第21話

 舞台なんて仰々しい事を言っても所詮は黒板の前の一段高くなっている所に登っただけなのだが、ユメが姿を見せてから音楽室が――もしかすると各教室でも――ざわめき出した。


 ボーカルは大凡MCも行うもので、マイクを持ったユメが「今日は」と話しだす。


「休みなのにわたし達のライブに来てくれてありがとう。音楽室に入れなかった人はごめんなさい。ちゃんとわたし達映っていますか?


 早速ですが一曲歌ってみようと思います。聞いてください『Loved girl』」


 ユメが曲名を言う頃には音楽室のざわめきは収まっていて、一誠がスティックを叩く音がよく聞こえる。


 いつも通り完璧すぎるほどの前奏。いや、鼓ちゃんが自信を持ってくれたことにより精度はいつも以上だといえる。


「そう 貴方の為ならば」


 マイクに乗ったユメの声に、一斉に息をのむ音が聞こえる。


「世界に囚われた私を 貴方が守ってくれるならば


 どれだけ辛くても この思いを持ち続けよう」


 決してテンションの高い曲ではないのに、間奏に入ったところで割れんばかりの歓声が上がった。


 しかし、曲の雰囲気のためか、以降はざわめきはしても歓声が上がることはなく、全員が全員ユメの歌に聞き入っていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「『Loved girl』でした」


 後奏が終わりユメが曲の終わりを告げたところで、再度歓声が上がる。


 熱気のせいで一曲目にして皆だいぶ汗をかいてしまっているけれど、お構いなしにユメはMC業をはじめた。


「改めて今日は皆ありがとう。ここでメンバー紹介をしたいと思います。


 まずはギター、稜子と鼓」


 前回はここで稜子だけがギターをかき鳴らしたのだが、今回は鼓ちゃんも小さい体で負けじと自らをアピールする。


 飛んで来るのは主に稜子に対する黄色い声。さすがは稜子と言わざるを得ない。


「稜子の説明は……いいよね」


「何がいいってのよ」


 適当なやり取りで笑いも取りつつ、ユメは話を続ける。


 俺がボーカルをやっていた時MCをやっていたのは俺ではなく稜子。


 別に稜子が俺にやらせたくなかったのではなく、ライブに出る代わりにMCは出ないと言った為にこうなった。


「鼓ちゃんは今年から入った一年生で前回のライブで見た人もいるかもしれないけれど、わたし達のマスコット。


 ちっちゃくて可愛いけどギターの腕ならここで勝てるのは稜子くらいじゃないかな」


 ユメの紹介に、鼓ちゃんが顔を真っ赤にして照れる。


 それから何を思ったのか――は俺はわかっているけれど――ユメが鼓ちゃんにマイクを渡した。


 驚いた顔をしてマイクを受け取った鼓ちゃんに、ユメは小さい声で「一言」と告げる。


「えっと、今はまだ先輩には及びませんが、いつか追い抜いて見せます」


「へえ、大きく出たわね」


 言葉とは違い嬉しそうな稜子は、本当に鼓ちゃんが自分を越える事を望んでいるのかもしれない。


 ここ最近きつい事を鼓ちゃんに言っていたのは、俺が居なくなり鼓ちゃんが目立ち始めたからと言うのもあるが、鼓ちゃんの実力を認めていたから。


「何を言っても変わらない人に何言っても一緒でしょ」とは綺歩が稜子から聞いた言葉だったか。


 稜子の事を知っている男子から「がんばってくれ」と声援を鼓ちゃんが受けたところで次に移る。


「次はベースの桜」


 紹介の後桜ちゃんに視線が集まり、桜ちゃんがベースを鳴らして視線に応える。


「桜ちゃんも鼓ちゃんと同じで今年入ったばかりの一年生。


 こんな可愛い顔しているけど、驚くくらいの小悪魔だから気を付けてね」


「もう、先輩。そんな事言っていいんですか?」


 桜ちゃんの台詞に何故だか、客席の方から「小悪魔~」と数人の男子生徒の声がした。


「誰だか分かりませんが、後でどうなって知りませんよ?」


 怪しい笑顔で桜ちゃんが客席に向かって返し、これまた何故だか「ありがとうございます」とお礼の言葉が返ってきた。


「キーボードはお馴染みの綺歩」


 稜子とは違い主に男子生徒からの声援を受ける綺歩。数で見ると稜子とあまり変わらない。


 綺歩と稜子を合わせると校内ほとんどの生徒の視線を集める事が出来るんじゃないかと思ってしまう。


「前回ベースからキーボードに替わって驚いた人もいるかもしれないけれど、綺歩はベースやキーボードだけじゃなくて、ギターやドラムだって弾けるんだって。


 まさに、わたし達を影で支えてくれているお姉さん」


「弾けるって言っても、それぞれは皆には負けちゃうんだけどね」


「紹介も終わったところで次の曲……」


「ちょ……アドリブでオレをスルーって酷くないかい?」


 ここは本当にアドリブ。だからこその一誠の焦りであり、笑い声も湧き上がるのだろう。


 一誠になら何をしてもいい。俺はそう思っているから恐らくユメだってそう思っている。


「えっと、ドラムの一誠」


「ちょっと投げやりになってない?」


 一誠は困惑の声をあげながらもドラムを叩く。


「一誠と綺歩と稜子がこのバンドの始まりなんだよね。


 最後になりますが、今回からボーカルをやります。ユメです」


 頭を下げ、自分の紹介まで終えて「じゃあ、次の曲」とユメは声を響かせた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「今日道の端に見つけた 小さな小さな鼓草


 君に似ているねなんて 言って見たけれど」


 ライブも大詰め最後の曲『鼓草』。


 感覚を共有しているので勿論俺も歌っているような状況ではあるが、ユメほど楽しいとも思えないし、何よりもユメとしてユメの目から見る、ユメを見る視線に俺は耐えられそうになかった。


「君は頬をふくらませて 「鼓草って何よ」だって


 「タンポポだよ」と教えると


 君はますます怒って そっぽを向いてしまった」


 ここにいる全員が元々俺のものだった“ユメの歌”を聞いているのだ。


「桃ではなく 桜ではなく 目立たないかもしれないけれど


 チューリップや 梅のように 人の目には止まらないけれど」


 ユメに嫉妬を抱いて、なんとなくわかった事がある。俺は俺の歌を誰かに聞いてほしかったのだ。本気で歌っている時の俺の歌を。


「それでも 道の端 力いっぱい咲くタンポポは


 いつも頑張っている君のようだから」


 でも、以前の俺はできなかったし、今の俺はもっとできない。ユメは今こうやって実現している。


「やっぱり僕は タンポポを見るたび君に伝えるだろう」


 だから憎いほどに羨ましくて、ユメでなければできなかったと思うほどに何だか虚しくなってしまう。


「僕が伝えたいことが伝わるまで」


 どうしてなのだろう。同じ俺だったはずなのに。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ライブが終わって、熱気冷めやらぬままの状態でパラパラと生徒たちが音楽室を後にする。


 こういう状況なのでこちら側もすぐにはお疲れさまでしたとはならずに、音楽室から出る様に生徒たちを促していた。


 一度流れを作ってしまえば自然と皆出て行くので、ちょくちょく声をかけて貰いながらそれを見送っていると、ざわめきに溶け込むようにでも確実に聞こえてきた。


「今まで何であんなボーカル使っているんだと思ったけど、ぴったりの子が見つかったみたいね」


「ユメちゃん……だっけ。前のボーカルの何倍、何百倍もいいよな」


「そもそも、前のボーカルって誰だったっけ?」


「どうなったんだろう?」「辞めさせられたんだろ」「まあ、正直下手だったしね」


「駄目聞かないで」


 最後ユメの声とともに、ユメが耳をふさいだのか急に音が聞こえなくなった。


 俺はただぼうっとしていた。好きで地声で歌っていたわけではないのに、こんなに好き勝手言われて腹が立たなかったと言えばうそになる。


 でもそれ以上に、ユメさえいなければとただそれだけを考えていた。


 俺が受けるはずだった賞賛をユメが受け、代わりに俺が受け取ったのは歯に衣着せぬ酷評。


 好き勝手な事を言われるのに、どうして俺は我慢していたのだろう。


 どうして自分自身に自分の一番大切だった時間を与えてまで耐えていたのだろう。


 違う、俺はユメに歌を与えてなんかいない。あの日俺はユメに歌を奪われた。


 俺はそれをどうしようもないと諦めるしかなかったのだ。


 そう思うとただただユメが憎くなって、ようやく観客全員がはけ俺に主導権が戻った後、考えるよりも先に足が動いた。


『遊馬……?』


 ユメの困惑した声が聞こえるが、聞こえないふりをする。


 着いたのは科学部の部室。


 案の定と言うか、休みの日にも巡先輩はここにいるらしい。


 乱暴にドアを開けると巡先輩が涼しい顔で「物騒だね」とこちらを見た。


「十五分タイマーだったかはまだできていないよ。


 正確にはワタシが満足するものが完成していない……だが」


「タイマーなんてどうでもいいんです。そんな事よりもどうにかしてください」


「どうにか……志原君みたいなことを言うね。あの時にはどうしようもなかったが……」


「どうにかなるんですか?」


『遊馬何を?』


 一切ユメの言葉には耳を傾けず巡先輩だけに集中する。


「君たちをよくよく調べて行くうちに、そもそも入れ替わる時に生じる体積の変化をどうしているのかと思って、研究を深めていったわけだが」


 巡先輩が回りくどく話をしているようで、イライラしないこともないのだけれど、機嫌を損ねられても困るので相槌でも打つように頷く。


「見ての通り一瞬にして君らは入れ替わっているのだよ」


 よく分からない数値が表示されるパソコンの画面を見せられたのだが、まるで何を言いたいのかわからない。


 構わずに巡先輩が続ける。


「そこから、体積の変化とそこから生じる世界のズレとを……」


「そう言う事はいいので早くしてください」


 とうとう堪え切れずに声を荒げてしまった。


「今日の君はどうも好戦的だね。では手短に話すと、願望実現マシーンのプロセスを逆に行えば元に戻るのではないか……と言うわけだ」


「元に……?」


「もう一人の君が生まれる前、と言うべきかは分からないがそんな所だね」


 ああ、これでもうユメに悩まされることもない。


「試作はもうできていてね。君に渡そうと思っていたところなのだよ」


 巡先輩の手にあるのは、小型のピストルのようなもの。


 何でこの先輩は発明を武器の形にしたがるのだろうかと思わないでもないが、今は関係のない話。


「それ早く渡してもらえませんか?」


「ワタシは構わないが、もう一人の君は納得しているのかい?」


「だって俺らは同じなんだから、ユメが否定するはず……」


 ない……のだろうか? しかし、ユメが言った事だ、俺達は同じ存在だと。


『遊馬……嫌だよ……』


「嫌ってどういう事だよ。俺達は同じなんだろ?」


 泣いているような悲痛なユメの声に俺も動揺してしまう。


『そう。でも、怖いの。消える事が……またわたしも遊馬になるだけなのかもしれないけど、でも、そうなるとわたしはもう綺歩とは話せない、稜子とも一誠とも、桜ちゃんとも鼓ちゃんとも。


 誰とも話せなくなっちゃう……遊馬とだってこうやって話せなくなっちゃう。そんなの嫌。だから……消さないで』


 ユメの懇願する声が俺の頭の中に響く。そんな風に言われてしまったら俺はただの悪者になってしまうではないか。


「でも、それじゃあ、俺はどうしたらいいんだよ。わかるだろ? お前は俺なんだから、なあ、ユメ」


『……ごめん、わからないの。いや、分かっている。遊馬はね、わたしを消したらいいの』


 ユメの戸惑いと不安と決意と諦め、様々な感情が読み取れる言葉を聞いて俺はようやく気がついた。


 本当は初めから思っていたはずなのに、ユメに言われ続けて自分の中でもよく分からなくなっていたのかもしれない。


 とても簡単な事、俺とユメは違うのだ。たとえ考え方が同じであったとしても、ユメは俺が理想とした人物で、俺は俺のまま変わらない。


「なあ、ユメ……」


『大丈夫だよ、遊馬。ちょっとからかってみたかっただけだから。


 わたしだってユメは消えた方がいいって思っているよ』


「やっぱり俺とお前は違うんだよ」


 俺とユメが違うのであれば、俺はただユメと言う別の人物に嫉妬しているだけで、今のどこにもぶつける事のできないやるせなさは誤魔化せる。


 人が自分よりも上手の奴に主役の座を奪われた時取る行動は三つだろうか。


 一つは主役の座を奪い返す。一つは諦める。


 そして最後の一つは、主役の座を奪った相手の行く末を見届ける。


 自分が出来ない事をやってのける、そんな人物に自分の夢を託してみる。


 もちろん俺に歌が戻るわけではないけれど、ユメの歌をもっと素直に聞くことができる。


 誰よりも近くで聞くことができる俺は、ユメのファンとしては最高の待遇を得ているのではないだろうか。


『違う、そんな事無い』


 しかし、全力のユメの否定が俺を惑わす。


「でも、ライブ終わった後で「聞かないで」って言ったのは俺に対してなんだろ?


 他にも何度も俺を気遣ってくれたよな。俺なら少なくとも自分は気遣わない」


『違う、違うの。わたしと遊馬は同じじゃないといけないの』


「どうしてだよ」


『わたしは遊馬じゃなかったらいったい誰になるの?』


 ユメの悲鳴を聞いて、俺ははっきりと理解した。俺とユメの違いを。そしてユメの不安を。


 考えてみれば不安に思わない方がおかしいのだ。


 今まで俺だと思っていたら急に俺から意識が離れ、女になり、歌っている間くらいしか表に出る事もない。


 俺は裏声が出せなくなっただけで等しく俺なわけだから、不安がる事もないし、自分自身が何者かなんて考える必要もない。


「ユメはユメだよ」


 この言葉がはたしてどれくらいユメを傷つけるのか。


 俺は全く分からない。だって、俺は「お前は遊馬じゃない」と言われても冗談を言われているとしか感じないのだから。


 でも、この言葉がユメを傷つけるのはわかる。


 今まで遊馬と言う存在がユメと世界を繋げていて、それを奪われたら知らない街に置き去りにされた子供のようになってしまう。これくらいは想像できる。


 だけどこの認識の違いが、俺とユメが限りなく近いけれど、確かに違う存在だと言う証明なのだ。


 ユメから遊馬を取り上げるのは酷かもしれないけれど、ユメを世界と繋いでいるのは遊馬だけではない。


「お前に遊馬はやれないけど、ユメと歌はやるから。それで納得してくれないか?」


『……遊馬はそれでいいの?』


「ユメが俺の行けない所に連れて行ってくれるならな」


『……うん。わかった』


「クックック……」


 低くも楽しそうな笑い声が聞こえてきて、今目の前には巡先輩がいる事を思い出した。


「いやはや、傍から見ると見事なまでの一人芝居だったよ。


 まるでもう一人の君の台詞まで分かるようだった」


「そう言うわけで、すいませんがこれは使えないです」


 笑われた手前、どう返していいのかわからず、巡先輩の台詞には反応せずに小型のピストルのようなものを返す。


「まあ、構わないさ。貴重なサンプルも取れたし、これからさらなるサンプルもとれるだろう。


 今日はもう帰りたまえ、君らも疲れただろう」


 瓶底の向こうで満足したような顔の巡先輩に促されて、科学部室を後にする。


 ガラリと開けたドアをピシャリと閉じて、まっすぐに前を向いたとき不意にユメから声をかけられた。


『ねえ遊馬』


「どうしたんだ?」


『これからもよろしくね』


「こちらこそ」


 あれほどざわめいていた校内は、いつの間にか静まり返っていた。

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