第8話『豹変者が暴く真実』

(1)

「ここまで来ればもう大丈夫だろう」

 アズウがそう言ったのは、獣道ですらない道なき道を通り、森を抜けてから暫くしてからのことだった。それこそ直線距離を無理矢理突っ切って、均されただけの広い道に出る。

 それを村のあった方とは逆の方向へ向かって二人は歩いていた。実際、シエラも何度か逃げたことはあるが、森を抜けてまで追って来られることはなかった。

「これからどうするの?」

 シエラは不安を押し隠して尋ねた。アズウは意外に晴れ晴れとした様子で答えた。

「これから僕の師匠の古い古い友人に会いに行こうと思うんだ」

「アズウの先生の?」

「そう。ミューズを助けるための薬を作るために材料を貸してくれた人だよ。きちんと返す約束だったから、ほら。これを届けに行かなきゃね」

 そう言って、アズウはローブを捲り、腰に提げている小袋の一つを叩いて見せた。


「その人はいい人?」

 村での出来事を聞いて、いきなり態度を変えてしまうのではないかと危惧したシエラが尋ねれば、

「う~ん。いい人はいい人なんだろうけど、とっても不思議な人なんだ。多分言っても信じてもらえないし、会ったらもっと信じてもらえないような人だね」

 と、苦笑を浮かべながら楽しそうに説明をして来た。

 いまいち人物像が掴み切れず、シエラは困惑した。いったいどんな人なのかと尋ねると、

「自称魔術師の雑貨屋さんだよ」

 という、ますます理解し辛い答えが返って来る。

 それをどう解釈したものか考えていると、アズウは楽しそうな微笑みを向けて来ていた。それを見ていると、まるで自分が騙されているような気がして来て、シエラは少し悔しい気持ちになった。だが、さっきの今で、こんなやりとりをしていることが夢のようだと思った。それこそ、ミューズが死んだというのも、アズウと二人村を飛び出して来たのも夢か何かじゃないかと思った。そのときだった。

「捜しましたよ、アズウさん」

『!!』

 背後から突然上がった声に、二人は言葉通り飛び上がらんばかりに驚いて、反射的に振り返った。そこには、膝に手を付き、体を折って、肩で深く荒い息をついている黒ずくめの男が一人居た。ケルンと名乗った隣村で医師をしている男だった。

 何故ここに?! と、シエラは警戒した。隣を見れば、少しアズウの表情にも緊張が見て取れた。

 二つの警戒の視線を一身に浴び、ケルンが呼吸を整えて苦笑を浮かべた顔を上げると、

「話は聞きました。大変でしたね」

 と、眼鏡を上げながら話を振って来た。

「いったいどうしたんですか? こんなところまで?」

 アズウが不思議そうに尋ねれば、ケルンは心底心配そうな表情を浮かべて進みながら説明をした。

「いや、薬の作り方を専属の薬師に渡したら、その人がどうしてもあなたに会いたいと言い出しまして、何度か迷惑を掛けるから諦めるように説得したのですが、聞き入れてもらえず、仕方がないので一度伺いを立てて、もしもあなたがいいと言うのなら会わせようと思って、そのことを確認しようと村に行ったら、村人たちはあなたの家に集まっているし、あなたの家は燃えているし、あなたはいないしで、何があったのか尋ねたなら、毒薬の入った瓶があなたの名前で置かれていて、それを呑んだ人が大勢亡くなったというじゃないですか。

 あなたに限ってそんなことするわけがないと思った私は、そのことを村の人たちに話したんです。そしたら燃え盛るあなたの家を見ていた村の人たちも興奮が冷めたんでしょう。酷いことを言って追い出してしまったと後悔していました。そして、私にあなたたちを連れ戻してくれるように頼んで来たのです」

「それでわざわざ追いかけて来たんですか?」

「あまりにも村の皆さんが必死でしたから。断るわけにもいきませんでした」

 と、困ったようにケルンが笑う。


 シエラはアズウの後ろに完全に隠れるように移動をしていた。

 アズウもケルンもそのことに気が付いてはいるだろうが、特に何も言うこともなく、アズウに至っては穏やかな表情でケルンの行動を労った。その上で、アズウは言った。

「せっかくここまで来て頂いたのですが、僕たちは帰れません」

 口調は柔らかいが、きっぱりとした強い意志が込められていた。

「何故ですか? 村の人たちは後悔しているんですよ?」

 ケルンが戸惑い気味に尋ねて来る。が、アズウも引かなかった。

「僕たちはもう進み出したんです。元々僕は薬師の代わりとしてあの村に置いてもらっていました。でも、隣村にはあなたがいる。あなたのような医師がいるなら、僕はいなくても大丈夫なんです。ですから、皆さんには体に気をつけて健やかに暮らして下さいと伝えておいてもらえませんか?」

「どうしても戻る気はないということですか?」

 ケルンの声に真剣みが帯びた。

「はい」とアズウは応えた。

「僕たちはもう戻りません。これは自分自身に対する決め事ですから。僕の名前が不幸を呼んだらそれ以上の不幸を呼ばない内に、その場をすぐに出て行く。そう決めているんです。だから、すみません。もう行きますね」

 そう言うと、アズウはケルンに背を向けた。シエラがちらりとケルンを見れば、ケルンは俯いたまま「そうですか」と小さく呟いていた。


 まさか追って来るとは思わなかったシエラが、「これで諦めてくれたか?」と、思いつつアズウに倣って背中を向けて歩き出したとき、その背中に、禍々しい憎しみと苛立ちの籠もった声が掛けられた。


「戻ってもらわなくちゃ……こっちの計画が台無しなんだよ」


 何? と思う暇もなかった。気が付くと、後ろからケルンによってシエラは羽交い絞めにされていた。


「シエラ!?」

 異変を察知したアズウがすぐさま振り返ってシエラの名前を呼ぶ。

「どういうことですか、ケルンさん」

 アズウの声が動揺していた。

「どうもこうもない。あんたには村に戻ってもらわなくちゃ困るんだ」

 ケルンは完全に被っていた猫を脱ぎ捨てていた。

「どうして僕が戻らないとならないんです?」

「皆があんたをお待ちかねだからさ。あんたに復讐したくてたまらないんだよ」

 その瞬間、シエラはハッと気が付いた。

「まさか、あなたが薬を?」と、押さえ込まれながら口にすれば、あまり動じた様子もなく同じ可能性に至ったアズウが、落ち着いた声音で問い掛けた。

「あなたが僕を消したい理由は何ですか?」

 対するケルンの答えは簡潔だった。

「邪魔なんだよ」

「何に対してですか?」

 アズウの問い掛けは当然のものだった。ケルンとアズウが出会ったのは極最近だ。そのときですらケルンの方から助けを求めてやって来たのだ。よって、アズウ自身、ケルンに恨まれる原因がまったく想像付かなかった。それはケルンに羽交い絞めにされているシエラにしても同様だった。


 私はアズウの人質にさせられる!


 みすみす暴徒と化した村人たちの許へ、アズウを差し出すための生贄となっていると思っただけで、シエラはぞっとした。心臓が締め付けられるほどの恐怖を覚えた。しかし、ケルンの答えは想像を超えていた。ケルンは言った。

「お前があの村で、薬師としての役目を果たせば果たすほど、俺のところに客は来なくなる。俺の村の連中ですらあんたのことを噂して、この俺と一々比べて陰口叩いていやがった。目障りなんだよ。お前は。俺の収入にとっても、この女を手に入れるためにもな」

「!」

 動揺と驚愕がアズウの顔を彩った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る