第二章 夏たそがれ

第22話

 ライブが終わって、心機一転また部活に打ち込もう何て思いたいところだが、残念ながらもう期末試験目前。


 したがって部活も休みとなる。


 終わってしまえば程なく夏休みに入るとは言え、「タイミングが悪いな」『タイミングが悪いね』とユメとハモってしまうほどにはタイミングが悪い。


 どちらかというと、この時期にライブをしたからで、稜子としてはテスト前にライブをいれたかったのだろう。


 タイミングに関しては俺とユメの問題だとも言えるし。


 流石にテスト本番も含めて一週間以上ユメが一度も表に出ないのはよくないと思い、テスト勉強ついでに綺歩に練習に付き合って貰うように頼んでいる。


 最初綺歩に頼んだ時にはとても複雑そうな顔をしていたのだけれど、快諾してくれた。


 ライブが終わってからと言えば、一つ変わったことが起こるようになった。


 一年生組が昼休みにわざわざ俺のクラスまでやってきてお昼ご飯を食べる様になったのだ。


 初めて来たときにはドアの向こうで俺を見つけて嬉しそうに手を振る鼓ちゃんに人が集まり、怯えかけていたところを助けに入ったので驚いている暇も無かったが。


 桜ちゃんは元々目立つ方だったけれど、この間のライブの最後の一曲、『鼓草』でリードギターをしてからより人の目に留まるようになった。


 何で二年生の教室まで来たのか尋ねても鼓ちゃんは「あの、えっと……」と困った顔をしてしまい、代わりに桜ちゃんが答えてくれた。


「ライブがあってから一年生の中でも名前が広まってしまったんですよ。


 人が集まってお昼ご飯がまともに食べられそうになかったので、先輩の所に行った方がマシかなと思いまして」


「確かに同級生は同い年なだけあって容赦なくくるよな。


 遊馬と違ってオレは経験があるからよく分かる」


「今からユメと替わってやろうか」


「たぶんそれ同級生とか言うレベルじゃ済まなくなりますよね」


 こういうやり取りがあって、昼休みに二人が居つくようになった。


 あと、俺自身が半ば脅すように使った事だが、ユメの人気が鰻昇りという言葉じゃ収まらないくらいには上がってしまった。


 本来目立つボーカルという立場。俺が理想としたような容姿。圧倒的歌唱力。加えて急に現れた謎の人物となれば否応と噂にはなるもので、あちらこちらでユメの名前を聞くことになってしまった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「なあ、綺歩」


 何処からかテーブルを持ってきて、綺歩の部屋で二人向かい合うように座って各自問題と向き合っているのだが、ふと思う事があり綺歩に声をかけた。


「どこかわからない?」


 淀みない綺歩の発言で、いかに俺が綺歩に勉強を教えてもらってきたのかが分かってしまう。


 しかし、今回は違うので首を振った。


「勉強会をするならどう考えても稜子を呼んだ方がいいんじゃないか?」


「稜子……ね。遊君は稜子と一緒に勉強して稜子が勉強してくれると思う?」


「流石に稜子とは言え……」


 綺歩の残念そうな顔で全てを悟ってしまい口を閉じる。


「私の部屋みたいに楽器に囲まれたところだと得に駄目でね、時間いっぱいまで弾き続けるんだよ」


「簡単に想像できるな「同じ勉強ならベースを勉強した方がましだわ。綺歩教えてくれない」みたいな」


「一年生の最後のテストの時なんてまさにそう」


「だからと言って、赤点取るとしばらくあいつ練習に来られなくなるだろ」


「今は鼓ちゃんがいるから大丈夫じゃないかな」


 最後に「なんて」と付け加えて、綺歩が少し照れた様子で冗談だと気付きにくい冗談を言う。


「結局前日にならないと勉強しないんだよ稜子って」


「稜子らしいと言えば稜子らしいんだけどな。まあ、最悪鼓ちゃんもいるし」


「本当に鼓ちゃんが入ってくれてよかった……」


 本当に安心したような声を出した綺歩に今度は本心だなと確信して、ノートに目を落とした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 しばらく勉強をした後はユメと入れ替わる。


 綺歩は見た目通り成績もいいし普段から勉強をしているので、テスト前に焦ることはないらしい。


 確かに一年生の学年末テストでは稜子と勉強していたはずなのに上位者リストに名前が載っていた気がする。


 対して俺は得意科目に関しては上位をとれるが後は平均点前後くらい。


 ただ、今回のテストに関しては綺歩に手伝って貰ったので今までよりもいい点数がとれるような気がする。


 一誠は気をかけずともケロリとした顔で高得点を取るに違いない。


 通い慣れた綺歩の部屋であるが、綺歩も同じらしく俺がいる状態に慣れたためか最近だと部屋着で迎える。


 部屋着と言ってもだらしない格好ではなく、普段よりも幾分ゆったりとした印象の服を着ているのだが、こういう普段とは少し異なった面を見せられると少なからず意識してしまうのが男の性。


 しかも相手が校内屈指の美人なのだから役得と言うか、理性が試されると言うか。


 ユメのおかげか、ユメのせいか、女性に慣れてきた気がするので良かったもののと言ったところ。


 まあ、ユメがいなければこうやって綺歩の家で勉強していないのだが。


「今日はピアノなんだね」


「勘が鈍らないように色々触っておきたいから」


 軽く音を確かめてから、綺歩が鼓草を弾き始める。


 今日はと言う事で、昨日はギターを弾いていた。


 以前までやっていたようなボイストレーニング的なものするのだけれど、こうやって綺歩が思うままに弾く楽器に合わせて歌うのが練習の始まりになりつつある。


「やっぱりユメちゃんの歌はすごいよね」


「ありがとう。でも、皆の演奏にはまだまだ追い付けていないんじゃないかな?」


「そんな事ないよ。人によって好みはあると思うんだけど、私が今まで聞いてきた人の中でもトップレベルだよ」


「そうなのかな?」


『自分じゃ分からないものだな』


 綺歩が見え透いた冗談を言うとも思えないし、もしもそうであるならば俺としても鼻が高い。


 ユメが高い評価を受ける事に全く嫉妬心がないと言えばうそになるが、今はそれ以上に誇らしい。


「文化祭ではもちろん、学外ライブでも驚かれるんじゃないかな?」


「学外ライブの予定なんてあったの?」


『そんなの初耳だな』


「予定はないけれど、テストが終わったらもう夏休みでしょ?


 稜子が何もしないとは思えないんだよね。テストが終わって、返却されたら急に「八月の頭に学外ライブやるわよ」って言ってきそうじゃない?」


「確かに想像できるね」


 苦笑気味にユメが返す。稜子なら言ってきそうだけれど、言われる方の身にもなって欲しいものだと思わなくもない。


 学外ライブは主に稜子の知り合いの小さなライブハウスで演奏をすることを指している。


 俺も一度だけ参加したことがあるが、何故か俺達がやる時には宣伝等々ライブハウス側がやってくれた。


 曰く「君らほどの演奏ができるグループは他にいないし、その分人気も高くてね。参加してくれるってだけで普段の数倍の集客になるし、君ら目当てのお客はここでチケット買うしかないからね」とのこと。


 詳しい事はわからないが、要するに俺達は看板としてライブハウスのもうけに繋がっているかららしい。


「優希がわたし達のライブに来たいみたいなこと言っていたっけ」


「そうなの?」


「綺歩や稜子の演奏を聴きたいんだって」


「でも優希ちゃんには、ユメちゃんのこと言っていないんじゃなかったっけ?


 遊君が歌っていなくて大丈夫なのかな」


 綺歩が不安そうな顔をする。ユメはちょっと困ったように俺に「何て返せばいい?」と尋ねてきた。


 以前ならばすぐに答えていたと思うのだけれど、俺寄りの質問にはこんな風に尋ねてくれるようになった。


 結果答えが同じであろうとも、ユメと遊馬の境界をしっかりと分けるという俺達だけの意味合いがある。


『俺としてはユメを優希に自慢できるから構わないんだけどな』


「わたしが言わないと駄目?」


『後約十分も綺歩は答え待っていてくれないだろ』


 俺の言葉を聞いてユメが一つ溜息をついて、綺歩の方を見る。


「遊馬としてはわたしを優希に自慢できるから、わたしが歌っていてもいいみたい」


 そのユメの台詞を聞いて綺歩は少し驚いた顔をしたけれど、すぐにいつもの顔に戻って口を開いた。


「遊君はそれでよくても、優希ちゃん的にはどうなんだろう?」


「優希はあまり遊馬が好きじゃないみたいだから……」


「そんな事無いと思うんだけどね」


 綺歩が見守るような笑顔を向けてきたけれど、流石に綺歩の勘違いではないだろうか。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 綺歩と練習をするようになって、家に帰るのがおおよそ夕飯を作っている時間帯になっていた。


 ちゃんと家族に言っているので咎められることはないのだけれど、藍は手伝いしているので、リビングでテレビを見ている優希とよく顔を合わせる様になる。


「兄ちゃんお帰り」


「ただいま。優希もう少し格好考えた方がよくないか?」


 ソファにうつ伏せに寝転がりながらテレビを見ている優希の服装は、ノースリーブにショートパンツ。


 それは別に構わないのだが、ノースリーブの方が捲れて白い肌が露出している。


「兄ちゃんには言われたくない」


 そっけなく言いつつ服装を正す優希に「はいはい」と返してから、荷物を部屋に放り投げるついでに藍と母さんのいるキッチンに顔を出す。


 Tシャツにロングスカート姿の藍は赤と白のチェックのエプロンをつけて、お玉を持ったままこちらに振り返る。


 その奥には片付けに入っている母さんが居た。


「お兄ちゃんお帰りなさい。もう少ししたら出来るから待っててね」


「わかった、楽しみにしているな」


「遊馬、今日も綺歩ちゃんのところ行ってきたんでしょ? 迷惑とか掛けなかったでしょうね」


「迷惑とかかけなかった……とは言えないか。教えられっぱなしだったし」


「いっそ綺歩ちゃんに家庭教師して貰えばいいんじゃない?」


 冗談を言う母さんは何とも軽いと言うかノリがいいと言うか。


「そしたら藍や優希にも教えないといけなくなって、綺歩が勉強できなくなるだろ」


「あ、お兄ちゃん酷い」


「綺歩も教えるのがお前たちなら、迷惑もかからないんだろうけどな」


 楽しそうに酷いと言ってきた妹に、わざとらしく肩を落として返してから、部屋に向かう。


『やっぱり優希は相変わらずだよね』


「話してくれるだけマシって感じでもあるよな」


『わたしも藍や優希とまた話をしたいんだけど……』


「悪いなユメ」


『ううん。わたしが聞きたいことは遊馬が聞いてくれるもんね』


 鞄を机に立てかけて、部屋着に着替えてからリビングへ戻る。


 夕飯はまだできておらず――そもそも五分もかかっていないので当たり前だが――優希が寝転がっているソファに寄りかかるように座った。


「兄ちゃん近い」


「寝転がっている方が悪いだろ、この場合」


「そうだけど……」


 バツの悪い顔をする妹に「そう言えば」と話を切り出す。


 普段はこんなことは稀なのだけれど今日は話す話題もあるから。


「もしかしたら、夏休みにライブハウスでライブするかもしれないらしい」


「本当?」


 かつていない食いつきで優希がガバッと起き上がる。そんなに綺歩の演奏を聴きたいのだろうか。


 優希が音楽にこれほど興味があるとは思わなかった。


「まだ確定したわけじゃないけど、可能性は高いだろうな。部長の性格を考えると」


「でも、ライブハウスってお金取られるんじゃないの?」


「たぶん頼めばお前と藍の分くらいならチケットくれるんじゃないのか?」


「確かチケットって三千円くらいだったよね」


「あと、それとは別にドリンク代で五百円くらい取られるらしいけどな」


「と、言う事は……でも何とか……」


 俺の言葉が聞こえていないのか、ぼそぼそと優希が呟き始めたところで、夕飯が運ばれてきてそのまま話は終わってしまった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 お風呂にも入ったし、部屋に戻って、さて何するかと思っているとコンコンとノックする音が聞こえてきた。


 誰だろうとドアを開けたら、パジャマ姿の藍が立っていた。


 ノートを抱えているので勉強を教え欲しいのだろう。


 とはいえ別の理由かもしれないのでとりあえず尋ねる事にする。


「藍か、どうしたんだ?」


「テスト範囲で分からないところがあって、お兄ちゃん時間大丈夫?」


「そっか、中学校も期末テストだっけか」


 藍を招き入れて、折り畳み式のテーブルを広げる。


 慣れたように座布団を敷いて藍が座ったところで話しかける。


「たまに思うんだが」


「どうしたのお兄ちゃん?」


「藍なら別に俺に教えてもらわずとも勉強できるんじゃないのか?


 テストの点も良かっただろ確か」


「お兄ちゃんに教えてもらってこその点数だよ」


「藍が分からないって言っているところ、十中八九ケアレスミスが原因だろ」


「そ、そんな事は……」


 藍の目が泳いだのでじっと見ていると、白状するように藍が口を開いた。


「本当はお兄ちゃんとちょっと話がしたくて……でもいつもは本当に分からないから来ているんだよ?」


「話しって言うのは?」


「今日優の機嫌が好さそうだったから、何かあったのかなって思って」


「優希の機嫌が良くて、どうして俺の所に来るんだ?」


 思い当たる節がない事もないが、優希が俺の事をよく思っていない事は藍も知っているだろうに。


「だってお兄ちゃん以外に考えられないから」


「他に何があるの? みたいな顔されてもな……


 夏休みにライブがあるかもしれないって教えはしたが」


「お兄ちゃんがやっているバンドの?」


「まあ……そうだな」


「そうなんだ。私も行きたいな」


 少し甘えた声を出す女の子が、本当に俺の妹なのだろうかと思う事が良くある。


 ただ、ユメの妹だと言われたら妙にしっくりきてしまうのはなぜだろう。


「いろいろ決まったらまた教えるから」


 どうして俺はこの妹に、俺は歌わないのだと本当の事を伝えられないのだろうか。


「邪魔してごめんねお兄ちゃん」と藍が部屋から出て行った直後頭の中で声がした。


『ごめんね遊馬』


「ユメが謝ることじゃないだろ。今のところ俺の問題だしな」


 こんな事があった事もテストが始まってしまえば忘れてしまうもので、テストが終わって稜子が校外ライブをすると言い出すまで、すっかり忘れてしまっていた。

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