第20話

「もう大丈夫です。ありがとうございました」


 晴れ晴れとした顔で鼓ちゃんが顔を上げたので、ユメが解放する。


「ごめんね。遊馬に感覚が伝わっているのはわかっていたんだけど、どうしても放っておけなくて」


「そんなことないです。むしろ、だいぶ甘えちゃいました。でも、あたしは遊馬先輩のままでも……」


「鼓ちゃん?」


 でも、の後鼓ちゃんの声が急に小さくなって聞こえなかったので、ユメが尋ね返す。


 しかし、鼓ちゃんは焦ったように手をパタパタと振り「何でもないです」と言った。


 聞かれたくない事だったのなら別にいいのだけれど、ユメもそう思ったのかそれ以上は触れることはせず「今日はもう帰った方がいいかもね。鼓ちゃんも疲れたでしょ?」と鼓ちゃんに帰るよう促す。


「そうですね。泣き疲れちゃいました」


 鼓ちゃんは素直に言ってから「お先に失礼します」と教室を後にする。入れ替わりに桜ちゃんが入ってきた。


「さっきの話本当なんですか?」


「さっきのって?」


「桜を道連れにして部活を辞める話です」


「鼓ちゃん次第だし、桜ちゃん次第だよ。でも可能性として桜ちゃんならついてきてくれるかなって……遊馬は考えたんじゃないのかな?」


「まあ、つつみんもユメ先輩も抜けるなら桜が抜けるのもやぶさかじゃないですが、勝手に決め過ぎじゃないですか?」


 桜ちゃんが少し拗ねたように言うので、ユメも苦笑いを浮かべるしかない。


 しかし「でも」とすぐに機嫌を直して桜ちゃんがユメを見た。


「つつみんの事ありがとうございました」


「わたしたちに責任がなかったわけじゃないし、たぶんわたしは稜子と同じくらい鼓ちゃんを追い詰めたんじゃないかな?」


「でも、一番はつつみん自身だと思うんですけどね。辛かったらもっと早く相談してほしかったです。


 ところで先輩。さっきの話は本当なんですか?」


 もう一度同じ質問を繰り返す桜ちゃんにユメが首をひねる。俺も心の中で首をひねった。


 桜ちゃんはじっとユメの様子を窺い、続けて口を開く。


「遊馬先輩は裏声の方が云々って話です」


「綺歩達には内緒にしておいてね」


「勿論です」


 桜ちゃんは「それでは桜もお先に失礼しますね」とくるりと身を翻して、空き教室を出て行った。


 その動作は見る人が見たら見惚れるほどなのだろうけれど、今はそんな気分ではないし何よりも主導権はユメにあるので簡単に視線から桜ちゃんの姿は消えた。


『わたし達も帰ろうか』


「そうだな」


 頭の中に聞こえるユメの声で十五分経ったことを理解して、戻ってきた主導権でもって帰宅することにした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 荷物は音楽室にあるのだけれど、取りに戻るのは気が引けるので明日の朝にでも取りに行こうと決めて下駄箱へと向かう。


 校舎を出たところでよく知った顔が居たので、急いで靴を履き替えてから声をかけた。


「綺歩」


「あ、遊君お疲れ様」


 いつもの調子で返してくる綺歩を見て、稜子の方も上手く収まったのかと安心して歩きだす。


 俺の隣を綺歩が自然とついてきて、「はい」と見慣れた通学カバンを渡してきた。


「悪いな」


「遊君なら置いて帰るかなって思ってね」


「その為に待っていたのか?」


「それもあるけど、鼓ちゃんはどうなったかなって思って。


 でも、さっき会った時にいつも通りだったから安心したよ。謝られちゃったけど。


 遊君、ありがとう」


 覗き込むように笑顔を向けてくる綺歩に思わずたじろいでしまい、視線を逸らして「稜子の方はどうなったんだ?」とそっけなく訊く。


「ユメちゃんがいる段階でもだいぶ自分がしでかしたことの重大さには気が付いていたみたいなんだけど、なかなか認められなかったみたいだから」


 楽しそうに話す綺歩は、珍しく悪戯っぽい顔をしていた。


「ライブまでに鼓ちゃんと仲直りしなかったら辞めるって言っちゃった」


「一緒だな」


「一緒?」


「もしもこれからの練習で鼓ちゃんが納得できないことがあった時には、桜ちゃん巻き込んで一緒に辞めようって約束したからな。


 新しいバンドを組もうって」


「その時には私もそっちに入れてもらおうかな」


「ま、稜子はまだしも鼓ちゃんはもう大丈夫だと思うけどな」


「稜子にも鼓ちゃんの素直さを分けて欲しかった」


 言い方こそ明るく、顔だって冗談を言っているように笑っているけれど、いかに稜子の相手をするのが大変だったかがうかがえる。


 それなら俺は鼓ちゃんでよかったと不謹慎な事を考えてしまっていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 部活で何が起ころうと授業は普通に行われるもので、それでも週末のライブが告知されていた学校は少しだけ浮ついているような印象を受けた。


 ライブまで練習は後二回。鼓ちゃんの一件落ち着いたとはいえ、解決したわけではない。


 不安要素は稜子。あのプライドの塊みたいなやつがどうやって鼓ちゃんに謝るのだろうか?


 綺歩曰くただ鼓ちゃんが謝るだけだったら認めないらしい。


「遊馬知っているか? アンケートの結果すでに音楽室の許容量越えたらしいぞ」


「さすがと言うか何というかだな」


「何をどうやったのかわからんが、各教室を使う許可も貰ってあるらしい」


「さっき放送で言っていたな。それでお前つかまっていただろ」


 昼休みの放送で各教室へ向けての生放送が決定したことが告げられ何故か歓声に包まれた。


 どんな人気だよと突っ込みたくなる。


 一誠は放送の直後クラスメイトに「本当なのか」と聞かれ続けてようやく俺のところまでやってきた。


 俺の所に誰も来なかったのは言わずもがな。こういうときは楽なのでむしろ嬉しい。


「ライブはどうにでもなるとして」


「凄い発言だな」


「問題は稜子氏とはるるんの行きつく先だよな」


 はるるんって誰だよとは突っ込まない。こちらの台詞をスルーしたことにも突っ込まない。それが対一誠における正しい対応。


「ここから先はもう本人たちの問題だろ」


「ま、そうだな」


 一誠は頷いて、少し遅めの昼食を食べ始めた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 放課後になって今日は科学部に寄っていないので、早めに音楽室についた。


 すでに綺歩が来ていて、一誠もドラムの準備を終えている。


 俺もユメと入れ替わって部活を始める準備をすることにした。


 俺がするのは入れ替わるだけで、後はユメがやるわけだが。


「こんにちは」


 着替え終わって音楽室に戻ったところで、丁度鼓ちゃんと桜ちゃんが揃ってやってきた。


 先に挨拶をしたのは鼓ちゃん。この間の事などなかったかのような、いつもの笑顔にホッとしつつもユメが「こんにちは」と挨拶を返す。


「さて、部活を始めるわよ」


 鼓ちゃんたちが未だ入口にいるところで、稜子がやってきてひとこと言って中に入ってくる。


 鼓ちゃんがビクッと震えていて、やっぱりまだ厳しいかなと思ってしまう。


 対して稜子はいつも通りで、綺歩がやや不満げな視線を向けていた。


「今日も含めてライブまで二回しか練習がなくて、やる曲だって決まっているんだけど、もう一曲新曲を増やすわ」


「新曲を二曲もやるだなんて稜子嬢は攻めるねえ」


「とりあえず、楽譜を配るから目を通しておいて。


 今日の前半はそれの自主練、後半で合わせてみるから。他の曲は大丈夫でしょ?」


 一誠を全く相手にせず稜子が楽譜を配る。


 こんな時に何を考えて新曲なんてと思っていたのだが、先に配られた綺歩がふふっと笑いだしたのに驚いて、ユメが綺歩を見た。


 綺歩にジェスチャーで楽譜を見る様に指示される。視線を落として曲のタイトルを見た瞬間ユメも思わず噴出した。


「この曲に関してはリードギターはアタシじゃなくて鼓に頼むわ。できるわよね?」


 タイトルと歌詞をざっと見て目を白黒させていた鼓ちゃんが急に名前を呼ばれたからか、再度ビクッと背筋を震わせる。


 しかし、すぐに堂々とした声で「はい」と答えた。


 ユメの手元楽譜に書かれていたタイトルは『鼓草』。


 知っていたのかたまたまなのかはわからないが、歌詞はどう見ても鼓ちゃんに向けてのものだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 以降ライブまでの忙しさと来たらかつてないほどのものだった。


 土壇場での新曲で練習時間が増える――とは言っても歌う側としては覚えやすい曲調ではあるし、何より素直に歌えばそれだけで曲にあった歌い方になるので楽ではあるが――、新しい試みのためのリハーサル等々。


 だけど鼓ちゃんは楽しそうで、鼓ちゃんが頑張っているのを見てこちらが音を上げるわけにもいかないので準備は円滑に進んだ。


 本番三十分前には音楽室が解放され、続々と人が入ってくる。ものの五分ほどで音楽室が埋まりすごい熱気が音楽室を包んだ。


 その間ユメ以外の二年生は案内に徹していて、準備室にはユメと一年生の二人。


「どうしてわたしもこっちなんだろう?」


「間違いなくユメ先輩をギリギリまで隠したいからでしょうね」


「ふ、二人とも、よく緊張しませんね」


 ユメと桜ちゃんの会話を傍で聞いていた鼓ちゃんが、あからさまに緊張した面持ちだからか桜ちゃんが笑う。


「つつみんが代わりに緊張してくれているからですかね」


「桜ちゃん、それってどういうこと?」


 いつもの風景を見ながら目を細めるユメを見て、鼓ちゃんが「先輩まで」と一層頬を膨らませた。


 緊張が薄れた所で準備室のドアが開かれ、稜子の「はじめるわよ」と声を掛ける。


「生まれ変わった鼓ちゃんを見せつけなくちゃね」


 準備室を出る前、ユメが鼓ちゃんにそう声をかけると「もちろんです」と自信に満ちた声が返ってきて、頼もしい気分でユメが舞台上に上がった。

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