第8話 飾の正体

 喜潤はさっさと学校から帰ってくる。

 飾と裂。

 どうしても二人のことが気になってしまう。

 それにもしまだ裂がいて元気でいたら、聞きたいことがあるのだ。


「ただいまー」

「お帰りなさいませー」


 台所から飾の出迎えの声が聞こえる。まず喜潤は台所を覗いてみる。


「ただいま」


 飾の姿を見つけてもう一度言う。


「お帰りなさいませ、喜潤様。晩御飯でしたらもう少しだけお待ちください」

「ああ、大丈夫だよ」


 ぐるりと台所を見回す。飾しかいない。


「裂は?」

「裂なら二階で寝ていますよ。申し訳ございませんが。そろそろ起こしてきてもらえませんか?」

「ああ、いいよ」


 丁度、裂と二人きりで話がしたかった。喜潤は台所を出て、二階に上がる。

 二階は喜潤の部屋がある他に広い部屋が二つある。

 片方は物置化しているが、もう片方は一応来客用に整えてはある。

 ちなみに飾は台所の隣にある小部屋を寝室にしてそこで寝起きしている。


 自室に鞄と上着を置き、その来客部屋へ行く。

 日も落ちかけ、室内は赤く染まっていた。その部屋の中央に裂は大の字で寝ていた。


「うっ」


 近づこうとした足が止まる。

 スヤスヤと眠る裂。

 いびきや歯軋りをしていないのはよかったが、Tシャツが首元まで捲れている。

 今朝に巻いていた包帯はもう取れているようで、押さえつけるものがなくなった彼女の胸は堂々とその姿を露わにしている。


 裂の寝息に合わせて、上下するそれはより大きく見え、艶美に喜潤を誘う。

 喜潤はなるべくそれを見ないように裂に近づき、そっと手を伸ばす。

 もちろん揉むとか触るとかそんな下心はない。

 目に毒なそれを隠そうと思ったのだ。

 首元まで上がったシャツの端を掴み、下げようとするが、裂がパッと目を開ける。

 瞬く喜潤の目と裂の目がぴったりと合う。


「うおおお。何してるんだよ!」


 喜潤は慌てて手を引っ込め、必死に弁明しようとする。


「い、いやこれはだな。えっと、そろそろ夕飯だから起こそうとして……」


 初めから説明しようとするが、裂はケロッとした顔で、


「まぁ触りたかったから触っていいんだけどね。減るもんじゃないし」

「いいのかよ……」

「いいわけないだろ。本気にするなよ」


 ケラケラと笑う裂。全くもってやりずらい。


「飯なんだろ。あー腹減った」


 足を宙に上げて、反動で体を起こす。そのまま駆け出そうとするが、


「待ってくれ。話があるんだ」

「ん? 何?」


 引き留められ、裂は胡坐をかいて喜潤の前に座る。


「聞きたいことがある」


 裂が座ってくれたのは助かった。

 話は、長くなりそうだ。


「――末人ってなんだ?」


 ずっと聞きたかった。

 彼女が言った末人。それは間違いなく自分とは違う存在だ。

 裂だけでなく、飾も末人であるという。では、末人は一体?


「飾は何も教えてくれなかったんだな?」

「ああ。俺は飾のこと何も知らないんだ」


 ずっと一緒にいるはずなのに。

 喜潤は飾のことを何も知らない。

 彼女に聞くのは躊躇われた。でも、知りたい。飾のことを知りたいのだ。


「少しだけ長くなるよ」


 裂はそう前置きだけする。


「ある機関が人類の進化を目指し、一つの計画を実行した。計画の名前はイヴ計画」

「イヴ計画?」

「新人類の母を作る計画だ。既存の人間を大きく超えた超人イヴを作る。そして、そのイヴと人間を交配させることによって、新人類を作るっていう計画なんだよ」

「まさか、そのイヴっていうのが君たちなのか?」

「そうだな。オレも飾もイヴだ。新人類の母に成るべく生まれた存在だ」


 裂はあまりそれを意識したことはない。

 しかし、自分の体。それは間違いなく女の体だ。

 肉つきの良い、裂の場合肉が付き過ぎている個所もあるが、体は子どもを産むのに最適だろう。今でなくてもいつかはその時がくるかもしれないのだ。

「オレらはイヴといってもまだ完全じゃない、オレら自身が進化をしなきゃいけないんだ。進化をしてこれからイヴになっていく」

「進化? どうやって?」

「どんな生き物でも生存競争を生き抜いてきた。食べられないために、食べるために進化を繰り返してきた。人は何百年も前から食物連鎖のピラミッドから逃げ出した。進化をしたいならそこへ戻るしかない。つまり、食べるんだ。同じ末人を。他のイヴを食べて、生存を賭けて戦って完全なイヴになるんだ。同じイブを食べることでオレらは進化できる」


 裂は両腕を食べられた。

 飾は裂を食べようとした。

 喜潤にとって異質の行為である。

 人間ではない彼女達にとって当たり前の行為。いわば本能なのだ。


「裂は末人を食べないのか?」

「それは飾をって受け取ってもいいのか?」

「俺は君と飾しか末人を知らない。だから、そう取るならそれでもいいよ」

「まぁどんな末人にしてもオレは食べることはないよ。オレは末人だ。彼女達を食べることは本能だけど、オレはそれをしたくない。なんでかっていわれたら困るけどさ」


 裂は体のこともあるだろう。

 両腕のない体ではまともに戦えない。現に飾にボコボコに殴られもした。


「飾は、飾は昨日、裂のことを食べようとしたのか?」

「だろうな。でも、あれはオレが悪かった面もある。いきなり、迷いこんだんだし。オレの食べないって主義を飾が知らないなら食べようとするのは普通だよ」

「じゃあ、飾はまだ裂のことを狙っているのか」

「それはもうないよ。飾は食べないって言ったし、一応同盟を結んだつもりでいる。今日も何もなかったし」

「飾は末人を食べたことはあるのかな……」

「そこまではオレもわからないよ。まぁ本人に聞くのが一番だよ。聞きずらいかもしれにけどさ」


 飾のことは知りたい。しかし、好奇心は時として身を滅ぼす。

 安易に彼女のことを探り、知りたくないことまで知ってしまったら――。

 それが喜潤は怖くていつまでも飾にを聞けないでいた。


「喰うか、喰われるか。本当は末人はその環境を生き抜いて、強くなる予定だったんだ。食べた末人の血肉はそのまま自分の力になる。初めに造られた末人はオレを含めて、五人だ。この五人の中で四人を食べて生き残った者がイブになるはずだった。でも、トラブルが起きた」


 裂は思い出す。

 自分は生まれたときからこの体だった。

 多少の成長、変化はあったものの大きく変わったところはあまりない。


 監督者である年のいった女性に計画の旨を伝えられた。

 話はよくわからなかったが、猛烈な空腹だけは今でも覚えている。

 早く何か食べたかった。食べたかったのだ。


「五人のイヴにはそれを監査、世話する役目を負った監督者が付く。監督者は自分の管理する末人が生き残れるように知識や技を教えるんだ。その過程の中で、一つのグループが逃げだした。若い二人の男女はイヴと共に姿を消したんだ。そのせいで、イヴ計画は中止。新たなイヴを用意しようとするものの計画の実行は今に至るまで決まっていないというわけだよ」


 裂は肩を竦めて笑う。

 念密に練られたはずの計画はたった一つのイレギュラーで瓦解してしまった。

 壮大な夢は暗礁に乗り上げたままなのだ。


「その逃げた男女って」

「オレもそこまでは知らないよ。でも、いなくなったイヴは間違いなくここで家政婦をしている『飾』だろうな」

「……」


 イヴが飾なら、男女は喜潤の父と母だろう。

 二人は飾を連れて新しい生活を始めようとしていたに違いない。

 飾はいた。そこに父と母もいる。その中に喜潤もいた。そして、そして――。


「なぁオレからも聞かせてくれよ。飾の監督者はあんたの父さんと母さんでいいよな? 二人は今、何をしているんだ?」


 何のことない。音沙汰のない人物の近況をただ聞いただけだ。

 それなのに喜潤は、


「……元気で、元気でやってるよ。今は、遠い所、海外で研究している」


 とても重々しい口調だった。


「そっか。ならいいんだ」


 裂はそれ以上深く聞くことはなかった。

 好奇心は体の中から裂を突くが、それに従えば、余計なものまで呼び出しそうだ。


「喜潤様―。裂―。ご飯ですよー」


 タイミング良く、下から飾の呼ぶ声がする。


「お、飯だぜ。今日は肉だぞ、肉!」


 裂はうれしそうに走り出す。

 喜潤も子どもみたいにはしゃぐ裂に続いた。

 裂からイヴ計画のことを聞いても、喜潤はその真相を飾に問いだすことはなかった。

 夕食は裂が自分の肉の大きさに文句を言ったくらいで、平穏に終わる。


「それでは先に休ませて頂きます」


 飾は昨日の疲れがまだ残っているようだった。

 夕食の片づけを済ますと、早くも自室に引き上げる。

 裂も碌に寝てないせいか眠そうだった。


 今日は喜潤も休みたい。

 裂を拾ったことで今まで知らなかったことを知れた。

 飾の本当の正体。末人という存在。

 本当はもっと知りたいが、一度に多くの情報は受け止めきれない。

 また明日裂に聞こうと思う。今日は喜潤も休みたかった。

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