第2章 2人目のお客様

第9話 探られたくない

 次の日、喜潤はなんとか朝食に同席出来た。

 裂の食べ方は大分ましになり不快指数はかなり減った。

 裂も好きなだけ食べれるとわかり、がっつくこともなくなった。

 いつものように学校に向かい、空と簡単な話をして、授業が始まるのを待つ。

 一時間目が始まる前、喜潤の席に寄ってくる人物がいた。


「おはよう、雨宮君」


 同じクラスの西海比希だ。彼女を前にして自然と体が強張ってしまう。


「な、なんの用かな、西海さん?」

「調査票。進路の。まだ出してないよね?」

「あ、ああ。そうだな。えっと、ごめん」


 責めるような口調ではないが、喜潤は謝ってしまう。

 身構えてしまうのもそうだが、この前の比希の印象が拭えないのかもしれない。


「別に、謝らなくてもいいよ。私じゃなくて先生に直接出してくれればいいから」

「ああ、わかった。ありがとう」

「空もね。もう忘れないでよ」

「……えへへ。ごめんね、比希ちゃん」


 比希はそれだけ伝えると、自分の席に戻っていく。

 進路の調査票なんてすっかり忘れていた。

 比希が直接言いに来たことを考えると、未提出は喜潤と空だけなのだろう。

 何を書いていいのかなんてわからないが、出さないわけにはいかない。


「なぁ九佐木さんはどうするんだ? 進路」

「どうしよっかなーって。全然決まってない」

「俺もだよ」

「そうだよねー」


 こういうときは相談相手が誰もいないことは悔やまれる。

 適当に大学名を書いて出すのがいいだろう。

 何にしても記入用紙がないので、先生の所へ貰いに行かないといけない。

 放課後になって、喜潤は国語研究室へ向かう。

 担任である藤内ぜん先生は国語の担当なのでだいたいここにいる。


「失礼しまーす」


 奥にある繕の机に行くと若い女性教師が座っていた。

 眼鏡を掛けた短髪の利発そうな彼女は若いこともあって男女問わず生徒の人気が高い。

 いつもスーツを着ているが、大きな胸が苦しそうなどと男子がつまらないことを言っているのを喜潤は知っている。


「あら、喜潤君、珍しいね。どうしたのかしら?」

「えっと、進路の事で」

「あら! 相談! うんうん、乗るよ。何でも聞いて。私に出来ることなら、何でもするから」

「いえ、そういうことじゃなくて、調査票をまたもらえないかと」

「ああ、そっちか。うんうん、いいよ。はいこれ、どうぞ」


 繕ははい、と書類の山から一枚の紙を喜潤に渡す。

 薄いグロスで艶やかに光る唇の端から小さな八重歯が見えた。


「ありがとうございます。今、書きますね」

「うんうん。急がなくてもいいよー。六時までここにいるから」


 喜潤は適当に椅子と机を借りて、進路票を早速埋めていく。

 県内の国立大学の名前を適当に書き、無難な進学ということにしておく。

 本当の進路は実際の所、喜潤も決めかねている。

 飾の意見も聞きたいが、あまり彼女の負担や配慮を加えたくもない。

 それに今はそんなことを話せる環境にない。あの来客がいる限りは日常生活を送るというのは無理な相談だ。


「ねぇ雨宮君、書いてる所ごめんね」

「なんですか?」

「雨宮君って悩みないかな?」

「悩みですか? 特にないですけど」

「うんうん。成績も内申も悪くないよね。でも、その家庭のことかさ」

「……家庭ですか?」

「うんうん。雨宮君のお父さんとお母さんは今一緒には暮らしていないんだよね」

「……はい。海外で、研究をしていますから」

「家政婦さんと一緒に住んでるんだよね」

「ええ、まぁそうですけど」


 相手は仮にも先生なのだ。

 喜潤の家庭内の事情に詳しいのは当たり前だ。だから、警戒する必要はない。

 喜潤の特殊な家庭の事情は学校に常に監視されていると言ってもよい。

 

 学校で喜潤が何か問題を起こした時、それはすぐに家庭環境に寄るものだと結論付けるためだ。

 彼の問題行動は心の問題であり、それは両親のいない家庭に影響している。

 学校の責任は薄く、学校生活での問題を改善、解決した所で気休めにしかならない。

 だから、解決には家庭を巻き込み包括的に行う必要がある。

 特殊な家庭なんだから学校だけでの問題ではない。

 責任を回避し、問題を家庭に擦り付ける。

 そうなれば、学校は彼の両親の力も必要とする。だが、喜潤にとってそれは大変望ましくないことだった。

 

 両親と連絡を取る。

 それだけは絶対にしてはいけない気がしていた。

 そうならないためにも喜潤は何の問題も起こさず過ごしてきた。

 高校でも同じだ。問題はない。大丈夫なはずだ。


「家政婦さんってどんな人なのかな?」


 先生の質問は続く。喜潤は冷静に答えていく。


「どんなって言われても、良い人ですよ。料理も掃除も洗濯もやってくれますし、何よりずっと一緒にいますから、本当の親みたいで、色んなこと相談することもあります」

「うんうん、そうなんだ。ずっとってどれくらい?」

「いや、それ具体的には……。でも、ずっとです。俺が生まれる前から両親の世話もしてたみたいですし、すっごく信頼してます。他人って感じがしないんです」

「うんうん。じゃあ結構ベテランさんなんだね」

「えっと、は、はい。だから、その心配されることなんて、何もないはずです」

「うんうん。そっか。そうだよね。あ、進路書けた?」

「……はい。もう」


 繕は喜潤から用紙を受け取る。一瞥して、


「うんうん。進学か。大学はね、結構大変だよ。親御さんとよく相談して。もちろん、私も相談にのるよ。わからないことがあったら遠慮なく聞いてね」

「……はい」


 喜潤は繕から逃げるように部屋を出ていく。

 まるで尋問のようで、生きた心地がしなかった。

 担任なのだから。大事な進路の事なのだから、色々聞きたくなるのは当たり前だ。

 喜潤に後ろめたい事がなければ慌てる必要などまったくないのだ。


「雨宮君?」

「わぁ!」


 思わず、声をあげてしまうが、驚いたのは向こうも同じのようだ。


「な、何よ、急に声をあげて」


 比希が胸に手を当てて、大きく呼吸している。


「ご、ごめん。急に呼ばれたから」

「そ、そう。……先生、中にいた?」

「あ、ああ。いたよ。進路の事、話してきたんだ」

「そう。よかった。じゃあ、さようなら」

「あ、ああ。さようなら」


 息を整えた比希は研究室へ消えていく。

 全く本当に心臓に悪い。

 比希に繕、何も二人で喜潤を見張るような事をしなくてもいいのに。


 時刻は五時を回りとっくにいつもの帰宅時刻は過ぎている。

 裂と昨日の話の続きもしたいし、早く帰りたかったのに本当に災難だ。

 喜潤は駆け足で学校を出て、家路を急いだ。

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