第3話
週の半分音楽室が使えると言う事は週の半分は休みなわけで、練習のない今日はいつものように綺歩と二人で綺歩の家で練習することになっている。
そもそも俺が歌を歌うようになったのは昔から交流がある綺歩と綺歩の父親の影響がある。
綺歩の父親がかなりの音楽好きで、小さい頃から綺歩にあらゆる楽器を仕込んでいた――これもあって綺歩はキーボードだけじゃなくギター、ベース、ドラム等々様々な楽器をかなり高いレベルで弾くことができる――のだが、幼馴染として楽しそうに楽器を弾いている綺歩が羨ましく、楽器を弾くことのできない俺が選んだのが歌だったのだ。
ただ楽しいから歌っていただけなので、綺歩の楽器ほど上手くないし、裏声に固執するというひん曲った道を進んでしまったわけだが。
ともかく声変わりをする前は、綺歩と綺歩の父親が弾く楽器に合わせて歌うことがあった。
しかし声変わりをして裏声に目覚めてから、また男女と言うこともあり少しずつ距離が出来た結果、いつの間にか綺歩の家に行くことが無くなった。
高校生になって綺歩の家に行き出したのは、綺歩が俺をバンドに誘ったから。と言うよりも初日に稜子にボロクソ言われている俺を見たからだろう。
誘った責任を感じて付き合ってくれている、と言うのが正しい。
それからずっと練習がない日は一緒に練習するのが習慣になっている。
「それじゃあ、発声も終わったし新曲の練習でもしようか。少し高いけど遊君なら大丈夫だよね」
綺歩はピアノの前に座った状態で、目にかかった髪を払うことも無く首だけこちらに向ける。
昨日の事が気になってはいたけれど、発声が終わるまでは特に変わったことも起らなかったので「そうだな」と短く返した。
目を細めて頷いた綺歩が、ピアノの方を向いた時にふわりといい香りがする。
綺歩の部屋で練習している時点で、常に良い匂いはしているのだけれど。
綺歩の部屋は女の子らしく整理が行き届いていて、ベッドやらクッションやらと言ったものは全体的に淡い青色で統一されている。
勉強机には小さい頃から今までの写真を、勉強の邪魔にならない程度に置いていて、本棚には教科書とノートの他に小説と何冊かの少女漫画がある。
何より目を弾くのは小学校の各教室に設置されているようなピアノ――アップライト・ピアノと言うらしい――を代表としてギター、ベースと言った楽器類がある事だろう。
ドラムなどもこの家にはあるが、また別の場所に置いてある。
少し女の子の部屋らしからぬ気もする部屋も、ピアノの前に綺歩が座っているだけでどうしようもないくらいに女の子の部屋へと変貌する。
流石にもう慣れてしまったとは言え、久しぶりに連れてこられた時にはえらく緊張してしまったのを覚えている。
「やっぱり綺麗にしてるんだな」と緊張を隠すように言うと、「久しぶりに遊君が来てくれるってなったから頑張って片付けたんだよ」なんてはにかみながら言うものだから、どうしていいのかわからなくなってしまったものだ。
「それじゃあ、行くね」
綺歩の楽しそうな声がして、曲の前奏が始まる。
もちろんこの曲はバンドとして演奏するための曲で、本来はピアノで弾くものじゃない。
綺歩が自分でピアノ用にアレンジして弾いているのだ。
その作業が大変じゃないのかと以前聞いたことがあるが、クスクスと言う笑い声と共に「遊君には頑張ってもらわないといけないから」と返ってきた。
今から歌う曲は若者から見た大人の身勝手さを非難するような曲で「どうしたらいいのさ」と言う歌詞から始まる。
綺歩が言っていた通りとても高い曲で、シャウトするように入るのだが、その段階から裏声を交えないと出し切ることが出来ない。
最初からコケないように一度深呼吸してから声を出す。
「どうしたらいいのさ」
ワンフレーズ歌ったところで、ピアノの音が止まった。
それから驚いたように綺歩がこちらを見る。
「うーん……やっぱりそういう反応になっちゃうよね」
確かに俺の口から出ているが、俺はこんなことを話そうとは思っていなかったし、何よりこんなに声は高くない。
まったくもって昨日のカラオケでの感覚と同じ。
「えっと……遊君?」
困惑した表情で綺歩が尋ねてくる。
俺ももうイエスと答えられる自信はないのだが、俺の口は「そうだよ」とかわいい女の子の声を発する。
綺歩は固まったまま何かを考えると、まじまじとこちらを見つめて口を開いた。
「私の名前は?」
「志原綺歩」
「遊君がうち歌いに来ていたのは高校になる前はいつまで?」
「小学校の六年生だね」
「私が最初に弾いていた楽器は?」
「わたしが初めて見たのはギターだったかな」
「じゃ、じゃあ……私と遊君が一緒にお風呂に入ってた……」
「これも小学六年だったよね」
突然始まった質問と答えのラッシュは綺歩の質問に俺(?)が被せる形で即答した所で終了した。
と言うか、綺歩もそんなに恥ずかしそうに顔を赤くするなら最初からそんな質問をしなければいいものを。こっちまで恥ずかしくなってくる。
「本当に遊君?」
上目遣いで綺歩が恐る恐る尋ねるが、俺は肯定できる自信はない。
「そうだよ」
だが、俺の口は違うらしく即答した。
流石にもう気がついてはいるが、昨日のカラオケでのことが夢ではなく今の俺は例の美少女になっているのだろう。
もしくは今の状況全てが夢か。
「でも、さっき『わたし』って言ってたよね?」
「うーん……」
そう言って俺(?)は目を閉じ、腕を組んで考える。腕が何やら柔らかいものに当たっていて、変に意識してしまう。
昨日一瞬だけ姿が見えた時には確かに小さかったため、ボリュームがあるわけではないが、やっぱり女の子なんだなとしみじみと思う。
益体のない事を考えている間に、俺(?)は目を開けた。
「正直わたしもよくはわかっていないんだけど、恐らくわたしは三原遊馬の女の子バージョンって所ね」
「そしたら男の子バージョンの遊君は?」
「わたしの中にいるよ」
俺(?)がほんのりとしかない胸に手を当てて答える。
要するに両声類だった俺は両性類にLvUPしたらしい。
レベルアップと言っていいのか分からないが。
「ねえ、遊……君? 昔家でよく歌ってたアニメの曲を歌ってくれない?」
綺歩が俺(?)にそう言うと、俺(?)は首をかしげながらも声を出した。
アカペラで一曲歌い終わると、綺歩が何度も頷いていた。
「やっぱり、遊君で間違いないんだね」
「最初からそう言ってるでしょ。とはいっても、よくそんなに簡単に受け入れられたね」
「急に上手くなってたことには驚いたんだけど……」
まあ、基本こっちの方が上手かったからな。
「でも、ちょっとした癖が遊君そのままだったから」
綺歩の言葉を聞いて思わず感心してしまった。
付き合いが長いとそこまで分かるのかと。
「そ、それで、男の子バージョンの遊君にはなれないの?」
何故か慌てた様子で綺歩がそう言うと、俺(?)は首を振った。
いや待て、戻れないってどういう事だ。
「わたしの意思では無理。でも、たぶん十五分くらい歌わなかったら入れ替わると思うよ」
「そうなんだ」
と綺歩は緊張感に欠けた声を出したが、俺としては本気で安心した。
でも考えてみれば昨日だって戻れたわけなのだから、戻れないなんて事もなかったのだろう。
「ところで、貴女を何て呼んだらいいの?」
「いつもみたいに遊君でわたしはいいよ?」
「でも、それだと……」
綺歩が眉をハの字にする。
見た目が違うのに俺の名前だと呼びにくいのだろう。
「そう言われてもわたしも遊馬であることには違いないしね……」
俺(?)も困ったように言う。しかし誰になのか小声で「ごめんね」と謝って「それなら」と今度は綺歩に聞こえるように言った。
「遊馬だしユメって呼んで」
それを聞いて自称ユメが誰に謝ったのかわかった。
まぎれもなく俺だ。
自分を美少女にして楽しんでいたのだから、彼女の名前を考えなかったわけがない。
とはいえ自分であることを残すために遊馬と言う字を別の読み方にしようと調べたのだ。
そこで出来上がったのが『ユメ』。
『馬』が『め』と読める事を思い出すまでに時間がかかったが、普通に恥ずかしい過去に違いない。
「そっか、じゃあ……ユメちゃん」
「どうしたの綺歩?」
急に名前を呼ばれたからか、不思議そうな顔をしてユメが綺歩を見る。
「呼んでみただけ。ちょっと不思議な感じがしてね」
久しぶりに部屋に来た時のようにはにかむ綺歩にどぎまぎしそうなのに、あまりそう感じないのは主導権がユメにあるからなのだろうか?
「うん。何か妹が出来たみたい」
綺歩は嬉しそうに言ってから、何を思ったのか「そうだ」とユメの両肩をつかんだ。
「こんなダボダボの服じゃなんだし、着替えてみない?」
「わたしも可愛い服着たいところなんだけど……止めておいた方がいいと思うよ?」
「どうして?」と綺歩が不思議そうな顔をする。
それにしても綺歩の方が身長が高いと言うのも懐かしい感じがする。小学校以来か。
「どうしてと言われると……」
ユメが困った声を出すと、綺歩がさらに首を傾げた。
何を勘違いしたのか「恥ずかしいなら私も一緒に着替えようか?」と言って着ているティーシャツの裾に手をかける。
「ちょっと綺歩ストップストップ」
慌てて制止に入るユメに気がついて綺歩が手を止めた時には、すでに豊満な胸を隠す純白の下着が見えていた。
ユメが視線をそらしたので見えたのは一瞬だったが、衝撃的なものは印象に残るものでその白さが頭から離れない。と、言うか綺歩の肌白すぎるだろう。
シミ一つないなんてどころじゃなかった。
悶々とする思考を何とか振り払おうとしている時に「キャー」と綺歩の叫び声が聞こえてきた。
どうしたんだろうと思わず叫び声のした方に視線を向けようとしたところで俺の頬に痛みが走る。
「っ痛」
痛みがした所に手を持っていく。簡単な動作で普段なら意識もしないのだろうが、それで主導権が自分に返ってきたことを悟った。
同時に綺歩の叫び声の意味も急に襲った痛みの意味も理解した。
「ご、ごめんね、遊君」
綺歩の申し訳なさそうな声が聞こえてくるが、恐らく今の俺はそれに答える前に一つ綺歩に尋ねなければいけない。
「なあ、綺歩。今お前の方向いて大丈夫か?」
「え? ……わわわ」
驚いた綺歩の声がしたと言う事は、まだシャツを捲ったままらしい。
思わず先ほどの綺歩の姿を思い出してしまう。直接見たはずの先ほどよりも妙に生々しくて、首を振って雑念を払った。
「えっと、もう大丈夫だよ」
元気を数割失った綺歩が許可を出したので顔を上げると、先ほどまでと変わらない服装の綺歩が落ち込んだ様子で座っていた。
「あの……その……見た?」
もじもじとしながら上目遣いで綺歩が尋ねる。
何をとは言われていないが、まあ考えるまでもないだろう。
しかし答えには慎重を要する。何せ見たと言えば見たが、実際見たのはユメであり、それもほんの一瞬。
俺に戻った後はもちろん見ていないのだから……
「いいや、何も」
綺歩が安心したように俺の方を見ていたが、考えてみれば見ていようが見ていまいが見てないと答えなくてはいけないところだったように思う。
「ごめんね。急に叩いたりして」
いいものを見させてもらったので……と言う事は口が裂けても言えない。
「まあ、事故だろ」
バツが悪いので綺歩から視線をそらしたところ、トットとこちらに近づく足音が聞こえた。
叩かれた方の頬が、何かひんやりとした柔らかいもので覆われる。
視線を戻した先、目の前に綺歩の顔があって驚いた。
「私の手冷たいでしょ?」
小首を傾げる綺歩に「あ、ああ……」としか返せないでいると、心配そうな顔で綺歩が「せめて『てあて』だけでも」と言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます