第35話

 控室にいてもステージでやっている曲は聞こえるもので、今は高い男性ボーカルが聞こえる。


 開演してから未だ数分。歌っているのはチクバの巧真って人なのだろう。


 男が歌っているだけあって力強く、言い方を変えれば荒々しい曲で俺が歌っていた頃には何曲かこういう曲も歌ったなと懐かしく思う。


 歌の巧拙に関して何か言える人間ではないしクリアには聞こえていないのだけれど、喧嘩を売って来ただけの事はあるんじゃないのだろうか。


 何せ、軽く挨拶した程度の間柄だがこの次にステージに立つバンドの表情――控室は一部屋だけで、それぞれのバンドが島を作って出番を待っている――が一曲目が始まってから一気に強張ったのだから。


 逆に安心したと言う表情を見せるところもあるが、たぶん三番目。


 不安や安堵、もちろん緊張なども入り混じった空間で俺達自身のバンドに目を向けても、いつもの調子で雑談だったり、楽器の点検だったりをしている。


 何処か場違いなような、でも安心するような感じで、ユメも桜ちゃんに声をかけた。


「桜ちゃん、このバンドどう思う?」


「どうって言われても困ってしまいますが、言うほどの事はあるって感じです」


「やっぱりうまいよね」


 ユメが感心した声を出したが、桜ちゃんは何やら残念と言った様子で首を振っていた。


 その反応が意外だったのか、ユメが首をかしげる。


「でも、本当に言うだけの程しかないと思いますよ?」


「どう言う事?」


「こういう事を言うと失礼かも知れませんが、演奏に関して言えば各パート綺歩先輩と同じか少し下と言ったところでしょうか」


「単に綺歩がすごいだけじゃないかな?」


「ちゃんと聞いてみないと分かりませんけどね。


 歌も上手いんですが、どうにも自分に酔っているような印象があるので桜は好きじゃないです」


「確かにちょっと格好つけている感じがするかな」


 でも、ステージの上で多くの人に自分の歌を聞いて貰うのは、妙な高揚感がありその中で格好つけたいという気持ちも分からなくはない。


 ユメがはっきりと桜ちゃんに同意しないのも共感するところがあるが故だろう。


「ところで、先輩はどうして桜にそんな事を聞くんですか?」


「実はもう一つ訊きたいことがあって、そっちを桜ちゃんが分かっていそうだったから」


「もう一つですか? ああ、ネットの奴ですね」


「そうそう。アイドルと作曲家だったっけ?」


「やっぱりと言うか、ユメ先輩達はネット全然やっていないみたいですね。


 どちらも正確な年齢は公開していませんが、桜達と同じ高校生。アイドルの方は顔を出して大々的に活動しているので割と有名です。


 テレビには全く出ていないのでやっぱりネットをやっていないと知る機会はないですが。


 作曲家の方は小さなホームページで無料もしくは有料で素材を提供しています。


 名前自体は有名ではないですが、楽曲は色々な所で使われているのでもしかしたら耳にしたことがあるかもしれないですね」


「わたし達と同い年くらいで、そんなに頑張っている人がいるんだね」


 ただただ感心した様子のユメを前に、桜ちゃんがステージの方を指さした。


「チクバの人たちが演奏している曲も、その作曲家の曲をベースにしているみたいです」


「そうなんだ」


 ユメは興味深そうに聞こえてくる音楽に耳を傾けて、メロディーを追いかけはじめた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 チクバの演奏は好評だったようで一組目にしてハウス全体が盛り上がっていた。


 控室に戻ってきた彼らは俺達を一瞥をしてから、勝ち誇ったかのような顔で出て行った。


 その態度を取っていたのは巧真って人だけで、絢さんは笑顔でこちらに手を振ってくれていたし、真希さんは獲物でも見るかのような目でこちらを見ていたけれど。


 自分たちの演奏が終われば、すべてのバンドが演奏し終わるまで自由に行動していいので出て行こうが、控室にいようが他のバンドの演奏を表から見ていようが構わない。


『チクバはどうするんだろうな』


「絢さんと真希さんは他のバンドを見ていて、巧真って人だけ外に行くんじゃない?」


『やっぱりそうなるのかな』


「控室に戻ってきたくてもわたし達が居るからね。わたし達が演奏する時には三人そろっているかもしれないけれど」


『今は自分たちの出番に集中だな』


「妹達の前で格好悪い姿は見せられないからね。とはいっても暇」


『余裕だな』


「色々ありすぎて逆にね」


『でも、もう何もないだろ』


「そうだと良いんだけど」


 苦笑するユメの声は何かを予感しているかのようで、ステージの方から新しい歓声が上がっていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 自分たちの順番になると、急に忙しくなる。


 単純な話、撤収、準備に時間がかかると全体の時間が伸びてしまうから。


 俺やユメはマイクスタンドの調節くらいで特にやることはないが、他のメンバーは違う。


 何か手伝えればいいのだろうけれど、足手まといにしかならないので下手に手伝わない方がいい。


 だから来てくれた人に目を移す。


 広くはない空間に人がひしめき合っている。ひしめき合っているは言い過ぎかもしれないが、少なくとも前の方は熱気で暑いくらい。


 後ろは休憩スペースだけあって人は少なめ。後ろだからと顔が見えないと言う事はなく、テーブルでドリンクを飲んでいる妹たちと目が合った。


 優希が思いっきり手を振り、つられて藍が控えめに手を振る。ユメも手を振りかえして場内観察に戻る。


 チクバの人たちも見つける事が出来た。


 絢さんは身振りで頑張ってと言ってくれているようだが、真希さんは品定めでもするかのようで少し怖い。


 俺達の予想は外れてしまったらしく、巧真さんはいなかったが、いても良い顔はしていないだろうからいなくて良かったかもしれない。


 全員準備ができたらしく、それぞれに目で合図をする。


 それでははじめようかと一誠がスティックを掲げカッカと鳴らした時、ブラウン管テレビの電源を切ったかのようなブチンと言う音を立てて辺りが暗くなった。


 場内の様々な場所で小さな悲鳴のような声が上がり、何が起こったのかわからなくなった中、「停電か?」と誰かが言って会場がざわめきだす。


 先ほどまで明るかった反動か近くにいるはずのメンバーの顔も見る事が出来ない。


 当たり前だが、こんな事態を想定はしていないのでどうしたものか。


 流石にメンバーも驚いているのか誰も何も言わない。


 とりあえずライブハウス側の指示を待った方がいいのかもしれないけれど、待っていたらユメが歌える時間が短くなってしまう。


 音楽室よりも広い場所で、目の前に沢山聞きに来てくれている人がいるのに。


 間違いなくユメに不安はないだろう。だったら、俺は上手く背中を押さなければならない。


「ねえ、遊馬良いよね?」


『普段の倍くらいの声は出さないといけないと思うぞ?』


「でも歌うのは一時間だけでしょ? 最初の数分無理しても無理に入らないって」


『ま、楽しそうだしな。今から少しの間だけは俺達の歌しか耳に入らないって言うのは』


 幸いまだユメの声は響くだろう。ユメの声はそう言う声だ。


 電気が届いていないと言う事はスピーカーなんかも使えないだろうし、メンバーはきっと何もできない。


『思う存分歌ったらいいさ』


 ユメがニコッと笑ったような気がした。それから、スーッと大きく息を吸う音が聞こえる。


「会えない夜に 嘆くより


 会える時間を 想い眠ろう」


 こんな風にアカペラで大勢に聞いて貰うのは初めてじゃないだろうか。


 だけどユメの歌はいつもと変わらない。歌う事が全てであり、文字通り歌うためだけに生まれてきたのだから当然なのかもしれないが。


「会えない時間が不安でも


 大きく首を振って笑おう」


 ざわめきはいつの間にか消えていた。


 暗闇に慣れてきて、観客が一心にこちらを見ているのが分かる。


「貴方は今何をしているの? 何を考えているの?


 私は貴方を笑わせたくて 少し馬鹿な事を考えています」


 ようやく電気がつく。暗闇に慣れてきたところに眩いばかりの光が容赦なくやってくるので今度は目が眩んでしまう。


 それでもユメは歌うだけ。急にマイクに声が入っても困るから電源を切って。


「食べられるようなったと嘘をついて 回転寿司に行ってみようか


 川辺で平らな石を見つけ 子供のように遊んでみようか


 それを見て貴方は少し呆れて それでも笑ってくれるだろうか」


 サビに入るまでの間奏、ユメがマイクのスイッチを入れ直す。


 それが合図。目で合図を送ることもなく後方から聞き慣れた演奏が聞こえてきた。


 後ろを見ると皆思い思いの表情をしている。


 呆れていたり、非難していたり。でも、一様に楽しそうで。


 まるで青春ドラマでもやっているかのような気分でサビに入った。


「貴方と会えない夜こそが 貴方を笑わす作戦タイムで


 それでも貴方に会ってしまうと すべてを忘れて甘えてしまう」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 曲が終わり、余韻を待たずに会場が歓声と熱気に包まれる。


 ユメは静かに、でも大きく深呼吸をしてからマイクに向かって話し始めた。


「皆さんはじめまして、北高軽音楽部です。


 もしかしたら初めてじゃない人もいるかもしれませんが、見ての通り増えたり変わったりしてだいぶ様変わりしてしまったので驚いたかも知れませんね」


 今更ながら、俺達通っている高校は北高校。


 何の面白みもない名前だが、俺達の地域で北の方にある高校で、北があるのだから残りの東西南も存在する。


 最初の停電なんてなかったかのように話すユメには感心してしまう。


「次の曲に行く前に簡単にメンバー紹介します。まずはギターが稜子と鼓。


 続いてベースが桜。キーボードの綺歩、ドラム一誠。


 最後にボーカルがわたしユメです。今日は最後まで楽しんで行ってください」


 パートと名前の後にそれぞれアピールはするけれど、今回は一言は無し。時間がないと言うのもあるが、何話していいのかわからないと言うのが大きい。


「では次の曲」と言うユメの声の後、一誠のスティックの音が響いた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 僅か三十分。熱覚めやらぬ状態で一度控室に戻った。


 休憩兼ねて集計をするのだとオーナーが言っていたので、もしもう一度演奏することになったら次は十分後。


 控室で――正確には控室に戻る途中から――一曲目の話になるのは簡単に予想できていた。スタートは稜子。


「ユメもなかなかやるわよね。電気がついた後何処から入ればいいのかわからなかったわよ」


「ごめんね。でも、あのまま時間が過ぎていくのを待っていられなくって」


「でも、最初ユメちゃん無理していたでしょ? マイクなしであんな大きな声出して」


「ちょっときつかったけど楽しくはあったよ?」


「楽しそうなのは綺歩先輩も分かっていたと思いますよ。


 暗闇の中で活き活きとした歌声が聞こえてきて桜思わず声あげそうになりましたもん。おお~って」


「いやあ、流石のオレも予想外だったわ。ユメユメがいきなり歌い出すって言うのは。


 しかも何のためらいもないもんだから、あれが事故だって何人が気がついたんだか」


「最初は驚きましたけど、いつも通り楽しそうなユメ先輩の歌のお陰であたしはだいぶリラックスできました」


「ハプニングって言うのも、たまには楽しいものね。雰囲気がいつもとだいぶ違って」


 思い思いにそんな事を言いあっていると、拗ねたようにそっぽを向いている巧真さんを引っ張りながら思いつめたかのような顔をしている、絢さんと真希さんがやってきた。


「ほら、巧真謝って」


「悪かったな」


「巧真」


 投げやりな巧真さんの言葉に絢さんの怒号が飛ぶ。


 こちらとしてはいきなりやってきて、いきなり謝られた状況なので目を丸くすることしかできない。


 こういう時の稜子は頼りになるもので、すぐに口を開いた。


「急に何があったんですか?」


「君達の演奏直前停電があったじゃない? やったのが、うちの巧真だったのよ」


「本当にごめんなさい。ほら、巧真も」


「なんだよ。俺がスパイスを加えてやったんだから、むしろ感謝してほしいもんだな。


 あんな風にハプニングが起きたからお前らは目立ってどうせまたステージに立てるんだろう」


「それはないよ。そもそもアタシ達が喧嘩売っていい相手じゃなかったってこと」


「なんだよ真希まで。お前ももっと目立ちたいだろ?」


「アタシは目立ちたいんじゃなくてアタシ達の曲を聞いてほしいだけよ。


 そのためには目立たないといけないところもあるけどね」


 見事なまでの逆切れだなと思えるのは恐らく俺が表に出ていないから。表に出ていたらどんな顔をしていていいのかすらわからない。


 別に停電にされた事を咎めるつもりはないし、その考えは皆一緒だろう。


 だが、言ってしまっては変にプライドを逆撫でしかねないし、何よりこちら側が口を挟めそうな雰囲気ではない。


「だって、こんな制服を着ているような高校生が俺らより上手いわけがないだろ? 絶対に何かやったに決まって……」


「チクバの皆さんってSAKURAの曲をよく聞いていたりしますよね。


 今日の曲にも似たようなメロディーが入っていましたし」


 雰囲気ではないと思っていたのに口をはさんでしまうのが桜ちゃんクオリティーなのか。


 SAKURAって本番前に言っていた作曲家だろうか? 桜ちゃんと同じ名前なのか。


 だからあんなに詳しかったのだろうか?


「それがどうしたんだよ。確かにSAKURAも高校生かもしれないが、お前たちとは違……」


「巧真ちょっと待って。


 君の名前って「桜」だったよね。それってもしかして……」


「まさか桜もこんなところで、SAKURAのファンに出会えると思っていませんでした」


 チクバの面々が驚いた表情を見せる。特に巧真さんなんて口をパクパクと開けたり閉じたりして見ていて面白いのだけれど、今桜ちゃんは何と言ったのだろう。


 聞こえていたはずなのにうまく理解できない。


「でも、全然SAKURAらしさなんて……」


「桜もこのバンドだと一番得意なベースを弾くのがやっとなんですよ」


「そんな……まさか……」


 言い返す言葉が見つからないのか、巧真さんは逃げる様に控室から出て行ってしまった。


 追いかけようとした絢さんがハッと足を止める。


「たぶん桜達の中の誰もあの事故に関しては何とも思っていないので大丈夫ですよ。


 早く追いかけてあげてください」


「ごめんね。後でちゃんと謝るから」


 絢さんと真希さんも居なくなる。


 ドアが閉まるのを見計らったように綺歩の声がした。


「桜ちゃんってSAKURAだったの?」


「そんな事よりも、桜達呼ばれているみたいですよ?」


 桜ちゃんに促されステージへと続く道を見ると、スタッフの人が困ったようにこちらを見ていた。


「でも、まあ。別に桜がSAKURAだったからって、驚く必要ないと思わない?」


「むしろさくらんで納得って感じだよな」


「もっと早く知っていたら桜にも作曲して貰っていたら良かったと思わなくもないけどね。


 でも今は目の前の演奏。あんまり待たせているとタダでここ使えなくなるわよ」


「もう……桜ちゃん後で話聞かせてね」


 綺歩がやや不貞腐れたと言った様子でステージに向かう。


 綺歩の後に続きつつ、何と言うか「わたし達も多少はそう言う事知っておくべきなのかな?」といった気がした。

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