第32話
家にいる時、ユメに替わる可能性があるならば、中間的な服を着るようにしている。
結局大きさが合わないのでユメは動きにくいのだが、もうそう言った格好に慣れてしまったらしく、裾や袖を捲り女物の服を着ている時と同じレベルで動けるようになった。
故に今ここで俺に戻ったところで格好的におかしいと言う事はない。
「それで話って何なんだ?」
「やっぱりユメの方がいいわね」
俺の質問に稜子はらしくもなく「何てね」とおどける。
「戻って欲しいなら戻るが……」
「いいえ、三原に聞きたいのよ」
「そうか」
何やら言い難そうな稜子に違和感を覚えつつ次の言葉を待つ。
「三原、貴方は歌う事が好きなの嫌いなの?」
「どうしてそんな事を?」
「貴方がバンドに入って数か月、アタシが貴方に強く当たってきたのは理由があるのよ」
「俺が男でたいして歌がうまくなかったからだろ?」
「……それが全く無かったとは言わないわ。でも、アタシが貴方に強く言い続けてきたのは許せなかったから」
「許せなかった?」
思わぬ稜子の言葉を繰り返す。稜子が真剣な顔をして頷いた。
「綺歩が貴方を連れてきたとき、楽しそうに歌を歌う人だって聞かされていたの、だけれど貴方は違った。
だけど歌はアタシよりも上手くてそれがとても気に食わなかった。
アタシの誤解だと分かっていても馬鹿にされているような気がしたのよ」
「なるほどな」
俺は稜子の言葉を否定しない。綺歩が知っているのは昔楽しく歌いたい歌を歌っている時の俺であるし、バンドに入って歌っていることが楽しかったのかと聞かれたら首を縦に振るのは難しい。
故に稜子が馬鹿にされていると感じても何も不思議ではない。
むしろ最初なんか真面目に歌っていなかったと思われても仕方がなかっただろう。
「でも、ユメとして現れた貴方は信じられないほど楽しそうに歌を歌うわ。と言う事は本当は貴方も歌を歌う事が好きなんじゃないの?」
「本当は……ね。確かにそうだな。好きだったよ。何よりも好きだった」
「それならどうして……」
「でも、バンドで歌うのは好きじゃなかったんだよ。どうしてだと思う?」
「アタシが居たから?」
「違う。単純に俺の歌ではなかったから。ユメが歌っているのは楽しそうに聞こえるんだろ?」
「……それってまさか」
「今のユメの歌が元々俺の歌。だから楽しくなかったんだよ」
稜子の口が戸惑うように開かれて、閉じられる。
「綺歩には言えないわね」
「綺歩だけには言わないでほしいかな」
「それから……悪かったわね」
藍の布団で顔を隠すようにしているのは照れているからか。
稜子のなかなか見られない姿に思わずにやけてしまいそうになる。
「でも、遊馬がユメみたいな声で歌っていたなんて、どうやって信じたらいいのかしら」
「あー……それな」
こういったサバサバした感じは稜子のいい所の一つかもしれないが、この質問は困ってしまう。
『あれを教えるしかないんじゃない? 稜子の事沢山聞いちゃったし』
あれは紛れもない黒歴史。もしかするともう無くなっているかもしれないけれど。
でも、話さないわけにもいかないかと諦め、腹をくくる。
「昔な、ネットの動画サイトに投稿した事があるんだよ。
動画サイトとは言っても背景に『サウンド・オンリー』なんて書いているだけのほぼ音源みたいなもので、当時編集なんて事もできなかったからアカペラなんだけどな」
その時歌ったのは確か自由に歌っていいみたいな感じで素人が作った歌だっただろうか。
すっかり忘れていたのだけれど、買い物のときに思い出してしまった。
「そんな事やっていたのね。意外だけど、言われてみたらやりそうな気もするわ」
「投稿したのは三曲だけ。何年も前の事だしもう消されているかもしれないけどな」
「それで、どうやって検索したらいいのかしら」
『まあ、避けては通れないよね』
「たぶん『ドリム』って調べたら出るんじゃないのか? カタカナ三文字でドリム」
「ドリム……? ドリムってあの……」
俺の黒歴史を聞いて何故か困惑しだす稜子。何か知っているような感じもするが、まさか知っているわけないだろう。
投稿して数日しか動向を見ていないが、再生数は全然伸びなかったし、最初に来たコメントは『へたくそ』だったし。
ただ、そのコメントのお陰で何やっているんだろうな自分、と考えなおすことはできたが。
そんなマイナーな動画を稜子が知っているわけがない。
稜子を見ると「まあ、そんな事はないわよね」と何か納得してくれたらしい。
「遊馬、貴方あまりネットとか見ないでしょ?」
「そうだな。調べ物をするならまだしも、動画サイトとかは行く気にはならないな。羞恥心で死にそうになる」
「もう一つだけ聞くわ。それを投稿したのは具体的にいつの事かしら」
「たぶん中一か、中二くらいじゃないか?」
何でそんな事を聞くのだろうかと思ったが、いつ投稿したのかわかれば調べるのはより簡単になるのだろう。
稜子は楽しいんだか呆れているんだかよく分からない顔をしてこちらを見ていた。
「それで、ドリム……ねえ……」
「やめてくれ、古傷が開く」
「本当、ユメで良かったわよね。ユメは。」
『流石に選択肢がドリムだけだったら、もっとましな名前を自分で考えていたと思うよ……』
「そうだ、ひとつ稜子に話があるんだよ」
これ以上この話をしたくなくて、慌てて話を逸らす。
「何かしら」
「夏休み中に綺歩が海かプールに行きたいって言っていたんだけど、稜子も来ないか?」
「綺歩が? 珍しい事言うのね。練習がない日ならアタシは構わないけれど、もちろん途中でユメに替わるのよね?」
「えー……あー……そ、そうだな」
『いいの?』
「あら、言ってみるものね」
笑う稜子にはめられたのだと気がついた時には後の祭り。
綺歩は全員で行きたそうだったし、稜子の頼みを断れるような雰囲気じゃなかったし、俺に選択肢は残されていなかったようにも思うが……。
「なになに、兄ちゃん海に行くの?」
「ちょっと、優希」
急にそんな妹達の声が聞こえてきて呆然としてしまう。
稜子も似たようなものらしく、僅かに開いた扉からこっそり覗いていたらしい妹たちを見て固まっていた。
「だって、兄ちゃんがなかなか呼んでくれないから。でも海の所しか聞いてないよ?」
「えっと、あの……ごめんなさい」
開き直る優希に謝る藍。俺に戻る間もあったのでだいぶ待たせてしまっていたのか。
「悪いな稜子。妹の藍と優希だ。どうしても稜子を紹介してほしかったらしい。
で、こっちが……って言うのはいいよな、ずっと看病していたし」
「へえ、この子たちが遊馬の妹なのね。なんて言うか、本当にユメの妹って言われた方がしっくりくるわね」
「自慢の妹たちだからな」
「まあいいわ。アタシは志手原稜子。貴方達のお兄さんと同じ部活の部長で担当パートはギター。
今日はいきなりお邪魔した上に看病までして貰ったみたいでありがとう」
「あたしは三原優希です。藍の姉で中学三年生です。志手原さんのギターがすごいって聞いてからずっと聞きたいなって思っていたんです」
「私は三原藍、双子ですが優希の妹になります。すいません、まだ少し熱がありそうなのに……」
「優希ちゃんに藍ちゃんね。今度ライブにも来てくれるって言っていたわね」
「はい、とても楽しみにしています」
「この子たちはユメの事知っているのかしら?」
「ちょっと前に教えたよ」
「それなら何も問題要らないわね。二人には今度のライブ一緒に来てくれそうな友達とか居ないかしら?」
「あの、居ないことはないですが……」
ある意味初対面の相手だけあってか、優希も遠慮をしているらしい。さすがに、こう聞かれた後の展開は読めるのだろう。
むしろ、流れを汲むのは俺よりも妹たち二人の方が上手いに違いない。
「だったらアタシが貰っていた分のチケットをあげるわ。
さすがにドリンク代までは払ってあげられないけれど」
「いいのか?」
「看病までして貰ったものね。アタシ達の曲をきいてくれる人が増えると言う事は喜ばしいことじゃない。
やる相手も居なかったし、むしろアタシの一人勝ちって感じよね」
気を使った冗談なのか本音なのか今の稜子の顔を見れば一目瞭然。
ともあれ、俺の財布から三千円が守られたのは喜ばしいことなので、せめてドリンク代くらい妹達に握らせるか。
「ねえ遊馬。この子たちなんだけど」
「どうかしたのか?」
稜子が居る緊張からか、借りてきた猫のように――藍は恐らくいつもとあまり変わらないのだろうが――大人しい妹たちを向こうに話が進んでいく。
「プールだか海だかに一緒に連れて行けないかしら?」
「ああ、それなら綺歩も言っていたよ。だから、稜子が行くと決まった後に聞こうかと……」
「本当に?」
食い気味に入ってきた優希には驚いたが、何とか「あ、ああ」と返す。
「でも、今はライブが最優先……だろ?」
「そうね。もう明後日になったし、いつ行くかなんかはその後でいいかしら」
「「勿論です」」
見わけがつくと言っても流石は双子。同時に同じことを言われたら声での違いなどまるで解らない。
「志手原さん」
「稜子でいいわよ」
「じゃあ、稜子さん。お話聞かせてもらっていいですか?」
それからは、目を輝かせた妹達と稜子が楽しそうに話し始めたのでそっと部屋から出て行った。
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