第33話

「皆、昨日は助かったわ」


 次の日。つまりライブ前日。昨日母さんが帰ってくるまで話し続けていた稜子だったが、幸いぶり返す事もなく今日こうやっていつも通りにやってきて、いつも通りの声を出していた。


「ほら、遊馬何やっているの。早くユメと替わりなさい」


「相変わらずだな」


 昨日の恩を忘れたのか、なんて言いたいけれど変に下手に出られてもこちらのペースが狂ってしまうだろうから、正直安心した。


「いいのかい綺歩嬢。『遊馬』だってよ」


「良いも何もないよ。私はただ遊君が稜子をどうにかしてくれると信じていただけ」


 準備室に向かう途中、一誠と綺歩が何か話していたが何を話しているかはわからなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 心配していた稜子の体調も良さそうで、ライブ前最後の練習は恙無く終わり、練習のあと不安だと言う鼓ちゃんのため、一度皆でライブハウスまで下見に行くことになった。


 ライブハウスまでは歩いて行ってやれない事はないので徒歩で向かう途中、鼓ちゃんが緊張した面持ちでいた。


「やっぱり最初は緊張するよな」


「遊馬先輩も緊張したんですか?」


「むしろ緊張しないライブの方が少なかったけどな俺の場合」


「そうなんですか?」


「まあ、地声だったしな。自信が無いものを大勢の前でって言うのは緊張するだろ?


 鼓ちゃんは上手いんだから胸張って演奏したらいいんじゃないか?」


「そうかも知れませんね。ちょっと気持ちが楽になりました」


 ニコッと鼓ちゃんが笑う。


 その笑顔が少し今までと違うなと感じてしまったのだが、気のせいだろうか。


 今までは無垢と言うか太陽のようと言うか、幼さの残る感じだったのに、幾分か大人びたようなそんな感じがした。


 鼓ちゃんも高校生で、少なくとも妹たちよりは年上なわけだから不思議な事ではないのかもしれない。


「着いたわよ」


 稜子の言葉に足を止める。俺も数えるほどしか来た事がないライブハウス。


 ライブハウスと言うにはやや地味な外装だが、個人で経営している稜子の知り合いの趣味らしい。


 中は前方にステージがあり、客席にはテーブルがいくつか。


 基本的に立って見るところだが、休憩などをしたければ後ろの方にあるテーブルで休憩するらしい。


 俺はそちら側にいた事がないのでわかないのだけれど。


「明日は十一時からここでリハーサルした後、各自昼食を食べて十五時から開演、出演は十七時くらいって感じだから遅刻しないように。じゃあ、解散」


 稜子の言葉の後バラバラと帰っていく。俺は相変わらず綺歩と一緒に帰っているけれど。


 当日の格好は制服。衣装をそろえるにはお金もかかるし、何より稜子があまり衣装に頓着しないため制服らしい。


「ねえ、遊君。昨日はどうしたの?」


「一度家に連れて帰って藍や優希たちと代わる代わる看病って感じだったな」


「遊君の家に?」


「寝かせたのは藍のベッドだったけど、色々あってな」


 稜子が話してくれたこと、いくら綺歩だからと言って話していいものではないだろうから誤魔化しつつ答える。


「って事は、藍ちゃんや優希ちゃんと稜子が会ったんだよね。ちょっと見てみたかったな」


「そうだな。特に優希が興奮気味だったのは面白かったかもしれない」


 いい感じに話がそれてホッとした。


「遊君、稜子の事ありがとう」


「どうしたんだ急に」


 真面目な顔をして綺歩がお礼を言うので、自然と身構える。


「稜子に色々言ってくれたんでしょ?


 本当は聞きたいことはあるんだけど、たぶん、遊君から聞いたら駄目だよね」


「悪いな気を遣わせて」


「言ったでしょ、ありがとうって」


 この後は特に何も話すことはなく、夏の蒸し暑い中を帰った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 去年までこの季節の目覚ましはセミの鳴き声だった。


 だが、今年はセミではなく妹の声。


「兄ちゃん朝だよ。本番だよ」


「歌うのはユメだけどな」


「でも、お兄ちゃんが起きないとユメさん起きないんでしょ?」


 暗に起きたくないという俺の言葉を藍がやんわりと拒絶する。諦めて身体を起こすと、二人はリビングに帰っていった。


『おはよ、遊馬』


「ああ、おはよう」


『この状況、遊馬が眠られる心理状態だと簡単に寝られて便利だよね』


「緊張していたのか?」


『ちょっとはね。わたしにしてみたら初めてのライブハウスだし』


「それもそうか」


 俺とユメは違う。それがどれほど大切な事かユメも分かっているんだなと内心嬉しく思う。


 朝食を食べて、今日は一日家にいるという母親と妹達に見送られて家を出た。


 以前は制服を着て手ぶらで行って帰ってくれば良かったが、今回は優希に借りたバッグにユメの着替えを詰め込んで、中性的な服を着ている。


 路地に入り誰もいないのを見計らってユメに入れ替わった。


「何かこういうの昔の魔法少女みたいだよね」


『こんなヒーローもいたような気がするけどな』


「今日は一日わたしが表に出ていて良いんだよね?」


『戻られた方が困る』


「控室に更衣室もあったはずだから、着替えはまだ良いとして、綺歩を待つんだよね」


『考えてみたらライブハウスでの打ち合わせについて何も聞いていないからな。


 一応聞いておいた方がいいだろう』


「知らなくてもいいから教えなかった可能性もあるけどね」


『そうかもしれないが一応先輩だからな。格好悪い事は出来ないだろう』


「二人いると頭の整理が割と楽だよね」


『そうだな』


 ユメの言う通りの部分もあって、俺が言っている事もユメが言っている事も俺の中にはどちらの意見もある。


 ただ、その相反する意見を自分の中で解消することは意外と難しいが、こうやって話すことで割とすんなり解決することができたりする。


 逆の場合だってありはするのだろうけれど。


「あれ? ユメちゃん?」


「綺歩、おはよう」


「あ、うん。おはよう。どうしたの家の前で」


「綺歩を待っていたんだよ」


「私を?」


「打ち合わせについて聞いておこうかと思って」


「ああ、なるほど。鼓ちゃんや桜ちゃんにかっこ悪いところ見られたくないよね」


 納得したように手を叩く綺歩を見て、どうして簡単に分かってしまうのだろうかと疑問に思ってしまう。


 幼馴染だからなのか、単に俺達が分かりやすいのか。


「もしかしたらわたしには必要ないのかもしれないけれど、よかったら教えてくれない?」


「構わないけど、特に何かがあったわけじゃないよ?


 ただ、稜子が行かなくて良かったなって少し思ったけど」


 苦笑いを浮かべて歩き出した綺歩に、ユメもついて歩く。


「稜子が行かない方が良かったの?」


「その話は最後にするね。打ち合わせでは基本的に確認しかしていないかな。


 何時からリハーサルだとか出演順はどうなっているのかとか。


 私たちだけ一時間じゃない? それで不満を言ったところがあってね」


「だから稜子が……ね」


「そう言うこと。簡単に言うとそのバンドも一時間やりたかったらしいんだけれど、時間の都合で断られたの」


「高校生バンドが一時間やるって聞いたら不満も出るよね」


「相手は大学生で、最終的に渋々納得してもらったんだけど。


 稜子には説明したから今日の事が少し不安だったりするんだよね」


「何かとんでもない事を言いそうだよね。「それなら、きてくれたお客さんに決めて貰いましょう? アタシ達のバンドも最初は三十分しか演奏しないから、その後でアンケートを取って一位だったバンドが最後の三十分演奏するなんてどうかしら」みたいな」


「さすがにわざわざそんな事言ったりしないと思うんだけど……」


 綺歩の言葉と同時に厚い雲が太陽を隠して辺りを一回り暗くした。


 それが何だかとても不安を駆り立てるようだった。

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