第5話 賑やかな朝食風景
どんな出来事があっても朝はいつも通りにやってくる。
強い日差しは夢と現実を明確に二分する。
昨日の土砂降りが嘘のような快晴だった。昨日の出来事が幻のように思えてくる。
あれは雨が描いた幻想。そう纏めることもできた。
「おはようございます、喜潤様」
着替えを済まし、台所に入る喜潤に飾が挨拶をする。
白いエプロン姿の彼女はいつもと変わりない。
「よ、おはよう、ご主人様」
いつも二人で座るテーブルに先客がいた。
両腕のない少女。彼女は残念ながら幻ではなかった。
「おはよう。体、もういいのか?」
椅子に座りながら聞くと、
「おかげ様でもう大丈夫だよ」
昨日は雨と暗がりでよくわからなかったが、裂はこうして見るととても美人であった。
髪は長さがあるのに滑らかな質のせいかとても軽く見える。
少し締まった目の形は大きな瞳の美しさをさらに引き立てる。
唇も柔らかそうで、見ているだけで肉質が伝わってくる。
ふっくらした頬はとても健康的だ。
昨日、飾に殴られた跡が所々残っているものの、それすらもハンデとしない端整な顔つきだった。
裂の顔は確かに目を見張るが、それ以上に喜潤が惹きつけられてしまうのは彼女の胸だ。飾よりずっと大きいそれは包帯の上にTシャツという非常にラフな格好のせいではっきりと形がわかる。
青少年である喜潤にとって動くたびに存分に揺れるグラビアアイドルに勝る彼女の胸は有害以外の何物でもなかった。
「な、何だよ。何見ているんだよ」
喜潤のあまりに不躾な目線に裂は顔を赤らめる。
「い、いや何でもないよ」
喜潤は慌てて眼を逸らす。
「さぁ出来あがりましたよ」
飾が出来たての朝食を配膳してくれる。
今日のメニューは玄米の入ったご飯に豆腐の味噌汁。
おかずはボウルいっぱいのサラダに焼いた白身魚が一匹ずつ。
喜潤は小さいころから飾に食事のマナーを躾られてきた。
箸の使い方はもちろんよく噛むこと。口に物を入れて喋らない。
お互いで食事をする上で相手に不快感を与えない常識のはずだ。
そんな喜潤はとんでもないものを目にする。
皿に顔を埋めて、魚に歯を立てる裂。
「はぐ、はぁ、うめ、あつぃ、うめぇ、あちぃ」
彼女はズルズルと魚を吸い込んでいき、まさしく食す。
口に押し込んだ魚は彼女の小さな口には大きすぎたようで、歯型のついた身が口の中からはみ出してくる。
「はぐあ、ぐうはぁ、いちぇ、んの」
さらに、時折、口を開けてペッと小骨を掃き捨てる。
「ぺっ、ほねが、ぺぇ。ほね、おおいな」
彼女の唾に塗れた小骨が皿に落ちるのはまだましで、そのほとんどが綺麗に拭かれた机にベタベタと張り付く。
しかも裂はご丁寧に小骨と一緒に口から飛び出してしまった魚の身もまた口へ戻す。
「ずるっ、ちゅっ、ちゅうう」
机に顔を付け、ズッズッと身を吸い上げていく彼女の姿はご飯粒まで残さず食べる喜潤でも見習いたくない。
魚を食べ終えた裂の次の狙いは味噌汁だった。
「あが、せま、んの、この」
しかし、淵の狭い御椀に彼女の顔が入るはずもなく、ズーズーと豪快に吸い上げるポンプ音はすぐに止む。
裂は赤い舌を蛇のように伸ばすなどしてしばらく奮戦していたが、最後まで食べきれないとわかると、諦めて次はご飯に取り掛かる。
大口を開けて、顔にご飯粒が付くのも構わず、ガツガツと掻っ込む。
喜潤はついにそこで席を立つ。
食欲が一気になくなった。
ついでにさっきまで目を奪われていた美少女の姿が崩れ去ったことにも幻滅した。
「あ、喜潤様!」
飾は慌てて、彼を引きとめようとするが、まだ食べ足りない裂がその口をサラダに向けようとしたので、慌てて止める。
「待ちなさい。これはみんなで食べるものです」
「わかってるって。ちゃんと三分の一だけ食べるから大丈夫だよ」
「大丈夫ではありません。あなたが食べた後、誰も食べなくなります」
「なんだよ、それ」
飾は頭を抱えながら、
「あのですね。もう少し上品に食べれませんか? それとも人間と食事をするのは初めてですか?」
「いや、そんなことはないけど。でもさ、上品にって言われても両腕ないし……」
「……」
それには飾も理解を示したくはある。
両腕のない裂は箸もフォークも使えない。
犬食いになるのは仕方ないことではあるが、そのまま済ますわけにはいかない。
「あんたが食べさせてくれたら、もっと上品に食べれるよ」
「それはお断りします」
全くもって迷惑な客だ。
そもそもこんな奴を喜潤と一緒の食卓に座らせたのが、間違いかもしれない。
獣は獣らしく床でよかったと飾が考えていると、
「なぁなぁ」
チョイチョイと裂が足で飾の足を突く。
「なんですか?」
面倒くさそうに飾が聞くと、
「便所」
「……」
「おしっこしたいんだけど」
「……いけばいいじゃないですか」
「そりゃそうだけど、パンツ脱げないだろ。あ~あああ、漏れるぅ~」
なんで私がと思わずにはいられないが、床を汚されても困る。
飾は裂を立たせて、トイレへ連れていく。
招き入れた少女は喜潤の想像の斜め上をいっていた。
喜潤にとっては未知の生物に出会ったような衝撃だ。
さらに彼女は謎が多い。その点は飾と共通しているかもしれない。
だからこそ、喜潤は彼女を助けようとしたのかもしれない。
止まっていた時がゆっくりと動き出すような感覚がある。こういう時はもっと裂から話を聞きたいが、生憎今日は学校がある。
しぶしぶながら、学校へ行く準備をする。
「喜潤様」
部屋の入口に飾が立っていた。
「今日のお弁当です」
「ああ、ありがとう」
喜潤は飾から白い包みを受け取る。少しまだ温かいそれを喜潤は鞄にそっと入れる。
「あと、こちらも」
飾は喜潤にもう一つの包みを差し出す。
「おにぎりです。朝食を取られなかったので。学校に着きましたら、どうぞ」
「ありがとう」
喜潤は鞄に二つ目の贈り物を入れる。
「じゃあ、行ってきます」
「はい。いってらっしゃいませ」
見送りの笑顔はいつも通りだった。飾は全く変わっていないように思える。
どんな異常が起きても、彼女だけは平穏を保とうとしていた。
喜潤が家を出ると、飾は朝食の片付けをしようとする。
「おーい。おーい」
しかし、早速迷惑な客が呼びつける。
「……なんですか?」
トイレで座ったままの裂の元に飾は駆け付ける。
「もう済んだんだけど」
「で?」
「拭いてくれませんか?」
「はぁー」
飾はわざと大きな息を吐く。
厄介なことこの上ない。
全くもって喜潤は余計なものを拾ってきてくれた。
一層ここで喰らった方が楽だが、飾としては裂の掛けた保険が気になることでもある。
「はい。これでいいでしょう」
服装を整えてやり、飾は裂をトイレから追い出す。
「それでは、私はこれから掃除をしますのでくれぐれも邪魔しないでください」
「はいよー。まだ眠いから寝てるわ」
静かにしてくれるならそれでいい。
昨日の雨はぴたりと止み、今日は文句のない日本晴れだ。
布団を干すのにはちょうどよかった。
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