第11話『捕らわれのシエラ』

(1)


 アズウは大丈夫だったかしら?

 あれから三日が過ぎていた。思い出すのは血にまみれたアズウの姿。自分だったらまず死ぬことはないが、普通の人間だったなら確実に生命の危機に晒されるほど瀕死の状態だったアズウ。奇跡的に一度意識を取り戻しかけもしたが、普通に考えたならもう生きている確率の方がはるかに少ない。

 もしかしたら、もうこの世にはいないのかもしれない。

 何度シエラの頭の中を過ぎったか分らない。その旅にシエラは頭を振ってその考えを打ち消した。アズウがいない世の中に独りで取り残されたくもなかった。そんなことは耐えられそうにもなかった。ケルンにアズウから引き剥がされたとき、シエラの頭の中はアズウのことだけで一杯だった。


 もしもアズウが死んだら、必ずケルンを殺してやる!

 そう思えるようになったのは、ケルンが自分の家にシエラを連れ帰り、シエラを手に入れたことを喜んでいたときだった。アズウに対する思いが強い分、ケルンに対する憎しみは計り知れなかった。

 どうせ自分は死なない体。差し違えでもすれば確実にケルンに復讐出来る! 

 そう思っていた。

 だが、相手もそれは考えていたようで、次の瞬間には麻酔薬を注射されて眠らされてしまっていた。眼が覚めたら今いる地下室だった。一応医者だと言うのは本当らしく、カルテや病に関する書物、薬に関する書物の入れられた木箱や、包帯や脱脂綿などが納められた箱が、意外にもきちんと整頓されて置かれていた。けして広いわけではないが、整理整頓されている所為か狭さは気にならなかった。むしろ、木箱を並べて、布団を置き、簡易ベッドや白いシーツを箱に掛けてテーブルに見立てた物を用意し、気遣いを見せていることが意外過ぎて、どう解釈すればいいのか分らなかった。


 一応気遣われているのだろうか? と思いもしたが、だからと言って許すつもりにもならなかった。許せるわけがなかった。ケルンはアズウを撃ったのだ。

 絶対に許さない。

 シエラはすぐに逃げようと思った。

 だが、そのときになって、自分の足に鎖が着けられていることに気が付いた。愕然とした。そして理解する。自分が独房の中にいると言うことを。独房の中にですらベッドやテーブルはある。それと同じこと。

 そのことに気が付いたとき、ケルンがやって来た。人を見下した嫌らしい笑みを浮かべて、空瓶を片手に持って。

「早速だが血を貰う。錬金術師たちがお待ちかねだからな」


 シエラは悔しくて堪らなかった。想いで人が殺せるなら、確実にケルンは死んでいただろう。だが、そんな反抗的な態度を取れば取るほどケルンが思い上がって行くと分ってから、シエラは一切反抗の態度を取ることを止めた。

 血を抜かれたのはそのときだけだった。気を失うほどの量をケルンは注射を使って律儀にも抜いて行った。いきなり首を掻き切られた経験のあるシエラにしてみれば、また豪快に切り裂かれて抜かれると思ったが、そんな残酷なことはされなかった。だとしても、そのことについてケルンが、吹き出した血を集めて瓶に入れることは面倒だが、注射なら瓶に集め易い、という便宜上の問題で注射にしただけだ。という内容のことを口にしたなら、ケルンには砂粒ほどの人間味ですら期待する方が間違いだと言うことを心に刻み込んだ。


 こいつに自分を見せる価値はない。

 そのときからシエラは感情ですら表に出さなくなった。

 泣き顔も、怒っている顔も、悲しんでいる顔も、笑顔も、全てアズウと出逢ってから浮かべるようになったものだ。それをケルンなんかに見られたくもなかった。


 シエラは心に蓋をした。ケルンはそれが面白くなさそうだったが、すぐに癇に障る笑みを口元に浮かべると出て行った。それからケルンは定期的に様子を見に来た。

 そして、時々シエラは地下室から連れ出された。連れられた先は台所。食事を作るためだけに、シエラは日に何度か連れ出された。

 初めは嫌だと抗議した。だが、「作らなければ食べるものがなくて、飢えの所為で診断を間違えるかもしれないな」と脅されたなら、「好きにすればいい」とは言えなかった。

 どうせ犠牲になるのは見ず知らずの人間だ。

 アズウに出逢ってさえいなければ即答出来ていたかもしれない。だが、そんなことを言ったらアズウが悲しむかもしれないと思うと、シエラは反論も出来ずに食事を作る羽目になった。


 少しも楽しくなかった。

 食事を作っても一緒に食べるわけではなかった。むしろ、一緒に食べようと誘われても食べたくはなかったというのがシエラの素直な気持ちだったため、誘われなかったことに安堵した。ケルンは「頂きます」も「ごちそうさま」も「ありがとう」も言わなかった。勿論料理に対する評価も下さなかった。

 作っておくのが当たり前で、食べ終わったら片付けるのが当たり前。自分は用意されたものを食べて、さっさと仕事に戻るのが当然とでも言いたげな態度を貫いていた。

 何もかもがアズウとは正反対だった。ケルンの態度を見れば見るほど、シエラはアズウを思い出し、夜に一人で泣いた。声を殺して泣いた。それでも、ケルンの足音が聞こえたなら涙を拭って何食わぬ顔をして出迎えた。


 地下で静かにしていると、上の声も聞こえて来る事に気が付いたのは三日目の昼前のことだった。一日目は気分も高まっていて周囲に気を付けることも出来なかったが、三日目ともなるとシエラも落ち着いていた。

 様々な音が聞こえた。自分がアズウと出逢って暮らした村の隣村にいると言うことも分った。大胆にもケルンは自分を連れて自宅に戻ったのだ。そして、何食わぬ顔をしてやって来る患者の診察をしていた。


 悔しかった。無関係な人を大勢毒薬によって危険な目に晒して、ミューズの命を奪っておいて、しかも患者のことなど微塵も心配していない人間の許に人々が集まることが。

 だから言ってやりたかった。「そいつは悪魔だ! そいつに関わってはいけない!」と。

 そう思いながら聞き耳を立てていると、思いもかけない名前をシエラは聞いた。

「おやヒューズさん。もう大丈夫ですか? 娘さんのことは残念でした。まさかアズウさんがあんなことするとは、驚きです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る