第6話 学校生活

 喜潤の学校生活は至って普通だ。

 高校へ入って今年で二年目になる。

 中学同様に部活には入らず、積極的に友達も作ることはなかった。

 喜潤は独りが好きだし、自分の背後を知ろうとする余計な友達はあまり欲しくはなかった。


 いつもなら目立たなように教室がざわつく中にこっそり入るのだが、今日だけはそうもいかなかった。

 コンビニで時間を潰せばよかったかもしれないが、教室の前に立ってから思いついてももう遅い。


 別に早く来て不都合なことがあるわけではない。扉を開け、中へ入っていく。

 教室には喜潤よりも早く来ている同級生がいた。彼女がいたため、喜潤は二番目になった。


「おはよう」


 席に着いて、一応、真後ろの先客に挨拶をする。


「あれ、違う……」


 机に眠そうに頭を置く少女は九佐木たかだ。

 ロングのおかっぱの少女は喜潤に見向きもしないで、机に頬をべったりとつけている。

 座っているとわからないが、空は小柄であるが、足が長く非常にスマートな体型をしている。

 可愛らしい丸顔で、真っ黒な瞳は夜の破片をそのまま持ってきたようだ。

 

 席は近いが、喜潤は空のことをよく知らない。

 話はあまりしないし、空もいつも親友である女の子と一緒にいるからだ。


「違うって何がだ?」


 いつもは気にも留めないが、周りに誰もいないせいかもしれない。

 ふと気になって声をかけてみた。


「え、う、うん。比希ちゃんだと思ったから」


 空は戸惑いながら答える。

 比希ひきは空といつも一緒にいる女の子だ。クラスのルーム長をしており、いつも空の傍を離れない。


「あーそうか。……ごめん」


 別に悪いことをしたわけではないが、なんとなく謝ってしまう。

 喜潤のせいではないが、喜潤が早くきたせいで、二人の時間を邪魔してしまったかもしれない。


「う、ううん。いいよ、気にしないで」


 空は笑顔で答えるが途端、彼女のお腹が、いびきをかくようにものすごい音を出して鳴る。


「……」

「……」

「お腹空いているのか?」

「う、うん」


 空は顔を赤らめながら言う。


「いつも比希ちゃんがご飯をくれるから」

「朝ごはんをか?」

「う、うん」


 不思議に思えたが、喜潤はあえて突っ込まなかった。

 空も自分と同じで探られたくない背景があるのだろうし、無理に探ればその矛は今度は自分に向く。


 喜潤は黙って鞄の中から、二つの包みを取り出す。飾から朝、渡されたおにぎりだ。

 両手にそれぞれを持ち、


「食べるか?」


 空の目がおにぎりを捉える。


「二つあるからよかったら、一個どうだ?」

「いいの?」

「別にいいよ。お腹空いているんだろ」


 喜潤が一口自分の分を齧ると、空は喉を鳴らし、差し出された方を受け取る。


「頂きます」


 小さく一口。良く噛んで呑み込む。


「おいしい~。ありがとう」


 空が浮かべた幸せそうな顔に今度は喜潤が赤くなる。

 口が大きめな空は満面の笑顔になると、顔中で幸せを表現しているように見える。

 空がもう一口を迷いなく食べてくれるのを見ると、気に入ってくれたようだ。


「いい香りがするね」

「香り?」


 不思議な感想に喜潤は首を傾げる。


「作ってくれたのはお母さん?」

「そう、だな」


 喜潤は飾の存在を学校では秘密にしている。

 下手に喋って色々探られるのが嫌なのだ。


「おいしかったよ。ありがとう」


 重ねて空はお礼を言ってくれた。 

 喜潤にとっては普通のおにぎりだが、そう言ってもらえると嬉しい。

 二人がおにぎりを食べ終わると、


「ごめん! 遅れた!」


 教室に一人の女の子が滑り込んでくる。


「あ、比希ちゃん」


 頭の後ろで一つに束ねた髪。目つきがきつめで、笑顔も少ないから、いつも難しい顔をしているように見える。急いできたせいか、その顔が喜潤には一層怖く見えた。

 それでも、そのきつさをクールと肯定的に捉えて、美人な条件に加える見方もある。なので、彼女、比希はクラスのアイドルでもあり、リーダーでもある存在だ。


 比希を見て空は立ち上がる。


「空、朝ごはん持ってきたよ。……って、雨宮君?」

「おはよう」


 とりあえず、喜潤は挨拶をするが、比希の顔が怖い。


「雨宮君」


 真顔で、比希が喜潤に近づいてくる。


「空に変なものを食べさないで」

「変なものって」


 さすがの喜潤も言い返そうとするが、間に空が入る。


「比希ちゃん、行こう」

「え、でも」

「いいの。いいの」


 空は比希の背中を押して、教室を出ていく。最後に空は顔だけを喜潤に向けて、


「ご・め・ん・ね」


 口だけ申し訳なそうに動かす。

 二人を見送った喜潤はどっと疲れてくる。

 二人の仲が良いのは知っているが、ここまではとは思わなかった。

 それに比希の口ぶりからすると、空のために彼女は毎日朝食を作っているようだ。

 そういえば、お弁当も比希は余分に持ってきている。二人の関係は想像以上に深いのかもしれない。

 教室にまばらに人が入ってくる。二人が戻ってきたのは授業が始まるぎりぎり前だ。


「ありがとね」


 丁寧にも空はまた喜潤にお礼を言う。

「あ、ああ」


 喜潤がそっけなく返したのはまだ比希の目を気にしてたからだ。

 事実、比希は喜潤を警戒してか、度々こっちに目線を寄越す。

 喜潤はこれ以上、空を気にしないようにして、淡々と授業をこなし、飾が作ったお弁当を食べ、家に帰る。

 いつもと変わらない日常で、毎日だ。

 喜潤はその生活に何の不満もなかったはずだ。

 だけど、昨日は変化を望んだ。

 

 裂を助けたこと。

 それは喜潤の気持ちが形になった表れだ。

 自分でも知らない内に喜潤は変化を求めていたのだ。


 日常を退屈だなんて思ったことはなかった。

 でも、喜潤は変えたかったのだ。

 自分の生活、飾との関係。

 歪みを無視して廻っていた歯車に手を掛けずにはいられなかったのだ。

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