけどね」
口ではそう言うものの飾も少し寂しそうであった。
「また来るかな?」
「どうでしょうか? 今度来るときはもっと静かにしてほしいですけどね」
停滞していた時間に、場所に一陣の風が吹いた。その風は喜潤の目を開かせてくれた。もう風は止んだが、それが運んできたものによってここは明らかに変わっていた。
後は、喜潤自身が変わる番かもしれない。
「行って、くるよ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
いつもと変わらない毎日と。それを保ちたい一方で、変化を求めている自分がいる。
ただ、慌てるのはよくない。ゆっくりでいいのだ。ゆっくりと。
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