第27話
「藍、そろそろいい?」
腕時計から二度目の警告があったところで、ユメが藍の身体を押すように引き離す。
藍は驚いたような顔をしていたがすぐに取り繕って「ご、ごめんなさい」と頭を下げた。
「謝らなくていいんだけど、もうすぐ遊馬に戻っちゃうから」
「わかるんですか?」
「十五分タイマーみないなのが付いていてね」
説明をしている間にユメと俺が入れ替わる。
藍はビクッと身体を震わせたが、何もいうことはなかった。
「今更こんなこと言うのも躊躇うんだが……」
「実はお兄ちゃんとユメさんは同一人物でした……とか?」
「半分そうで半分違うな。もともとユメと俺は一緒だったけれど、今は違う。
だけど、感覚は共有しているんだ」
「つまりユメさんに抱きつくと、お兄ちゃんに抱きついたのと一緒ってこと?」
確認するように問いかける藍の顔が赤く染まる。
「一緒かどうかは分からないが、俺からしてみたらそんな感じになるんだ。
ごめんな」
「えっと、お兄ちゃんが嫌じゃないなら私は気にしないよ?」
早口に言った藍は「夕御飯の準備しておいてってお母さんに言われていたんだった」とそそくさとキッチンの方へと消えて行ってしまった。
残された俺はともかく藍に受け入れられたことに安心して思わず息を洩らす。
『遊馬、良かったね』
「問題は優希の方だからな。でも安心はした」
短くユメと会話をした後、一度自分の部屋に鞄を置いてから優希の部屋へと向かう。正確には藍と優希の部屋だが。
二度ノックをした後で「優希居るか?」と声をかける。
返事はすぐに来ることはなく、代わりに中でがさごそと何かが活動している音が聞こえた。
扉に何かが当たったようにコツンと言う音が聞こえて、内側から無愛想な声で「何?」と返ってきた。
恐らく優希がしているように俺も扉に体重を預けるように座り語り掛ける。
「昨日の事を謝ろうと思ってな」
「昨日の事って?」
「優希の裸見た事。もっと気をつけるべきだった。悪かったな」
「昨日の女の子誰なの?」
「信じられないかもしれないが、ユメって言う俺から生まれた別人格だ」
「兄ちゃんよりも上手いって人って言うのは?」
「ユメだな」
俺の返答に優希が急に笑い出した。
楽しいのではなく、聞いていて痛々しささえ感じてしまうヒステリックな笑い声。
俺は妹になんて声で笑わせているのだろうかと気持ちが暗くなる。
加えて、追い打ちをかけるかのように、優希が開き直ったように空々しく話し出した。
「そんな事を信じろって言うの? 意味分からないよ。別人格って何さ、別人格の方が歌が上手いから兄ちゃんは歌えないの?
あたしが感動した兄ちゃんは何だったの? 嫉妬もしたし、憧れもした。皆に自慢したいと思った兄ちゃんの歌ってなんだったの?」
『ねえ、遊馬替わってもらってもいい?』
優希の最後の一言に何を返していいのかわからず、黙りこみそうになったところで、ユメの声が聞こえた。
今ユメに替わって優希を説得できるのかは謎だけれど、俺のままでいても何もできないので躊躇いながらもユメと入れ替わった。
「遊馬の歌取っちゃってごめんね。優希がそこまで遊馬の歌が好きだったなんて知らなかったよ。
でも、遊馬の歌がなくなったわけじゃないんだよ。
わたしの歌は遊馬の歌。優希が気に入ってくれた遊馬の歌にどれだけ近づけるかなんてわからないけれど、少しだけ聞いていてくれる?」
ユメは優希からの返事が来ないかと一言一言切りながらゆっくりと話す。
しかし結局優希からの返事は返って来ない。
「会えない夜を嘆くより」
無言を肯定に捕えたのか、優希が聞いた事がないであろうバンドのオリジナル曲を、ユメは歌い出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ユメが歌い終わっても優希からの反応はなく、俺の中にやや諦めが顔を出し始める。
次にかける言葉も思いつかず、途方に暮れている中、足音が聞こえてきた。
音の主が藍だと気が付いた時には、藍は扉に額を当てて目を閉じた。
「ねえ、優。本当はもう分かっているんでしょ? 自分が勝手に拗ねているだけだって。
一番大変だったのはお兄ちゃんとユメさんなんだって」
「わかっているよ。今の歌だってあたしの知っている兄ちゃんの歌だったよ」
「だったら……」
「でも……藍」
優希の声が涙で歪む。
「あたし兄ちゃんに酷い事言っちゃったんだよ。兄ちゃんが大変だったのを理解すればするほど兄ちゃんに嫌われたんじゃないかって……」
「私達のお兄ちゃんがそんな事で嫌いになるわけないでしょ?」
二人の会話を聞いているのは躊躇われたのか、ユメが音をたてないようにその場を後にする。
一つ隣の俺の部屋に入り、扉をそっと閉じた時隣の部屋の扉が開かれる音がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺の部屋のドアが控えめにノックされた時、すでにユメから俺に戻ってだいぶ経っていた。
立ち上がりドアを開けると視線を下げて恥ずかしそうにしている優希が立っていて、部屋の中に入るように促す。
優希は黙ってそれに従い、ベッドを背にしてちょこんと座った。
「……」
「やっぱり、お前たちって俺の妹には勿体ないよな。
美人だし、優しいし。誰に似たんだろうな」
我ながら歯が浮く台詞だが、考えている事はちゃんと言わないといけないなと思ったので軽口を叩く。
「あたしは……優しくないよ……」
「そうか? 昔は気が弱かった藍の為にいろんな所に連れて行っていたし、俺がカラオケに行っているのを知られたくないことを知っていてずっと黙っていたんだろ?」
「でも、兄ちゃんに酷いこと言ったし……」
「確かに変態はくるものがあったけどな。でも仕方無いだろ。普通自分の兄が女になるなんて思わないだろうからな」
「だからって」
「そうやって自分が悪いんだって思うのは優しさだと俺は思うけどな」
優希が黙って下を向く。それからぽつりと「ずるいよ」と言って、顔をあげた。
「兄ちゃんはずるいよ。ずるい……」
「ずるいかもな。でも、俺は優希に嫌われていなかったってだけで救われた気分だったんだよ」
「兄ちゃんの事嫌いなわけない。だから、ごめんなさい」
「ああ」
そもそも怒ってすらいないのだけれど、この謝罪を受け入れなければ優希が自分自身を許せなくのだろう。
俺の言葉を聞いた優希は、何かから解放されたように晴れ晴れとした表情になった。
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