第17話

 制服を受け取ってから、店を後にする。少し歩いたところで桜ちゃんがくるっと回って俺達の方を見た。


「先輩方も今日はお付き合いありがとうございました」


「こちらこそ。こうやって皆で集まることってほとんどなかったから楽しかったよ」


「たまにはこういうのもいいんじゃないかしら」


 綺歩と稜子がそれぞれに言ったところで、一誠がユメを見ていることに気がついた。


 どうして見ているのだろうかと思っていると、一誠が口を開く。


「ユメユメのサービスシーン見放題だっ……」


「さすが御崎。さっきのじゃ懲りていなかったみたいね」


「耳引っ張るのは反則じゃないか? 耳は」


「鼻とか目とかの方が良かった?」


「……耳でお願いします」


 一誠が大人しくなった所で、その日は解散となり散り散りに家に帰る。


 ユメと綺歩はほぼ同じ所に住んでいるようなものなので、意図せずとも一緒に帰ることになった。


「ねえ、綺歩」


「どうしたのユメちゃん」


「頼みたいことがあるんだけどいいかな?」


「どんなこと? 言ってみて」


 ユメが頼みたいことはわかる。一つは着てきた服に着替える場所を提供してほしいこと。


 二つ目に買った服――買って貰った制服も含め――を一時的にでも良いから置いておいてほしいこと。


 ユメは手に持っている紙袋を綺歩が見やすいように挙げると口を開いた。


「これを綺歩の家に置いておいてほしいって言うのと、着替えさせてほしいかなって」


「着替えるのはいいんだけど、今日買った物を私の家に置いていていいの?」


「遊馬がそう言うのを買って帰ってきたのを藍や優希に見られるとちょっと困ると言うか……」


「なるほど。それなら大丈夫だよ」


「ごめんね、迷惑ばかりかけて」


 ユメが申し訳なさそうに言う。もちろんその申し訳なさはユメだけでなく俺も感じている。


 俺が俺とユメに分かれて今の状況になって以来、あまりにも綺歩を頼り過ぎているのだから、なんとも思わない方が無理だと言うものだ。


 しかし、綺歩は気にしていないように首を振った。


「本当に大変なのはユメちゃんと遊君でしょ? 私は頼ってくれて嬉しいな」


「綺歩は本当に優しいよね。わたしの幼馴染にしておくには勿体ないくらい」


「ユメちゃんとして接するようになってからまだほとんど時間は経っていないけどね」


 そんな会話をしながら、何事もなく綺歩の家で着替えを済ませ俺に戻り家に帰りつく事が出来た。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「兄ちゃんお帰り」


 リビングに入ったところで、ソファに座って本を読んでいる優希のやる気のない声に迎えられた。


「兄ちゃんが私服で出かけるなんて珍しいけど、何かあったの?」


「何かってわけでもないけど、部活の買い物に付き合っていただけだな」


「そっか。部活と言えば兄ちゃん」


「どうしたんだ?」


「兄ちゃんのバンドを見に行くとするとやっぱり文化祭まで待たないといけないの?」


 そっけない態度とは言え優希から話を振ってくれるのは珍しいので、ちゃんと答えてやらないといけないと思うのだがどうしてもこの質問内容が心を乱して「ああ……うん。そうだな」とはっきりしないものになってしまった。


「優希が興味を示すなんて珍しいな」


「綺歩ちゃん含めて兄ちゃん除くとレベルが高い人ばっかりなんでしょ?


 ちょっと気になってね。この間久しぶりに綺歩ちゃんにも会えたし」


「まあ、そうだな。とは言え、流石に優希が来られそうなのは文化祭くらいだと思うぞ」


 これだけ言い残し、逃げるようにリビングを後にする。


 自分の部屋に入りベッドに倒れ込んだ所でユメの声がした。


『わたしがこんなこと言っていいのかはわからないんだけど、よかったの?』


「よかったって?」


『優希に遊馬が歌わないって言わなくて』


「ああ、そう言うことか。別にいいだろう優希は俺の事を見に来たいわけじゃないだろうからな」


『そうなんだけど、遊馬としてはどうなのかな』


 ユメの言葉を無視して、静かに目を閉じた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「やはりと言うべきか。君たちの遺伝子は双子レベルで同じだったよ、性別が違うと言う事を除いたらね」


 学校が始まって数日、あまり気は進まないが行かざるを得ないだろうと思い科学部の部室に足を運んだ。


 瓶底眼鏡に白衣、二つ結びと言うところまで前回と変わらない巡先輩から、すぐに報告を受けた。


「一生徒がそんな事出来るものなんですね……」


「まあ、知識はあるからな。別に信用しろとは言わないし、事実遺伝的に一緒だったからと言って君自身がどうだと言うわけでもあるまい」


「確かに違おうが違うまいが現状どうにかなるわけじゃないですけど……」


「だからもっと君にも実のある事をしようじゃないか」


「実のある……ですか?」


 巡先輩の意図が分からず首をかしげると、巡先輩が出入り口の方を指さす。


 何が何だか分からず指の指された方を見ると巡先輩の声が聞こえてきた。


「今から一分以内に一階まで下りて帰ってきてくれたまえ」


「無理言わないでください。


 いや、無理じゃないかもしれないですけど、何の為にそんなことするんですか」


「例えば、だ。疲れた状態で君たちが入れ替わるとどうなる?」


「どうなると言われても、たぶん疲れた状態でユメが表に出るんじゃないんですか?」


「その“たぶん”を確かめるのが大切だと、そうは思わないかい?」


 巡先輩の話し方はどこか癪に障るのだけれど、言っていること自体は何ら間違っていないように思えたので「わかりました、いってきます」と嫌々ながら科学部室の外へと飛び出す。


 科学部室は校舎の三階。運動部だったら大した距離じゃないのかもしれないけれど、普段あまり運動していない身としてはそれを全力で走るのは辛い距離。


 案の定科学部室に帰ってきたときには肩で息をしていた。


 しかし巡先輩が思っていたよりは早く帰ってこられたのか「なかなかに早かったな」と声をかけられる。


「では早速入れ替わってみてくれ」


 簡単に言ってくれるがこちらは呼吸すら整っていない状況。正直裏声を出すのも辛い。


 だが、それを言葉にするのも辛いので、荒い息遣いの中で消え入るような裏声を出す。


 確かに発音できたはずだから入れ替わったはずなのに、全く感覚は変わらない。胸が苦しく、喉が痛い。


 意識的に深く呼吸するようにして徐々に呼吸が落ち着いて行く中で、胸を押さえる様に持っていかれた手は俺が意識したものではなく、ユメに入れ替わっていたのだと感じる事が出来た。


「尋ねるまでもなさそうだね」


「そう……ですね」


「それでは少し待っていてくれたまえ」


 巡先輩はそう言って何やらパソコンをカタカタと使い始める。


 何をやっているのか気になりはするが、今はそれよりも呼吸を落ち着けるのが大切。


 中学の時も運動していなかったとはいえ、平均レベルには体育の成績も取れていたはずなのだが、平地を走るのと階段の上り下りと言うのはまた違うのだなと実感させられる。


 喉の奥がくっつくような嫌な感じを覚えるが、今の主導権はユメにありユメが何も言わなければ水も飲めない。


「さて、解析が終わったよ」


「解析って、何のですか?」


 ユメの呼吸が落ち着いてしばらくたった頃、巡先輩が日常生活では聞きなれない言葉を言ったので首をかしげる。


「以前来た時に言っただろう? 片方が筋トレをしたらもう片方にも効果があるかもしれない、と」


「そうでしたね」


「その仮説が正しいと言う結果が出たのだよ」


『だとすると、変に太れないな』


「むしろちゃんと食べないと駄目じゃないかな? お陰さまで白くて細い感じにはなっているけど」


 からかうようにユメは言うが、俺がそんなに食べられるわけないだろう。


 中学の頃はお金さえあればカラオケで引き籠るように歌しか歌っていなかったと思うし。


 休みの日にフリータイムなんてやってしまったら、昼食そっちのけで歌い続けていた事もユメにはお見通しだろう。


 真剣そうな巡先輩の声が聞こえてきたので、意識を向ける。


「それから一つ訊いておかないといけないことがあるんだが」


「どんなことですか?」


「君たちが今のような状況になるために、元の君が望んだことをだね」


「遊馬が望んだこと?」


「望んだことじゃなくてもいいんだが、元の君の心の動きが何らかの形で影響するという仮定で、今の君らのような状況になりそうな事を何か考えたんじゃないか?


 前回ちゃんと聞いても良かったのだが、志原君に聞かれたくないようなことかもしれないと思ってね」


 巡先輩の言い回しは回りくどいけれど、要するに今の状況になった原因は何か思いつかないのかと言うことだろう。


 ひとつ思い当たることくらいある。


「ねえ、遊馬言っちゃっていい?」


『ああ、そうしないと先に進まないだろうからな』


 本当は言いたくないとユメはわかっているのだろう。


 だからこそ、ユメの口から「歌う時に想像していた女の子を羨ましく思ったからだろう」と言って貰えるこの状況は少し気が楽ではある。


「ふうむ。なるほどな」


「笑ったりは……しないんですね」


「人の嗜好などごまんとあるのだよ。君のそれ然り、ワタシの研究然り。


 我々のものは周囲に迷惑を掛けていないのだから非難されることはない。そう思わないかね?」


「わたしたちは掛けられていると思うんですが……」


「何か言ったかね?」


「あ、いえ。何も。これを聞いてどうするんですか?」


「ワタシの崇高な研究がどれほどまでに上手くいっていたのかを確認したくてね」


 巡先輩はそう言うと科学部室の前方に置かれている謎マシーン、願望実現マシーンに近づくと恍惚とした表情でそれを撫でた。


 ああ、やっぱり変な人だ。


「でも、君の言葉を聞いて確信したよ。ワタシの研究は間違っていたが、間違っていなかったってね」


「どういうことなんですか?」


「言葉通りの意味さ。願望実現マシーンは失敗ではなかった。


 ただ、正しく人の願いを理解させることができなかっただけでね。しかし、そうなると……」


 巡先輩はそれからブツブツと一人何か呟くと、何かを思い出したようにこちらを向いた。


「ところで最近長時間君の方でいなかったかね?」


「この間の休みにはずっとわたしのままでしたけど……どうかしたんですか?」


「どうと言うわけではないが、少し数値に乱れがあってな」


 数値とか言われてもよく分からないのだが、言われてしまった手前気にならなくもない。


 しかし、綺歩の事を考えて前回は深く聞かなかったことや、今日も三階から一階までを往復でダッシュさせられたくらいで特に変な事をさせられたわけじゃないと考えると、思っていたよりも巡先輩はいい人なのではないのかと思う。


 その人が「どうと言うわけではない」と言っているのだからあまり気にしなくてもいいのかもしれない。


「数値に関して何も聞かないのだね」


「わたし達じゃ聞いても理解できないでしょうし、巡先輩は案外悪い人ではなさそうなので」


「そうか……今日はこれくらいにしておこう。現段階で何か困ったこととかはないかい?」


「できたら、わたしが戻るタイミングが分かるような、タイマーとか欲しいところですが……」


 このタイミングでユメから俺に戻ったので俺が続ける。


「どうしても、忘れる時がありまして」


「そのようだね。次回までに考えておこう」


 頭を下げてから、科学部室を後にして、一つ上の階にある音楽室に向かった。


 音楽室の前に着いたところで、ユメに変わって中に入ろうと扉を開ける。


「ほら、鼓。さっきも同じところ間違えたでしょう」


 音楽室の中から、強い叱責の声が聞こえてきた。

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