第89話/怪物になった理由

第89話


 セイウチのような長い双牙が、トゲトゲな首輪の直下に突き刺さる。

 鈍い痛みを感じる。

 だが俺はそれでも愕然と頭を垂れ続けていた。


(な、何が起こってるんだ!? 俺は熾兎に殺されたはずじゃ……!?)


 なぜか熾兎の中の、グロキモな怪物に変貌していた俺。

 しかもそれだけではない。

 特撮に登場する怪獣に匹敵するくらい、巨大化していたのだ。


 そして眼下、大闘技場の観覧席では。

 観客達が蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑っている―――。


(そりゃ誰でも逃げるだろ、こんなクソデカい怪物がリアルに現れたらッ!! けどどうしてだ!? どうして俺は怪物になったんだ!?)


 俺の心からの叫びは、しかし下界には吐き出されなかった。

 まるで唇を縫われているかのように「ブフウウゥゥゥゥゥン!?」というキモい遠吠えになって轟いてしまうのだ。


(おい、おい、おいおいおいおいおい……!? ち、誓って俺の正体はこんなじゃないぞ!? い、いいいい意味分からん!!)


 混乱しすぎて暴れ出したい心地になった。

 だがこの怪物姿でそんなことをしたら大闘技場を破壊してしまう。そして大勢の罪なき人々を殺してしまうはずだ。


 無論、ここの観客達だけではない。

 下手をしたらこの街の……いや、この国の人々を―――。




『被害者面はやめてください。君だって自覚はあるはずです。君は……であると』




(!! んなぁ!?)


 い、いつの話だろう……? 

 トピアがそんなことを俺に言っていた……! 

 い、いやしかし……いやしかしだなッ!?


(というか、そうだよ! この怪物は熾兎のだろう!? 俺の知らない憑々谷子童が、彼が! 熾兎を精神的に追い詰めて、狂わせてッ!! だからこの怪物は誕生したッ!! 最強の異能力者と自負する彼でも勝てないと悟ったほどの……怪物にッ!!)


 やっぱりこれ、どう考えてもおかしいよな!? 

 決して憑々谷子童の正体は、こんなグロキモな怪物じゃない……ッ!!




「……はぁ。何て皮肉なのよ……」




「!! ブ、ブフウウゥゥゥゥゥン!?」


 下ばかり見てたから気づかなかった。 

 熾兎がこの怪物の肩に座ってぼんやりと風景を眺めていた。


「いやぁー、ビックリだわ。まさかこんなにあんた大きくなってただなんてね。差し詰め『無意識に発現した異能力は無意識に成長する』ってとこかしら? もうホント皮肉、これじゃボーナスステージで強くさせてあげた、このあたしこそが諸悪の根源じゃん」

「ブフウウゥゥゥゥゥン!?」

「あーうるさいうるさい、あたしの声聞こえてるんでしょ。黙りなさいよ。観客達が絶賛避難中だからあんたにネタ晴らしする時間あるし……、気になるんでしょ?」


 訳知り顔の熾兎は話すつもりでいたらしい。

 俺が記憶喪失のせいで事情を知らないと把握できているからだろう。


 もちろん俺は知りたかった。

 これ以上遠吠えしなくて済むんだったら、俺だって静かにしたい。

 ここは努めて冷静に、彼女に従う他ない。


「…………。へぇ? タワシのくせにやるじゃん。けど、いつこの怪物が暴走するか分からないからね。そもそもこれはあんたの意志に左右されない異能力のはずだし」


 え? この怪物は異能力……? 

 しかも俺の異能力だと……?


 疑問ばかりが増えていく俺に、いよいよ熾兎は語り始めた。


「……実はこの怪物、あんたが生まれて初めて発現した異能力なのよ。その昔強盗目的の異能力者に殺されかけた時、あんたの中の生存本能が産み出したのがこの異能力でこの怪物。つまりあんたの『殺されたくない』っていう気持ちに、生存本能が応えたってわけ」


 ! じゃ、じゃあやっぱり俺の異能力で合っているのか? 

 だから俺は今この巨大な怪物になったというのか? 

 俺の生存本能によって、無意識の内に……?


「……あんたはこの怪物に化けて復活し、強盗達に致命傷を負わせた。もちろん相手は全員、大人の異能力者。だけど暴走状態のこの怪物は強かったわ。当時は今のあたしよりずっとチビだったけど……


 すでに最強……? 

 じゃあ憑々谷子童は……オニイチャンだけのエクストラボーナスステージで特訓を始める前から、最強の異能力者、だったのか……?


「だけど……ね。あんたの生存本能が引き起こしたこの奇跡のせいで、あんた自身はただならない恐怖を覚えてしまったのよ。あまりに最強すぎる自分に……ううん、


 恐怖を覚えてしまった? 

 この異能力……この怪物に対して?


「それであんたは『殺されたくない』って酷く思うようになった。暴走して必要以上に人を傷つけしまうことを何よりも恐れた。だからこそ……のよ」

「ブ!? ブフウウゥゥゥゥゥン!?」


 ま、まさか!? 俺はとんだ勘違いをしていたのか!? 

 彼が最強の異能力者を目指したのは、純粋に殺されたくない、死にたくないから、ではなく……!!




 実はその先、

 この最強の怪物に変身したくなかったからだったのかッ!?




「あとは想像がつくでしょ。あたしが発現できたボーナスステージであんたは急成長。自称最強の異能力者になった。だけど更なる高みを目指してしまい、結果あんたはあたしを狂わせた。あたしは『お兄ちゃんはモンスターじゃない』って必死に堪えてたのに……あたしはこの怪物を真の最強と認め、サタンを最強の座から降ろしてしまった。そう、あたしはあたしと等身大のこの怪物に……、してしまったのよ」


 ……な、なら!? この怪物が熾兎のオリジナルではないのは言わずもがな! 

 彼が『勝てない』と悟って逃げたのは、彼自身がまだこの怪物に勝てないと予想できていたから!? 

 予想できていながら『何ならこの俺を想像してみるか!?』なんて挑発したと!?

 つまりそういうことなのか……!?


「あたしはね? 自分の中の怪物にさえ打ち克ちたいって努力するあんたを、心の底から応援してたのよ。ずっと特訓に付き合ってあげたのはそれが理由。ボーナスステージを発現してあげたのもそれが理由。他意はない。あたしの全部があんたのためだった……」


 熾兎が立ち上がる。

 漆黒の大鎌を振るい、吸盤だらけの触手を一本、切断した。


「―――あんたはこの学園に入って、あたしが変身したこの怪物にひよって、自堕落な生活を送るようになった。癒美さんと何かコソコソやってるのも知ってたけど、とにかくあたしは気に留めないようにしてた。だってあたしの心は今も昔も変わってない―――!」


 熾兎が俺の瞳を射抜く。きっと深海魚のような小粒な瞳を。

 そして覚悟を決めた表情で、




「―――お兄ちゃん! あたしは一秒でも早くあんたをこの怪物から解放してあげたいの! たとえあんたが諦めても、あたしは絶対に諦めない! あたしが強くなって、この怪物を倒しさえすればッ! それで何もかもスッキリ解決するはずなんだからッ!!」

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