第12話 新幹線 西へ
かぐやは東京駅で、教団副代表の一行と合流した。
政府公人ではないため、警護者はすべて私服で目立たない
かぐやも、地味なチャコールグレーのスーツに、黒を基調としたダブルボタンのチェスターコートを選んだ。靴は低めのヒールで、機能性を重視した。
武器は愛用のナイフを2本、バッグの奥に押し込んできた。
銃は基本的に国内では携行しない。
「有紗、こっちだよ」
北大路威宏が元気な声でかぐやを呼んだ。
馴れ馴れしすぎると苦笑しつつ、かぐやは横に並んだ。
威宏は、いたずらっぽい笑顔でかぐやの顔を
「シックな服も素敵だね・・・僕も地味なスーツにしたよ。目立たない服にしたほうがいいと思ったからね。どう、似合ってる?」
スーツの色合いに対して、ネクタイがやや派手に思えたが、かぐやはうなずいた。
「似合ってます」
「僕たち、周りからどう見えるかな?きっと、仲のいい夫婦か、恋人同士に見えるよね。友達の結婚式にでも行くような感じで」
「さぁ・・・」
「だから、自然に見えるようにした方がいいと思うんだ。だから、僕のことも名前で呼んでよ」
「それは、ちょっと・・・」
「子どもの頃は、そう呼んでたじゃない、タケヒロとか、タケちゃんとか・・・それとも、北大路さんとか、副代表とか呼ぶつもりなの?」
「そうですね・・・どちらかで」
「不自然だよ、そんなの。周りから浮いちゃうよ」
「そんなことはないと思うけど」
「そうそう、そんな感じでしゃべってよ。昔みたいに、仲良くやろうよ」
威宏の明るい笑顔を見ると、かぐやはそれ以上何も言えなかった。
午前10時20分発、のぞみ223号、新大阪行き。
到着予定時刻は、12時38分、途中停車駅は3駅である。
今まで、白昼、人目の多い所での襲撃はなかった。
しかも、新幹線での移動中は、ほとんど密室になる。相手が自爆犯でない限り、列車内では安全といってよかった。
問題が起こるとすれば、京都入りしてからではないか、かぐやはそう読んでいた。
窓際のE席に座ってはしゃぐ威宏に、D席のかぐやは適当に相槌を打っていた。
いつまでも子どものようなところがある、これで、あの日本最大の教団を受け継いでいけるのであろうか?
かぐやが疑問に感じるほど、今日の威宏は陽気だった。
新幹線のぞみ223号は順調に西に進んで、30分後、茅ケ崎の近くに達した。
「あっ、見えた」
威宏の声に顔をあげると、かぐやの目に遠く富士山のシルエットが見えた。
しばらくしてシルエットは消えたが、44分後、トンネルを抜けると、山頂に真っ白な雪を頂く富士山が間近に姿を現した。
「有紗、見てよ。やっぱり、いいね」
「空気が澄んでいて、とても綺麗・・・」
「そうだね。ねぇ、知ってる?富士が信仰の対象となっていること」
「山頂に、鳥居があるんでしょ?」
「富士山本宮
かぐやはかぶりを振った。「登ったことはないの」
「じゃ、今度一緒に登ろう。空気は薄いけど、歩くのは特別難しくない」
「あの雪が溶けないと無理ね」
富士山がさらに近づいてきた。
「そう、7月から8月までの短い間だけ。その二カ月が過ぎれば、富士はまた、手の届かない神々しい山に戻るんだ。富士を祭る神社が全国にいくつあると思う?」
「100ぐらい?」
「ざっと、1300社が、何らかのかたちで富士を祭っている」
「そんなに・・・」
「自然の脅威は、日本人に畏敬の念を起させる。宗教の始まり、原型となるんだね。富士山はまさにその象徴さ」
「キリスト教やイスラム教とは違うのね」
「そう、日本人のほとんどは絶対神を心にもたない。だけど、それは無神論とか、神を信じないこととは違う。神は自然の中にいて、自然そのものが神だと信じてきた」
「じゃあ、仏教の教えとも違うんじゃない?」
「仏教が大陸から渡来して、権力者は国造りに仏教を利用しようとした。古来、日本人が信じてきた神と、仏教がもたらした仏をいかにうまく融合させるか、それが権力者にとって最大の課題だった」
「解決策は?」
「神は仏が姿を変えたもの、本質は同じという考え。
「ご都合主義に思えるけど」
「見方によるね。支配する側は仏教を推し進めたい、支配される側はそれまで信じてきた神を捨てたくない。じゃあ、いいとこ取りしようということになった。今でいう、ウィンウィンの関係じゃないかな」
「外国の人が絶対に理解できない、日本人独特の感覚ね」
「だから、明治時代になって禁教が解かれたキリスト教も、思うように信者を増やしていない。多くの日本人の皮膚感覚、深層意識とずれているからなんだ。増やすことができたのは、日本人の宗教観を理解できたもの、すなわち、大乗仏教の流れを汲む、わが『慈しみの教え』だよ」
「どんな教義なの?」
「簡単に言えば、ただひたすら題目、念仏を唱える。そうすれば現世利益を得ることができる。簡単な方法で、この世で幸せになれる。これは、一番大切なことで、難解な教理は敬遠される。戦後、学校教育のレベルが上がっても同じだ。人は面倒なことを嫌う。そして、今の世の中で、あの世での幸せを説いてもダメなんだ。今は、多くの人が、あの世を信じてないからね」
「簡単な教理ですむなら、次々と競争相手が現れそうだけど」
「ああ、星の数ほどいるよ。だけど、僕たちには長年培ってきた経験がある。ノウハウに満ちているんだ。そうだ、有紗には、特別にノウハウを教えてあげる」
「何?」
「恐怖だよ。千変万化する恐怖をいかに演出するかが大事なんだよ。大金持ちは破産する恐怖を、貧乏人は野垂れ死にする恐怖を、健康な人は病に伏せる恐怖を、愛し合う2人だっていつか心が離れる恐怖を抱いている。われわれの宗教は、慈しみの心を持ってその恐怖の救済を図るのさ」
「じゃぁ、なぜ、政治に進出したの?教団の教えと関係ないはず・・・以前は、そんなことしてなかったでしょ?」
「箔がつくじゃないか。日本政府が後ろ盾になってくれる。安心、信頼感は簡単に手に入れられるものじゃない。それを可能にしてくれるのが、政権与党に加わるという、われわれの戦略だったのさ」
「日本政府の信用を盾にして、恐怖を
「そうじゃないよ、忘れてはならないことを、きちんと意識させるのさ。世の中とか、自分の周りには、さまざまな恐怖が満ちていることをね」
「恐怖を感じない暮らしを、みんなは望むと思うけど」
「でもさ、それは麻痺してるか、都合良く忘れてるだけで、本質的な救いにはならないよ。例えば、あの秀麗な富士山だって、奈良平安時代には噴煙を上げていた。噴煙を見れば、人は噴火の恐怖を感じるだろう?でも今は噴煙は上がっていない。だから、誰も富士山を危険な山だなんて思っていない」
「噴火したの?」
「噴煙が収まってから、いきなりね。江戸時代には、宝永の大噴火が起こった。白い雲が湧き上がったかと思うと、高温の噴石が大量に吹き出して家を焼き、田畑を埋め尽くした。大勢の人が噴石で砕かれて死んだ。その後、火柱が立ち上り、火山性の稲妻が空を飛び交ったそうだ」
「江戸はどうなったの?」
「白い灰が降り、やがて黒い灰に変わって、江戸全域に数センチの灰が積もったらしい。灰が空を覆って昼間も暗く、明かりをともす必要があったし、風に吹かれて舞い上がった灰は、江戸の住民の呼吸器に深刻なダメージを与えたという」
「数センチで、そうなってしまうの?・・・」
「それだけじゃない、大量の火山灰は、その後、長い間洪水の原因となったらしい。川に流れ込んで滞留したんだ。おかしいのは、その時の将軍は、人間よりも犬を大切にしたことで 評判の悪い徳川綱吉なんだけど、この噴火の原因は、綱吉の悪政のせいだといわれていることだ。天が怒ったとね。自然災害は政治にも影響するんだよ」
「自然災害の恐ろしさはみんな知ってるけど、どうしようもないことだってあるでしょ?」
「そうかな?富士山が沈黙して300年が経つ。噴火は間近に迫っていると考えている学者は少なくない。事実、すぐ近くの箱根では異変が起こったよね。それから、東海、東南海、南海沖大地震は近いうちに90パーセントの確率で起こると言われている。自然災害の恐ろしさを知っているなら、少なくとも、逃げ出すことぐらいはできるよね。ところが実際にはどうかな?持ち出し用非常袋さえ備えていない家庭がざらにある・・・人は目の前の恐怖にしか、反応できないんだよ」
「だから、恐怖を教える教団が必要ってわけ?」
「そうさ。もちろん、オブラートにくるんで、優しく言うさ。慈しみの教えだからね、ストレートなもの言いはふさわしくない。人々は説教を聞くことで教団に帰依し、結果として自然災害の脅威を最低限に抑えられる。それどころか、こころの平安を得て、満ち足りた暮らしが送れる。信徒数1000万はだてじゃない」
「本当の数?」
「外向けにはね。めざすは2000万人」
かぐやには、威宏の語ることが正しいのか正しくないのか、判断できなかった。
ただ今までは、威宏は子どもが大人になったような、脳天気なぼんぼんだと思っていた。 しかし、実際は、ひとかどの教養を身につけた宗教人であることがわかった。
かぐやの知らないところで、威宏は、信徒1000万人を束ねる次期教団代表に成長していたのだ。
歳月は、人を変えるのである。
天翔ける月姫Ⅱ 都編(仮) 龍青RYUSEI @daches11
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