(2)
自分の手で命を奪っておいて、態とらしく気遣った上でアズウを貶める発言をされたなら、シエラは「人が来ている間は絶対に物音を立てるな」という言いつけすら忘れて怒鳴り付けていた。
「ふざけるな! あんたがミューズを殺したくせに! ヒューズさん! そいつの言っていることを信じちゃいけない! そいつが犯人よ!」
あらん限りの声で叫んだ。そして、耳を済ませた。ヒューズの反応を伺うために。
しかし、やって来たのは怒りの形相を浮かべたケルンだった。
ケルンは小声で怒鳴りつけながら、シエラを暴行した。シエラは声も出ないほど痛めつけられた。一瞬意識も失った。だが、その耳にはハッキリと聞こえた。
「すみません。今心を病んでる患者を一人預かっているのですが、どうも興奮し出すとおかしなことを口走りまして。ええ。大丈夫ですよ。安定剤を打って来ましたから。心配には及びません。ええ。安心して下さい。何でしたらヒューズさんにも精神安定剤をお出ししますが……そうですか。大丈夫ですか。では奥様にも宜しく言って置いて下さい」
結局、上からの声は聞こえるが、こちらからの声は音としか通じないのだと理解して、シエラは涙を浮かべて意識を手放した。それが昨日のことだった。
窓一つない地下室。あるのはランプの明かり一つだけ。特に何かをする気も起きず、シエラは死んだように簡易ベッドに横たわっていた。
逃げたいとは思っていた。だが、鎖が常にシエラの足に付けられている限り無理だと言うことは分っていた。鎖を壊す道具など一つもなかった。
このままずっと飼い殺しなのだろうか? と思うと、涙が頬を伝った。
アズウに逢いたかった。逢いたくて逢いたくて堪らなかった。
アズウがどうなったのか知りたかった。だが、知る方法は皆無だった。
そう思い、ふと気が付いた。アズウがどうなったのか知る方法があることに。
シエラは枕元に置いてある小さな皮袋を手繰り寄せた。自分をどうすることも出来ないと思ったケルンが、唯一取り上げなかった占いの道具。水晶が入っていた。
かつてシエラは人探しもしていた。ならばこれでアズウを捜せばいい!
一瞬シエラの目の前は希望によって明るくなった。だが、それはあくまでも一瞬のことだった。無駄だと言うことをすぐに思い出してしまった。
自分の感情をコントロール出来ないまま水晶を覗き込んでも、真実は視えない。
何度も何度も言われて来た言葉を思い出す。
シエラは今、アズウが生きていればいいという強い思いに支配されていた。そんな状態で占ったところで、水晶には事実ではなく、シエラにとって都合のいいことしか映らない。それで気休めになるならいいのかもしれないが、シエラは気休めが欲しいわけではなかった。確固たる事実が欲しかった。逆に、アズウがこの世に既にいないと言うことを見せ付けられるのが怖くて、とてもではないが占えなかった。
占いたいが占えない。本当に肝心なときには役に立たない人間だと、シエラはつくづく自分を恨めしく思った。だからと言って命を絶てるわけでもなく、シエラの心だけが静かに死に向かっていた。
その翌日のことだった。夕食を済ませたケルンが外出を告げた。それはいつものことだったが、その日は何かが遭ったのだろう。帰って来るなり地下室の扉を乱暴に開け放ち、怒鳴りつけた。
「今すぐ俺の未来を占え!」
有無を言わせぬ命令だった。捕らえられてから今まで、そんなことは一度も言われたことがなかった。ただただ純粋に驚いてシエラは簡易ベッドに身を起こした。が、占う気持ちは皆無だった。ケルンが怒れば怒るほど、シエラは冷めて行った。外出先でケルンに何が遭ったかなど、全くもって興味はなかった。
だが、その態度はケルンを興奮させるのに十分だった。
ケルンは足音も荒くシエラの目の前まで来ると、もう一度同じことを言った。
そのあまりにも威圧的な態度に、シエラは半眼になって答えた。
「何故占わなければならないの? アズウは私に占いをしろとは一言も言わなかったわ」
瞬間、平手が飛んで来た。不思議と痛みは感じなかった。同時に、顔も上げなかった。
ケルンが罵る。
「俺はアズウじゃない。あんな馬鹿と一緒にするな!」
「そうね。アズウは馬鹿じゃない。馬鹿なあなたと一緒にしたら失礼よね。もうしないわ」
また、平手が飛んで来た。
「お前は自分の立場が分っているのか?」
ケルンが胸倉を引っ掴んで無理矢理顔を上げさせた。だからシエラも言ってやった。
「そっちこそ。私がどういう立場にいるのかわかっているの? その気になればあなたを殺せるのよ? あなたは私を何度も殺せる。でも私はその度に生き返るわ。でも、あなたは一度殺せばそれで終わり。私を飼い殺しにして置きたいなら、私をあまり怒らせないで」
「!」
真っ直ぐに眼を見て忠告すると、一瞬ケルンは身を引いた。
自分は何度でも死んでやるとアズウに宣言したことがあるのだ。
シエラは本気だった。いつまでも他人の命が脅しに使えると思うな! という忠告だった。
もし一人でも本当に犠牲にしたら、シエラに耐える必要などなくなる。
その言葉の意味が通じたのだろう。ケルンは暫く顔を引き攣らせてもいたが、しかし、一拍後には、鼻息も荒く言い放った。
「だったら、占いの道具などいらないな」
「!」
言うが早いか水晶を奪われた。アズウ同様その水晶はシエラにとって掛け替えのないものだった。師匠がいたからアズウを信じようと思ったのだ。師匠と出逢っていなければ、自分はアズウとも出逢えていなかった。その大切な師匠との唯一の繋がりである水晶を奪われたなら、思わずシエラは動揺した。
それがケルンに弱みを見せることになるとは分ってはいた。ケルンが笑っていた。
「どうした? さっきまでの威勢はどこへ行った? 俺を占いたくないんだろ? 占いはしたくないんだろ? だったら何のための占い道具だ? 道具そのものもいらないはずだろ? 何故そんな顔をする? そんなにこれが大切か? 大切なら俺を占え。占わないなら壊す。お前は何度でも蘇るが、これは違う。壊れたらもう元には戻らない。どうする?」
「あなたと言う人はどこまでも……!」
怒りで頭の中が白くなった。それでもシエラは考えた。もしもここで占いをしてもしなくても自分の置かれた立場は変わらないと言うこと。変わらずに思い出が壊されるのと壊されずに置いて置けるのとどちらがいいのかを。考えるまでもなかった。
意地になって占わないことは出来る。だが、思い出をケルンに壊されてまで貫くことではないと。故にシエラは血を吐く思いで言葉を紡いだ。
「分ったわ。占えばいいんでしょ?」
「分ればいいんだ。さっさとやれ」
心の底から本気で殺意を抱いたのは、自分を火焙りにした命令を与えたあの領主以来だった。それでも、姿勢を正して占いを始める。水晶を膝に乗せ、両手を軽く添える。そして、水晶のただ一点を見つめる。すると、シエラの脳裏に直接映像が流れ込んで来る。
その部屋はアズウの部屋のように様々な道具が置かれていた。ガラスの細い管からチューブが伸び、赤い液体の入ったフラスコに続いていると思えば、別なところで青い色の液体が煮詰められていた。皆一様に黒いマントを着ていた。見えるだけでも五人。年老いた男たちが互いに何かを話し合っている。
その一人が赤いスルクコーネのような石を持っていた。皆それに感動しているようだった。男たちはそれを誰が初めに使用するか話し合っていた。そして、完成したことはケルンには黙っているようにと話し合っていた。
「それではケルンが怒る」
と一人が言った。
「だったらまだ完成に時間が掛かると言えばいい」
と一人が言った。
「ついでだから、もう少し血が必要だと言って持って来させればいい」
と、別の一人が言い、
「持って来させて帰ったらこの場を引き払おう」
と、もう一人が言った。
「あいつは体のいい道具だった。ただそれだけさ」
と、最後の一人が笑っていた。
それらのことを淡々とシエラは話して聞かせた。
どうやらケルンはシエラを独占して主導権を握ったつもりでいたようだが、都合よく使われていただけだと言うことがシエラにも分った。
どこまでも憐れな人間だとシエラは思った。思うだけで同情はしなかった。自業自得だ。
だが、その事実をケルンは受け入れ切れなかった。
「あの老いぼれども、人を利用するだけしておいて、用がなくなれば捨てるつもりか!
一体誰のお陰で石を作れたと思っているんだ。覚えていろ……。俺を騙したらどうなるか、その身に叩き込んでやる」
そう言うと、占いの続きを聞きもせず、踵を返して出て行った。
シエラには視えていた。ケルンが男たちのところへ行って、男たちがケルンを騙そうとして失敗し、結果、全員が命を絶たれることを。
だが、それをあえて教えてやるつもりはシエラにはなかった。罪もない誰かが命を奪われるのならまだしも、今回の件に関わる人間が自業自得の上で共倒れするのだ。救う価値があるとは思わなかった。今まで様々な人に罵られて来た。人殺しと叫ばれた。だが、今回ほど確信犯的に何も言うまいと思ったことはなかった。
この件に関する全員がこの世を去ったなら、自分はその後、どうするのだろう?
ただ漠然と思い、その日はそのまま眠りに付いた。
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