第6話/偽者

第6話


「あ、アリスか!?」


 俺は縋るような思いでアリスバンドからの呼びかけに応じた。だが声はしたものの彼女の姿は認められなかった。それもそのはず、まだあちらの世界が外殻によって塞がれていた。


「助けてくれ! 俺は今、見ず知らずの生徒に殺されかけてるんだ!」

「あー、うん。そっちの状況はだいたい分かってるんだけどさぁ……」


 迫る命の危機にハラハラせずにはいられない俺とは裏腹、アリスの調子は驚くほどのどかなものだ。


「……おい。まさか俺をこのまま見殺しにする気じゃないよな?」

「や、やだなー、神様が目の前の犯罪を無視するわけないじゃん……?」

「だよな! じゃあ早くこっちきてあの岩とこの炎を何とかしてくれ!」

「…………」

「おいどうして黙り込むんだ!? そのだんまりは許されないぞ!?」


 俺は待ちきれなくなってアリスバンドの外殻を剥がそうと試みる。だが思いのほか表面がつるつるしていて指先に力を加えられない。む、無理ゲーだ!


 火の手が強まって安全地帯がどんどんと侵食されていく。立ち込めつつある黒煙が俺の気管支に到達し、ゴホゴホと咳が出た。


「や、ヤロっ! こうなったら足で踏み砕くしかないな……!」

「それはらめぇー! ゲートが潰れちゃうよぉー!」

「知るか! そっちでバリアーみたいのでも出しとけばいいだろ!?」

「あ、そだね。よよいのよいじゃん」


 ……よよいのよい? いやどっちなんだ……?




「―――ねぇ、気でも狂った? さっきからブツブツ誰と話してんの?」




 揺れ動く業火のカーテン。

 その合間から奇姫が愉しそうに俺を見物していた。


「ひょっとして地獄の閻魔様とかしら? けどお話するにはちょっとまだ早いんじゃないかしら? それとも練習のつもりなのかしら? 良かったらあたしが練習相手になってあげてもいいわよ?」


 やはり奇姫は俺を殺す気がある。

 これが冗談だったら俺を助けるべき頃合いのはずだ……!


(くそ! 死にかけの相手を煽るとか、最低なヤツだな!)


 気づくと俺は奇姫に口撃を始めていた。


「うるさい! このなんちゃって意識高い系の姫っ娘野郎が! おーっほっほっほとか、いちいち時代が古いんだよ!!」

「ふ、古いっ!?」


 奇姫がうろたえた様子を見せる。だがそれはほんの一瞬だった。

 驚愕に見開かれた彼女の瞳が、すぐさま正気―――勝気を取り戻す。


「……ほほっ、この度はお熱いなか遠吠えしていただいてどうもありがと。それじゃ負け犬さん、そろそろ舌を出して命乞いしてもらうわよ?」

「命乞い? はは、俺がするわけないだろが!」


 ついに頭上に到着した岩石を見上げながら、俺は場違いにも笑ってしまった。

 そう、場違いだ。おかしい。俺はさっきまで怯えてたのに、こうしてあとは落ちるだけとなった岩石を、まるで今か今かと待ち望むような気分だ。なぜだろう。


「いわゆる……ってやつじゃないの?」

「! ああ! そういうことか!」


 アリスの一言で俺は納得した。主人公補正。なるほど、どうりでこの土壇場になっても死亡フラグが回収されそうな気配がしないわけだ。つまり俺はこれからも生きているから余裕ぶっていられるんだ!


「や、そもそも死亡フラグぽいのあった?」


 それは……なかったかもしれないな。


「まぁいいんだよフラグなんて。なかったらないんだし、あったんなら俺の主人公補正で折れたってことだ。どっちにしろ俺が死ぬ心配はない!」

「ま、またブツブツと……! あ、あたしをシカトすんじゃないわよ、憑々谷子童の偽者! さっさと命乞いしなさい! 本当に岩を落とすわよ!?」

「だから落とせばいいだろ」

「は、はぁ!? あんた、死にたいの!?」


 バーロー、まだ彼女もできたことないのに死にたいわけないだろ(常考)。


「あははー、策がないのによく言うねえー?」

「うっせ、ラノベ主人公はボーっとしててもモテるんだ。だったら考えなしなぐらいで死ぬはずないだろ。これ常識、テストじゃサービス問題だ」

「うん。キミ今、自ら死亡フラグを立てたっぽい気がするんだけど」


 心配と呆れを含んだアリスの声。しかし俺の自信はウナギのぼりに増すばかりだった。ついには奇姫に挑発してしまう。


「どうした奇姫? まさかだがお前、俺にここまで仕掛けておいてあの岩を落とさないつもりはないよな?」

「っ!?」

「別の訊ね方をするぞ……。お前、って最悪のオチに、ビビってたりしてないよな?」

「っ!?」

「してないよな?」

「し、してないわよ! だいたいあんたは、偽者! 偽者じゃないとこんなあたしみたいな自己中になんて……ああいう甘い言葉、絶対に囁いてくれないんだからッ!」

「甘い言葉……? あぁ、超大当たりってやつか?」

「そ、それよ! あたしの知ってる憑々谷子童が軽々と言うわけないのよッ!」


 ……いや、それはどうなんだ? 仮にもう一人の俺が本物で、俺が偽者だったなら、ちゃんと本物が超大当たりって言ったことになるのだが。


(って、ややこしいな? そもそも奇姫は俺の二重人格を疑ってるわけじゃないんだろ? 本物が憑々谷子童で、偽者が『彼に変装した誰か』って予想なんだろ?)


 そうだ。奇姫は俺を二重人格と疑って本物偽者って言ってるわけじゃない。

 ごく単純に、俺が憑々谷子童のフリをしている別人だと疑っているのだ。


「そうか、じゃあそっちで定義しておかないとな……」

「は、はあ?」

 

 憑々谷子童の偽者。それを二重人格という意味ではなく、赤の他人という意味で定義したなら―――。


「なぁお前、肝心なことを忘れてないか?」

「な、何よ……?」

「さっき話した、俺の女子風呂覗き未遂事件。あれはどうなるんだよ?」

「は? どういうことよ?」

「分からないのか? あれを俺が知ってるのは、俺が本物の憑々谷子童である何よりの証拠だろ? 違うか?」


 俺は手始めにすっとぼけてみた。

 そう、この指摘に対する回答は俺自身がすでに持ち合わせている。


(改めて気をつけるべきはここが夢の中だってことだ。俺の常識が通じない世界と言っていい。奇姫が透明人間になったり、相手の思考を読んだり、岩石を空中に浮かばせたりできる。……だったら、過去を盗み見る異能力があっても不思議じゃないんだ)


 憑々谷子童の過去を盗み見たという可能性。それを否定できない以上、俺が本物の憑々谷子童である証拠にはならないのだ。

 学園最強の異能力者……なんて噂があるようだが、過去を盗み見られるぐらいのヘマはするだろう。


「だいたいな、俺が今こんな目に遭ってんのは、お前がヒトの言葉に素直じゃないからだろ」

「! それは……」

「とにかくまずは信じて受け止めろよ。超大当たりって言われたから本物かどうか疑うって、お前おかしいぞ」

「う、うるさいうるさいうるさい! そんな真面目腐った説教こそ、あの憑々谷子童がするわけないんだってばぁぁぁぁぁぁ!!」


 瞬間、奇姫が三度目を鳴らした。

 もうどうにでもなってしまえと見るからに捨て鉢な様子だった。


 巨大な岩石が俺の頭上へ向けて落下を始める。すでに避けられる空間はない。周りの火柱が俺の逃げ場を奪いきっていた。


 絶体絶命とはまさにこのことだ。岩石に押し潰されて死ぬか、火炙りになって死ぬか。ラノベ主人公じゃなかったらここで人生にピリオドを打たれていただろう。




[―――俺は、まだ死ねない!]




 きた! どうせくるだろうなと思ってたけどもう一人の俺だ! 

 地味に影薄くなってたけど大丈夫か? この状況を切り抜けてくれるんだよな? 頼むぞもう一人の俺!


真氷城塞アイスシャトー、発効!]


 そう叫ぶやいなや右足を上げ、すぐさま靴底を大地に再着陸させた。

 するとどうだろう! たったそれだけのイケてない技名と動作で、俺を取り囲んでいた火柱が一瞬で氷柱にすり替わった!


「こ、これは派生能力デリベーションスキル!? あんた、本物の憑々谷子童だったの!? さ、寒ッ!?」


 奇姫の愕然とする声音。だが俺は完全無視だ。すぐそこまで落下中の岩石が接近しているッ。


武神ノ剛腕ゴッドアーム、発効!]


 ウホッ、両腕がムキムキになった! キモいけどいける、袖が破けてアリスバンドもミシミシいってるけどこれで勝てる!


[うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!]


 俺はラスボスにトドメを刺す勢いで気合を入れると、か〇はめ波をするみたいな要領で両手首をくっつける。そしてそれを―――落ちてきた巨大な岩石へ思いきり解き放った!


 衝突し拮抗する力と力。

 だが俺は両の奥歯を強く噛み締め、勝利を確信して笑った!


(まったく、ラノベ主人公は最高だな! 体育祭とかで活躍するのとは比べモノにならないほどの快感じゃないか! 俺、体育祭で活躍したこと一度もないけど!)




[―――しまっ!?]




(…………………………………………………………。はい???)


 強制的に俺は足下を見る。……んん? どうして俺の両足が見る見る内に凍り付いているんだ? このままじゃ膝まで凍り付いてしまって、とてもじゃないけど立って居づらいじゃないか―――。


[くそっ! 異能力の制御がおろそかになっていたかっ……!]


 え? それってつまりどういうこ




 ……………………………………………………………………………………。




「あわわわわ……。結局死亡フラグ回収されちゃってるし……」


 アリスがそう小さく呟いたのが、辛うじて聴き取れた。

 遠くでは少女の悲鳴が上がっている……ような気がした。

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