第6章/世界で一番狂った恋心

第50話/気が変わった

第50話


 時刻は二十三時半を回っていた。


 トピアの別荘もとい資材倉庫にはシュレディンガーの空箱が発効してある。

 黄色い紗のおかげで倉庫内は日中のように明るい。たとえ外が真夜中でも倉庫外から観測するのは不可能とのことだった。


「……それでは、始めますね」


 トピアが制服のポケットからスマホを取り出す。

 アルパカのストラップを揺らしながら操作することしばしして、




『どうしたトピア。こんな時間に連絡をよこすとは珍しいじゃないか?』




 ―――大和先生の声だった。

 スピーカー機能をオンにしているので、トピアはスマホを耳に当てずに返事する。


「すみません夜分遅くに。……大至急報告しなければならないかと思いまして」

『……ほう? 憑々谷関連か?』

「はい、その通りです。えっと、いきなりで驚かれるか分かりませんが―――」


 自身がまだ戸惑っているかのような声音で、トピアは言葉を継いだ。

 






『…………………………………………。な、何?』

「先生、とにかく急いで来てもらえませんか。場所はわたしの別荘です。今わたしは彼の遺体の傍にいます」

『あ、あぁ、すぐそちらへ行くとしよう。一旦切るぞ。……オヤジ、勘定だ! え、トイレに行く? ふざけるな! 漏らしてでもこちらが先だ!』


 よほど衝撃的だったのだろう、大和先生はトピアに従順だった。

 仮に平静を保てていたなら、まずトピアに説明を求めたはずだ。


 通話を終えると、トピアは今のやり取りの感想を溢した。


「不謹慎ですが爽快でしたね。先生の慌てぶりが目に浮かびます」

「そうだな。どっかの屋台で食ってたぽいし」


 の俺は、トピアに頷いた。


 いや。ややこしくなるから訂正しよう。

 の俺は、トピアに頷いたのだ。


 つまり俺は今、普通に生きていた。

 ただ普通と違うのは、昨日から着ている私服に血糊がべっちょりと付着していて、俺の足下には血糊の水溜まりができあがっていることだ。


(俺がこの水溜まりの上で横たわってたら、先生はどんな反応するんだろうな)


 すでにトピアは俺を殺してしまったと報告したのだし、大和先生は本当に俺が死んでいると見間違えるはずだ。

 その上で何らかの反応があって、嫌でも隙を見せるはず。

 その隙こそがトピアにとって不意打ちのチャンスであるわけだ。


「憑々谷君」

「任せろ! 特訓の成果を見せてやる!」


 俺は親指を立ててトピアに自信の程を示してやった。

 それから血糊の水溜まりに横たわり、腹を刺されて悶え苦しんだ演技をしてみる。

 こうすればさらにリアルっぽい遺体になれるはずだ。


(……ああ分かってる。ラノベ主人公が遺体役をさせられてるんだ。しかもそのために昨日から今まで特訓したんだ)


 貶したきゃ好きなだけ貶すといい。

『おい信じられるか? こいつラノベ主人公なんだぜ……?』と(号泣)。


「……うっ! ツっきん、あたし潰れちゃう」

「あ、すまん」


 アリスは俺の私服の胸ポケットに隠れていた。どうやら地面と接触させてしまったらしく、俺は身を隠したままのアリスに謝った。


「んもう、気を付けてよね」

「分かってる。……よし、準備万端だ。トピア、後は頼んだ」


 辛うじて顔が倉庫の出入口が見える俯き具合に調整し、すっと目を閉じた。


「はい。成功させてみせます」

「ああ……成功させないとな」


 もちろん俺は知っている。

 この不意打ち作戦は著者によって失敗すると。

 しかし俺はトピアにそのことを伝えていなかった。

 伝えたら彼女は別の方法を模索して頭を悩ませてしまうからだ。


(それだったら伝えないままの方がいい。トピアに余計な負担をかけさせたくなかった、俺なりの気遣いだ)




「――――来ました」




 俺が遺体役の準備を終えてから五分経っただろうか。

 トピアが足下で横たわる俺に届くくらいの声量で囁いた。


「……っ」


 俺はほんの一瞬だけ目を開け、大和先生らしきスカートスーツ姿の女性を視認。

 緊張で息が荒くなりそうなのを全身全霊で防いだ。


「トピア、説明しろ。これは一体どういうことなんだ?」


 大和先生の目にはそれはもう悲惨な光景として映っていることだろう。

 とはいえトピアが連絡した時よりもだいぶ落ち着き払った声だった。


「見ての通りです。わたしは憑々谷君と武闘大会の特訓中でしたが、気が変わって彼を殺しました」


 トピアは素っ気なく告げた。


「気が……変わっただと? すまない、意味が分からんのだが?」

「大和先生、あなたは先週の金曜日に宣言しましたよね? 彼に、『お前を四日後に殺すぞ』と」

「……、盗み聞きしてたのか?」

「はい。彼からも直接教えてもらいましたが」

「続けろ」


 気のせいか先生の鋭利な視線を感じる。

 当然ながらそれを確認するわけにはいかない。

 俺は必死の思いで遺体役に徹し続ける……!


「あなたが四日後に憑々谷君を殺すと知って、当初わたしはあなたを止めるつもりでした。上からの指示でもないのだから、そんな暴走を許してはならないと。彼ではなくあなたが暴走してどうするのだと」

「だがなトピア。初戦で様子見は手遅れだぞ。執行部でもそういう意見が大多数だ」

「はい。ですからあなたが明日彼を殺したとしても、あなたは軽い処分で済んだことでしょう。……いえ、違いますね。国一つを滅ぼしかねない異能力者を殺したのですから、英雄にでもなっていたはずです」

「わたしが英雄になる? バカな、誓ってそんな思惑はなかったぞ」

「では何のためでしょうか? 少なくとも『点数稼ぎ』が目的なのは違いありませんよね?」

「……、そうだな」


 トピアが大和先生を言い負かしたようだった。だがそれは些末な問題だ。

 この会話中にいかにして先生に隙を作らせるか。それが重要だ。


「だったらと考えたのです。どの道あなたが憑々谷君を殺して、点数稼ぎをして、執行部の手柄になってしまうのだったら、」

……か?」

「はい。気が変わったとは、つまりそういうことです」

「……………………ふっ、こりゃやられたな」


 大和先生が薄く笑ったのが分かった。


「トピア。まさかお前がこのような行動に打って出るとは思わなかった。大変賢いが、お前らしくない。捨て身の覚悟で憑々谷に挑んだのだろう?」

「大げさですよ。あなただって例の手合せを見ていたはずです」

「あれは憑々谷が全力ではなかっただろう……っと、そうか。お前は今回も憑々谷を―――」

「理解いただけたようで何よりです。相手が強敵であったとしても、本気であったとしても、全力さえ出させなければ案外あっさり勝ててしまうものですよ」

「……はあ……」


 作戦は順調だ。

 大和先生の嘆息は俺の死を信じ切っている証拠と言っていいだろう。


「やれやれ。思い返せばあの時のお前は無慈悲だったな。寝起きのヤツに殴打の猛襲とは正気の沙汰ではない。しかも当時の憑々谷はまだ異能力者最強と疑われていなかったのだぞ?」

「ですから結果オーライでしょう。あの手合せのおかげで疑いが強まったじゃないですか」

「開き直るなよ。憑々谷が一般生徒だったら異能警察をクビになっていたんだぞ」


 依然として大和先生は俺の演技に気づく様子がない。

 だがもうそろそろトピアには不意打ちのチャンスを見出して欲しいものだ。

 心臓バクバクで死んでるフリって、かなり無理がある。

 寿命を縮めてまで無理をしている気がしてならない……(汗)。


 その時だった。

 大和先生がこちらに歩いてくる足音が聴こえ始めたのは。


「だがまぁ、憑々谷は死んだ。この事実にはどの部署も諸手を挙げて喜ぶべきだろう。世界平和にまた一歩前進したのだからな。……どれ、異能力者最強と目された男の死に顔を拝ませてもらおうか」


 足音が、よく聴こえる。

 ……って、え? これって相当近くないか? 

 目で確認できなくても先生との距離が近いと気づけた。


「ダメです。それ以上は近づかないでください」

「ん? なぜだ?」

「彼の半径一メートル以内に超高電圧領域を発効しています。領域に触れれば火傷程度では済みませんよ」


 ……はは、何だそれ? 

 全然聞いてないですよトピアさん。ハッタリですよね? 

 本当だったら俺、ここから動けないじゃないですか。


「ふん。ハッタリだな。そんなご大層な異能力は落雷被害でも経験しなければ獲得できん」

「はい嘘です。あなたには彼の死に顔を拝む資格がない、そう思って吐いた嘘です」

「……資格がない、か」

「自覚がないとは言わせませんよ?」

「なるほどな。ここ数日で余程わたしは憑々谷を追い詰めていたのだな……」


 先生の寂しげな声だった。もしかしたら無念、とでも思っているのだろうか。

 いずれにしろ俺はたった今、トピアに助けられたのだ。

 至近距離で顔を覗かれたらさすがに演技だとバレる自信がある。


「分かった、惜しいが引き下がろう。わたしだって同じだ。憑々谷にはわたしの死に顔を見られたくない。きっとムカつきすぎて成仏できんのでな」

「この半年で相当謝っていましたよね。彼が迷惑をかけた、関係各所に」

「あぁ、地獄のような半年間だった。……くそ、やはりわたしの手で殺したかったな……」


 …………う、うん。演技がしんどくなってきた。

 トピア、一刻も早く大和先生に不意打ちを仕掛けてくれ(焦)。


「……なぁトピア。一ついいだろうか」

「? どうしました?」

「その……だな。さっきお前が言ったように、わたしに憑々谷の死に顔を拝む資格がないのは納得した。だからわたしはお前に従おう」

「そうですか」

「ただどうか……どうかには、黙って許可を出してもらえないだろうか?」

「………………はい?」


 ………………はい???


 次に来るヤツって……? 

 トピアは大和先生しか呼んでいないのだが……?


「そろそろ到着するはずだ。少し待ってもらえるか」

「―――いや。丁度到着しましたよ、大和先生」

「っ!? ど、どうしてあなたがここへ……!?」


 俺は両目を閉じたままなので状況が掴みにくい。だがトピアの動揺っぷりや聞き覚えのあるアニメ声からして、何が起きたのかは明白だった。


 それこそ目に見えるような緊急事態だ。




「それで先生。タワシが死んだって、ホントですか?」




 俺の妹の熾兎が……!

 憑々谷熾兎がここにやって来たのだ……!

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