第29話

 夏休みに入り、最初の数日は何事もなく、部活に行くか家でゴロゴロしつつ宿題を進めるかのどちらかだった。


 妹たちにはライブについて色々聞かれたり、ユメについて聞かれたり――面倒だったからユメに替わっていたので、ユメと妹の仲はさらによくなったが――はしたけれど、これはまあ日常の一環だろう。


 流れが変わったのはライブの前々日。なぜか日課になってしまったらしく、妹たちに起こされた俺は眠い目をこすりながら妹たちに問いかけてみた。


「よく夏休みになっても俺を起こしに来るな。眠たくないのか?」


「私はどの道朝ごはんのお手伝いしないといけないし」


「第一休みだからって起きる時間を変える兄ちゃんが変なんだよ」


「そう言うものか?」


『わたしに聞かれてもね。わたしだってもう少し寝ていたい派なんだし』


「それもそうか」


「ユメさんなんだって?」


「もう少し寝て居たかったってさ」


 妹達もすっかりユメが居る事に慣れてしまったようで、俺がユメと会話していても驚くことなく普通に会話に入ってくる。


「でもお兄ちゃん部活あるんだよね」


「明後日にはライブだからな」


「兄ちゃん。明後日何歌うの?」


 優希が興奮気味に話しに入ってくる。


 大きな目をキラキラと光らせて期待が手に取るようにわかるのだけれど、残念ながら俺は答える事が出来ない。


「ネタばれはするなって言われていてな」


「なーんだ」


「そうだな、初めてユメが優希に聞かせた歌。あれは歌うな」


『お兄ちゃんは妹に甘いのね』


 ユメがからかうように言ってくるが、立場が逆だったとしてもユメは俺と同じことを言っただろう。


 きっとユメも分かっている事で、俺は『お姉ちゃんは妹に甘いな』と返していたに違いない。


「ユメさんが歌ったって……もしかしてあの時の?」と藍が優希に言い寄っている姿はやはり微笑ましくて、優希も優希で「あの歌か」と嬉しそうにしている。


「それじゃあ、お兄ちゃんご飯できているから早く来てね」


 藍がそう言い残し、二人とも部屋を出て行った。


「着替えてから行くか」


『そうだね』


 今日も部活があるから制服に着替えて、リビングへと向かった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 今日の部活は十時から。授業がある日と比べるとだいぶゆっくりした時間ではあるけれど、休みには昼過ぎまで寝ていたい派からすると辛いらしく、桜ちゃんと一誠がとても眠たそうにしていた。


「桜ちゃんも朝弱かったっけ?」


 始まるまでにはもう少し時間があるので、ユメが桜ちゃんに尋ねる。


 桜ちゃんは欠伸を噛み殺し、眼尻に涙を浮かべつつ答えた。


「桜は基本的に夜型ですよ?」


「でも、買い物の時は早かったよね?」


「楽しみがあったからです。部活が楽しみじゃないと言うと嘘になりますが、毎回やっていますからね」


「そんなものなんだね」


「先輩は朝弱いと思っていたんですけど、いつもちゃんと来ますよね」


 桜ちゃんの言葉に全く心外だと思いたいのだが、事情を知っている綺歩がクスクスと笑っているので下手に言い訳することもできない。


 この場合、答えるのがユメだから俺へのダメージは少ないのだけれど。


「わたし……と言うか、遊馬は毎朝妹たちに起こされているからね」


「なるほど。羨ましい限りですね」


「おい遊馬、それってどう言う事だ?」


『言葉通りだ』


「言葉通りだ、だって」


 ユメを介しての会話なんてあまりすることはないのだけれど、何故一誠はユメにではなくて俺に尋ねるのか。と思ったが、俺が男だからか。


「遊馬の妹ってユメユメみたい何だろ? そんな妹に毎朝起こしてもらえるとか、一回死んだ方がいいんじゃないのか?」


「一誠って兄弟居ないんだっけ?」


「兄貴が居るな。ま、もう大学生で一人暮らししているから我が家はオレの独壇場だけどねん」


「一誠がそのお兄ちゃん起こしてあげたらいいんじゃない?」


「いやいや、ユメユメちょっと考えてみてほしい。


 世の中オレに起こされて嬉しい男が居ると思うかい?


 それ以前にオレが男を起こしてどんなメリットがあるんだい?」


 くだらない会話に花を咲かせているうちに部活開始時間は過ぎていて、俺達がそれに気がついたのはガラッとドアが開いたから。


 遅刻なんて珍しい稜子が姿を現した。


 顔を真っ赤にしてふらふらとした足取りで「悪かったわね、ちょっと遅刻して」といつもの口調で入ってきたが、遅刻がどうだって話ではない。


 真っ先に綺歩が駆け寄り、稜子の身体を支えた。


「ちょっと、稜子。大丈夫」


「大丈夫よ。大丈夫。今日だってちゃんとここまで来れたんだから」


「そんな事言って、計るまでもなく熱があるじゃない」


「心配しすぎだって。アタシはこの後打ち合わせにもいかないといけないんだから」


「それは、大丈夫の理由にはならんと思うぞ、稜子嬢」


 一誠の言う通り、今の稜子は打ち合わせどころか今からの練習すらできそうにない。


 むしろよくここまで来れたなと感心してしまうほどで、いつもの気の強そうな目も熱に浮かされて力を失っている。


 ふと、一年生の方を見ると――主に鼓ちゃんが――不安そうな様子であちこちに目を泳がせている。


「あの、えっと。あたしはどうしたら……」


「さすがに稜子がこんな状態じゃ練習は無理だと思うし、今日はひとまず解散って事にして……」


「そんな気にすること」


「稜子は黙っていて。桜ちゃんと鼓ちゃんには悪いんだけれど、今日はもう帰ってもらってもいい?」


「あの、でも……志手原先輩は……」


「大丈夫。こんな体調で部活に来た稜子が悪いんだから。


 ごめんねわざわざ学校まで来てくれたのに」


「えっと、その……」


「いえいえ、気にしないでください。


 桜もちょっとつつみんと遊びたいと思っていたところでしたし。明日も来ますから、楽器は置いていきますね」


 桜ちゃんが状況を理解できていない鼓ちゃんを引っ張っていく。


 音楽室を出る直前、ペコリと頭を下げた鼓ちゃんが妙に印象的だったが今は目の前の問題と対峙しなくてはなるまい。


「どうしてこんな体調で来たの……と訊きたいところなんだけど今は保健室に連れて行かないとね。


 ユメちゃん手伝ってくれない?」


「自分で歩けるわよ」


「それは私にかけている体重をすべて自分で支えられるようになってから言ってね」


 自分の意見が通らない事が嫌なのか、ふくれっ面になっている稜子をユメと綺歩で支えながら保健室へと向かった。




 保健室に着いたが、困った事に保険の先生は今日は来ていないらしかった。


 ただ、運動部の学生が顧問同伴で使う可能性があるのか鍵は空いていた。


 中には誰もいなかったので稜子をベッドに座らせて、熱を計らせる。


「三十九度五分。本当にどうしてきたの?」


 しかりつけるように綺歩が言うが、稜子は不機嫌なまま頬を膨らませていた。


「ライブ前で毎日練習やるって言った手前休むわけにはいかないじゃない。それに、今日は打ち合わせだってあるのよ?」


「だからって、そんな体調で来られたらこっちだって大変なんだから」


「それは……悪かったわね」


「とりあえず今日これからどうするかを先に決めないかい。稜子嬢への尋問はその後って事で」


「一応考えているよ」


「さすがは綺歩」


 ユメは素直に感心していたが、何故か綺歩が言い難そうな顔でこちらを見ている。


 やや媚びるような目の意図を読み取れず「どうしたの?」とユメが尋ねたところ、諦めたように綺歩が話し始めた。


「ただね。ちょっとユメちゃんと遊君に頑張ってもらわないといけないかなって」


「それ以外考えられないよな」


「それってどう言う事、一誠」


 知った風な口を利く一誠に、ユメが疑問を投げかける。


 一誠は少し楽しそうに説明しだした。


「まずこれから、稜子嬢の代わりに打ち合わせに行く人と稜子嬢を家に送り届ける人に分かれないといけないわけなのは分かるかい?」


「それは何となく」


「志手原氏の次にこの部活について把握しているのが綺歩嬢だから、綺歩嬢は打ち合わせ側」


「そうなるよね」


「で、稜子嬢はオレが送ってい……」


「絶対嫌」


「と言うわけで、オレも打ち合わせ」


 稜子の声に驚いたのか、ユメが稜子の方を向いた。


 稜子は一誠を視線だけで殺そうとしているんじゃないかと思うくらい睨みつけていた。


「でも、それって遊馬でも一緒なんじゃない?」


「ほ、ほら、遊君今は半分女の子みたいなものだし」


「稜子はそれじゃ嫌でしょ?」


「御崎に比べればまだ……ユメもいるわけだし」


 いつの間にか抱きかかえた枕に、顔を乗せていた稜子がしおらしく答えるので、俺としてももう逃げられない。


 ユメもわかっているだろうに「遊馬良い?」と尋ねてくるのは、これからの事が恐らく俺主体で行わなくてはいけないからだろう。


『断れないだろ』


「そうだね」


 ユメが困ったような笑みを浮かべているのが分かる。


 ユメが皆に俺が了承したことを伝えると、綺歩からお礼を言われた。


「打ち合わせっていつから始まるの?」


「十一時よ」


「もう行かないと時間がないよね」


 珍しく焦った綺歩が「ユメちゃん、遊君ごめん。後よろしくね」と保健室を後にする。


 一誠もすぐにその後を追ったので、数秒の内に稜子と二人だけになった。


「稜子、立てる?」


「何よ。ユメまでそんな事言うの? 立てなかったら学校まで来れな……うわ」


 立ち上がろうとした稜子がふらついて、慌ててユメが身体を支える。


 保健室に来る時に気が付いていたが、稜子の身体は結構熱をもっていて、制服越しにも伝わってくる。


 気丈に振舞っていたが呼吸も荒く、一度ベッドに座らせた。


 いくら女子の体重とは言えユメでは支える事が出来ないと悟り「着替えてくるから絶対に動かないでね」と念を押してからユメが保健室を後にした。

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