第2話 『飾』について
栗色のふわりとした長い髪。くるりとした円らな瞳。小さな鼻は整っており、唇は桜色をしている。その可愛らしい顔つきはいつも笑顔を絶やさない。
喜潤より少しお姉さんに見えるが、本当の年齢は知らない。
多分、結構な年になっていると思うのだが、見た目はまだ十代半ばに見える。
大人びた雰囲気のため二十代と挙げる人でも二十二、三までの前半で、二十五、六といった後ろを数えたり三十代という人はまずいない。
雨宮
喜潤が生まれる前からこの家におり、喜潤と十七年間も一緒に過ごしてきた。
飾はいわゆる家政婦や家事手伝いのようなもので、両親に託されたこの家の管理と共に自分の面倒を見てくれている。
喜潤は長い間、飾と二人だけで暮らしているが、飾のことをほとんど知らない。
飾が何歳で誕生日がいつだとか、どこから来たのか、本当はいつから家にいるのか。
喜潤は全く知らなかった。
不思議な事は他にもある。
飾の見た目はずっと変わってない。
喜潤の記憶にある飾の姿。
十年、それ以上の前の姿になるが、変化は一切ないと言ってもいい。
背も伸びないし、老けもしない。
さすがに髪は伸びるが、白くなったり、薄くなったりもしない。
そう、全く変わらないのだ。自分の保育園の送り迎えをしていた時からずっと。
昔は変わらない彼女の姿を変だとは思いもしなかった。しかし、喜潤が彼女の外見的な年齢に近くなったことで、その変化の無さが気になって仕方なかった。
飾とは誰よりも長く一緒にいるはずなのに喜潤は飾のことをよく知らない。
今日、飾は夕方から買い出しに出かけた。
飾は家事全般をこなしてくれ、喜潤は何もせずに家で過ごすことが出来る。
料理も洗濯も掃除も飾が全てやってくれる。
喜潤も手伝うことはあるが、年末や学校が長く休みになる時などの特別な時だけだ。
買い物くらいはいつもなら気にも留めないが、彼女が家を出てから急に大雨が降りだした。
さすがの喜潤も心配になり、傘を持って飾の後を追うことにした。
近くのスーパーに飾の姿はなかった。すれ違ったと思い慌てて引き返す。
その帰りに喜潤は腕のない少女を拾ったのだ。
家を出る時に消したはずの灯りが付いている。
飾はやはり先に帰ってきたようだ。安心と共に不安が生まれる。
今、喜潤の腕の中にいる両腕のない少女。
彼女のことを飾にどう説明しようか。
いや、説明の必要はないはずである。
飾は追及しないだろうし、人を呼ぶこともないだろう。
今ままであの家に誰かが来たことなんてなかったのだから。
「ただいま……」
声が自然と小さくなるのは気持ちの表れだろうか。
「おかえりなさいませ!」
そんな小さな声でも彼女は聞き逃さない。
入れ違いになった喜潤の帰りをずっと心配していたのだろう。
それは嬉しくもあり、今だけは迷惑でもあった。
「喜潤さ――。どうしたのですか!」
エプロンをつけた飾は喜潤が傘の代わりに持って帰ってきた荷物に驚く。
「倒れてたんだ。その……ほっとけなくて」
「……」
喜潤は素直に答える。
喜潤の予想通り飾は何も問うことはなかった。代わりに彼に手早く指示を出す。
「居間へ。止血しないと。タオルとお湯の用意もお願いします」
「あ、ああ」
喜潤は言われた通りにする。
まず体を拭き、汚れと濡れた体をきれいにしてから真っ白な包帯で体を巻く。
ボロボロの服は捨てることにする。
全裸になった少女を前に喜潤は目のやり場に困り、席をはずす。
何か食べせた方がいいかもしれないと思いお粥を作ったり、飾が要望するものを運んだり雑用に徹した。
ようやく落ち着いた頃には夕食時になっていた。
飾のおいしい夕飯は期待できそうになかったので、喜潤は適当にご飯を丸めて食べる。
腕の無い少女は包帯の上から喜潤のTシャツを着せられ安らかに眠っている。
「私達に出来るのはここまでです。本当に彼女を助けたいなら病院へ連れていくべきだと思いますが」
「やっぱり血を止めるだけじゃ助からないかな」
「わかりません。その、脈は安定していますし、顔に血色も戻っています。それ以上はなにも……」
両腕を無くすほどの重傷なのに彼女の容体は深刻に見えない。
呼吸は落ち着き、苦しそうなそぶりは一切にない。
両腕を失うという重傷のはずなのにどこか安らかな寝顔はとても不思議だった。
素人目ではあるが、病院へ連れていく必要はなそうに思えてくるほどだ。
「……何があったんだろうな」
穏やかな少女の寝顔を横目に喜潤が呟く。
「よくないことであるのは間違いありません。これから厄介事にならなければいいのですが」
飾の口調から若干の不安が感じられた。
望まない客人は必ず不安の種を持ってくる。平穏だった日常を壊す小さな種を。
「喜潤様、今日はもうお休み下さい。後は私にお任せ下さい」
「そうだな」
喜潤がいても出来ることは少ない。
明日、学校があることもある。
少女のことは気にはなるが、彼女が目を覚まさないことには事態は進展しない。
「じゃ、おやすみ」
「はい。お休みなさいませ」
飾と二人でこの家に暮らしてから十七年は経った。あの少女は随分としばらくぶりの客人になる。
遠く残る血の臭い。
十七年も経てば消えると思ったが、また元に戻った気がする。
(嫌なのか?)
平穏は望んでいる。しかし、このままではいたくなかった。
喜潤は内心で波乱を望んでいることを自覚していた。そうでなければ厄介事など持ち込まない。
常識を外れた行動の先には必ず異変を招く。
その異変が自分にこの家にどんな影響をもたらすのか、予想したわけではない。
ただ、喜潤は腕のない彼女が停滞した関係に大きな変化をもたらすことを渇望していた。
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