第19話
しんとした音楽室で稜子が二年生全員の視線を受けて居心地が悪そうにしている。
一年生はこの場に一人もいない。
非難の色がありありと分かる目を向けられて我慢できなくなったのか、稜子が開き直るように口を開いた。
「何なのよ。アタシは当然のことを言っただけじゃない」
「ねえ、稜子本当に当然だったと思っている?」
「当り前じゃない。今週末にはライブをするって言うのに練習に集中できずにミスばかりしていたのだから」
事の始まりは恐らく、部活終わりに鼓ちゃんがユメに相談を持ち掛けた日。
あんな風に別れたのだから、次の部活である今日、鼓ちゃんの様子はだいぶおかしかった。
ユメを意識しては、上の空になりいつも失敗しないようなところでミスをする。
そのたびに――いま思うと――過剰なほどにおびえた様子で必死に頭を下げていた。
同じことが何度も続いて、稜子の気が立っていたのも分からないでもない。
しかし、その時に稜子は最も言ってはいけない言葉を使った。「やる気がないなら三原のように誰かと変わってもらうわよ」と。
鼓ちゃんはショックを隠しきれない様子で音楽室を飛び出し、桜ちゃんはすぐにそれを追いかけた。
だから今この教室に一年生はいない。
この直後稜子は「練習再開するわよ」と一年生の事など気にした様子もなく言うものだから、二年生からの視線を集め、綺歩が怒ると言う珍しい状況が作り上げられている。
「ミスの原因が稜子にあったとしても同じことが言えるの?」
「何よ、アタシはいつも通りだったじゃない」
「いつも通り……ね。まあ、事の深刻さに気がついていなかったオレ達も悪いんだろうけれどよ、稜子様。
本当にいつも通りだったか、遊馬ではなくユメを選んだ後から考えてみてはくれないかね?」
「アタシの何が変わったって言うのよ」
真剣ながらも、こんな時にまでいつもの変な口調で話す一誠はすごいなと思わないでもない。
ここまでユメが何も言わないのは、稜子が変わったとされる原因そのものだからか。
「ね、稜子。鼓ちゃんってわたしが入ってから下手になったのかな?」
しかし黙っていられなくなったユメが稜子に声をかける。
その声は怒ってはおらず悲しんでもおらず。純粋な疑問として投げかけられた。
対して押し黙ってしまった稜子の様子から、答えはこちらが想定していたもの――もちろんNO――だと認識してユメは綺歩の方へと歩きだす。
「綺歩、稜子の方は任せるね」
「ユメちゃん……ううん。遊君は鼓ちゃんをよろしくね。
それからごめんね。私がもっと早く稜子と話し合っていたら良かったのに……」
「今は言いっこなし」
俺とユメだってこんな早急に問題が起きるなんて思っていなかったのだ。
ユメは最終的にそう返してから、準備室の方へと向かう。
鼓ちゃんの話を聞くのは俺以外には難しいだろうから、仕方ないのだろうけれど。
あの日の練習終わり鼓ちゃんが言ったとおり、鼓ちゃんは「捨てられる」ことを恐れている。
だから捨てようとする側の人間が話を聞こうとしても、ちゃんと話を聞ける道理はないだろう。
俺だったらいいのかと言われたらグレーゾーンは否めないが稜子が行くより、一誠が行くより、綺歩が行くより、この場合は桜ちゃんが行くよりも俺が行った方がましだと言うくらい。
ユメが着替えて音楽室に戻った時、ちょうど綺歩が稜子に言い寄っているところだった。
「鼓ちゃんは下手になんかなっていない。
むしろ上手くなっているの稜子も分かっていたでしょ?
それなのに鼓ちゃん自分が「捨てられるんじゃないか」って悩んでいたんだよ?」
「そ、そんなこと知らないわよ。そもそも鼓が勝手にそう思い込んでいただけでしょ?」
「だからつつみん今まで耐えてきたんだろうな。
でも、志手原さん、さっき自分が何ていったか覚えていないのかい?」
ショックを受けた顔をしているのに稜子が認めようとしないのは、意地になっているのかプライドが許さないのか。
ともかく此処は二人に任せて音楽室を出る。
まだユメのままなので男子の制服では歩き難いし、みっともなくはあるんだけれど、そうも言っていられない。
鼓ちゃんが居そうな場所の見当がつかないので携帯を取り出し――携帯は授業中に使わなければ持ち込みは可能とされている――桜ちゃんに電話をかける。
ワンコール目が鳴りきる前にガチャっとつながった音がした。
「もしもし、桜ちゃん。今鼓ちゃんがどこにいるか知っている?」
『何処と言われると今桜がいる場所から少し離れた教室です』
「教えて貰ってもいい?」
『いいですよ。つつみん、桜には「桜ちゃんには分からないよ」って全く相手してくれませんでしたし……』
半ば予想通りの答え。そして予想以上に落ち込んだ桜ちゃんの声。
「それは桜ちゃんが悪いわけじゃないからね?」
『桜の事はいいんでつつみんお願いします。今にもギター止めるとか言いそうな雰囲気なので……』
意気消沈した桜ちゃんに場所を聞いて、鼓ちゃんの所に急ぐ。
着いた場所はいくつかある空き教室の一つ。使われていないという以外、普通の教室と変わらないそこに鼓ちゃんはいた。
途中桜ちゃんが居たので、一度そこで足を止める。
「先輩お疲れ様です」
「桜ちゃん……無理していない?」
ユメを見つけるなりいつもどおりに接してきた桜ちゃんに、ユメが心配そうな声をかける。
「無理はしていないつもりですよ。でも、後悔はしていますね」
「桜ちゃんが後悔することなんてないと思うよ?」
「そんな事はないです。先輩の歌に合わせて楽器を弾けることが楽しくて、ついつつみんに気を配るのを忘れていましたから。
だから半分は先輩のせいですよ?」
「それはちょっと酷くないかな? わたしだって責任感じているのにこれ以上責められたら泣いちゃうよ?」
ユメが冗談を言うのは桜ちゃんに気を遣わせないためか。
うまく行ったのかはわからないけれど、桜ちゃんはクスクスと笑って「行かないんですか?」と尋ねてくる。
「わたしじゃ駄目なんだよ」
「だからそんな格好なんですね」
「まあ、そういうこった。それじゃあ、行ってくる」
桜ちゃんとの会話の途中で俺に戻ったので、鼓ちゃんの元へ向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
足音を聞いてなのか、こちらを向いた鼓ちゃんが驚いた顔を見せた。
「今度は遊馬先輩が来たんですね」
「まあね」
短いやり取りの後、静寂に包まれる。
鼓ちゃんは今にも泣き出しそうな顔をしていて、俺としてもどんな言葉をかけていいのかさっぱりわからない。
だからと言って黙っているのはいけないよなと思い、何か言いだそうとしたところで、鼓ちゃんがぽつりと呟くように話し始めた。
「先輩にあんなこと言ったから、あたしも捨てられたんですよね」
「鼓ちゃんは捨てられていないよ」
「そう……思っていました。でも最近稜子先輩に怒られることが増えて、捨てられるんじゃないかと思っていっぱい練習したのに、やっぱり怒られて、とうとう捨てられちゃいました」
もうほとんど泣いているような状況で鼓ちゃんは話し続ける。
「先輩は
「鼓草?」
「あたしの名前の由来になった花です。
皆がよく知っている呼び方をしたらタンポポ。
桜やチューリップ何かに比べて見向きもされないタンポポ。
どんなに努力してもその努力を見てもらえないあたしにぴったりの名前だと思いませんか?」
「そうだね」
躊躇いのない俺の返しに鼓ちゃんが一瞬ショックを受けたような顔をして「そうですよね」と俯く。
「確かに目立たないかもしれないけれど、見てくれている人はきっといる。好きな人はとっても好きな花だよな。タンポポって」
俯いていた鼓ちゃんが驚いたようにこちらを見たけれど、構わず続けることにする。
「鼓ちゃんがここまで追い詰められていたなんて気がついていなかった俺達には言われたくないかもしれないけれど、鼓ちゃんが頑張っていたことはみんな知っていたよ。もちろん稜子も」
「そんなの嘘です。先輩は……先輩はユメ先輩としてとても上手くなったから。
先輩だけはあたしと同じだと思っていたのに」
鼓ちゃんの話はまるで脈絡がなく、だからこそ鼓ちゃんが如何に傷つき迷っているのかが分かる。
「鼓ちゃんと俺は最初から同じじゃないよ。鼓ちゃんはずっと鼓ちゃんとしての音楽を、自分がやりたい音楽をやっていたんだよな」
「先輩だってそれは……」
「でも、俺はそうじゃない」
『……ッ』
「これは綺歩にも言っていない事なんだけど、俺は地声で歌うのはあまり好きじゃない。
地声は俺本来の歌い方じゃないんだ」
鼓ちゃんがよく分からないと言った顔でこちらを見てくるが、気にせずに続ける。
改めて自分で声を出してみると何ていうか、妙な虚無感に襲われるのだけれど、鼓ちゃんが何か感じ取ってくれればいいかと自分に鞭打つ。
「俺が好きな……好きだったのは裏声で歌っている時。その時が他の何よりも楽しい時間だった」
「え……あ……でも、先輩は……」
「もう裏声では歌えないよ。歌おうとすればユメと入れ替わるし、ユメの歌はあくまでユメの地声での歌であって裏声じゃない。
だからって言うつもりはないけれど、少なくとも鼓ちゃんにはこんなことで好きな音楽を止めないでほしいし、できれば帰ってきてほしい。
どうしても戻りたくなかったら、そうだな……桜ちゃんでも誘って鼓ちゃんと桜ちゃんとユメとで新しくバンドを組もう」
“俺”ではなく“ユメ”と言わなければいけない現実に少なからず悔しさを覚えるが、今やるべきことは鼓ちゃんを元気づけることなのでそれを隠して、努めて明るくふるまう。
鼓ちゃんは落ち着かないのかキョロキョロと視線を泳がせてから、躊躇いがちに口を開いた。
「先輩達は本当にあたしを見ていてくれたんですか?」
「ああ、ここに来る直前に確かに「鼓ちゃんは上手くなった」って言っていたよ。
鼓ちゃんが今後そう感じなければさっき言ったとおり桜ちゃん誘って新しくバンド始めよう」
「……飛び出してきて、どんな顔をして戻ったらいいでしょうか?」
「いつものように笑顔でいてくれたらそれでいいさ」
「そう……ですか。だったら、少しだけ時間をくれませんか?
きっと、泣き……終わったら、いつ……も通りに、なります……から」
目を真っ赤にして、嗚咽交じりに鼓ちゃんは何とかそこまで言うと、声をあげて泣き始めた。
目からあふれる涙が、鼓ちゃんがここ数日どれほど辛い思いをしてきたのかを表しているかのようで思わず抱きしめてあげたくなったのだが、如何せん男であると言う事が邪魔をして今は鼓ちゃんを見つめることしかできない。
しかし、今の自分は男だけではなかったのだと思いだし短く声を出す。
「ユメ、頼んでいいか?」
『うん。遊馬お疲れ様』
ユメの優しい声を聞いて、俺も少しだけホッとしたように感じた。
どうしてなのかわからなかったのだけれど、ともかくすぐにユメと入れかわる。
ユメは椅子に座っている鼓ちゃんを後ろからそっと抱き締めると、何も言わずただ頭をなで続けた。
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