(4)



「アズウ! 出て来い!」

 憎しみに彩られた怒鳴り声が壁越しに届いて来る。


 来た。


 シエラの心臓は高鳴った。背筋が冷たくなり、息が詰まる。不安と言い知れぬ恐怖が這い上がって来る。嫌な予感は当たったのだ。

 窓越しに、村人たちが次々にやって来るのは嫌でも見えた。皆、殺気立っていた。


「居るのは分かってるんだ! 出て来い!」

 別の誰かが吼えていた。

「じゃあ、行くよ」

 アズウの表情はその場に似つかわしくないほど穏やかだった。

 その落ち着きが、シエラには悲しかった。自分の弁護を諦めて、ただ静かに濡れ衣を被ろうとするアズウが痛ましかった。だからこそシエラは出て行こうとするアズウの手を取った。


 二人で手を取り合って外に出ると、殺気立った村人たちが半円を描くように詰め寄っていた。どの顔にも泣いた跡があった。憎しみが、怒りがあった。それこそ、殺気が眼に見えると錯覚しそうになるほど、禍々しい空気が放たれていた。

 怖い。とシエラは思った。昔の記憶が蘇った。足が震えて呼吸が浅くなる。

 そのことに気が付いたのか、アズウがシエラの前に立ち、村人たちからシエラを隠した。

 その気遣いにシエラがハッとしたとき、アズウが出て来た瞬間広まった沈黙は破られた。

 村人の一人が言う。


「アズウ。貴様という奴は、何の恨みがあってこんなことをした?」

「…………」

「私の子供を返して!」

「俺の妻を帰せ!」

「この村に置いてもらった恩を仇で返すとはどういう了見だ? 俺たちに何の恨みがあってこんなことをした?」

 一人が口火を切ると、波は瞬く間に広がった。

 村人たちの怒りと悲しみが、風となって吹き付けて来た。

 アズウはただ静かにそれを受け止めていた。

「いつまでだんまりを決め込むつもりだ? 何とか言ったらどうだ?!」

 と、言われたとき、ようやくアズウは口を開いた。とても静かな声だった。


「皆さんのお怒りはごもっともです。ですが、もしも僕の言い分を信じて下さる方がいるというのなら、僕は薬を置いて回ったりはしていません。だとしても、とてもではないが信じられはしないでしょう」

「当たり前だ!」という反論は即座に入った。

「俺たちはあんたを信じていたのに。今まで騙していやがったな!」

「俺たちを利用していたんだろ?!」

 怒りに我を忘れた村人たちはアズウの言葉に耳を傾けようとはしなかった。

 やっぱり無理だ。

 シエラはアズウの手を引いた。怒りに我を忘れた人間は冷静な判断など出来ない。降って沸いた災いの所為で理不尽に大切なものを失った者は後先など考えないことをシエラは知っていた。体験して来ていた。このままでは危ないと思ったそのとき、

「所詮お前は錬金術師。他の錬金術師同様ろくな人間じゃなかったってことだな! この、外道が!」

 シエラの中で思考が止まった。恐怖心が霧散した。


「外道はどっちよ!」


 気が付くと、シエラは怒鳴り返していた。逃げようとしていた気持ちが消えていた。

 突然のことに村人たちも驚き、口を噤むが、シエラの怒りは収まらなかった。

「今の今まで散々アズウの世話になって来たくせに! アズウがどれだけあなたたちのことを考えて薬を作っていたか知らないくせに!」

「シエラ……」

 アズウが手を引いて止まるように促して来るが、シエラは止まらなかった。

「アズウがどれだけ皆に受け入れられたことを喜んでいたか知ってる? どうすれば皆にその恩返しが出来るかって考えていたこと知ってる? 自分なんかを住まわせてくれて、しかも頼ってくれることが嬉しいって、どれだけ感謝してたか知ってる? 何もアズウのこと知らないくせに、勝手なこと言わないで!」

 シエラには許せなかったのだ。アズウが村人たちにすごく感謝していることを知っていたシエラにとって、冷静に考えれば怪しいメモを鵜呑みにして、簡単にアズウを、人間から外れた者扱いする村人たちが許せなかった。

「アズウがあなたたちを利用してたですって?

 利用してたのはあなたたちの方でしょ? アズウが強く出られないことを知っていて、アズウに何だかんだ頼みごとをして、今までアズウが精神誠意応えて来たのに!

 こんな、紙切れ一枚にサインが入ってるだけでアズウを疑って! どうして信じてあげられないの? どうしてアズウのことが分からないの? 考えれば分かるでしょ? アズウがこんな無意味で人を外れたようなことするわけがないって。いったいアズウに何の得があるっていうのよ!」

「だったら誰がこんなことしたって言うんだよ!」

「知らないわよ!」

 売り言葉に買い言葉。怒りに対して怒りの言い訳が応酬する。どちらも意地だった。引くわけにはいかないことだった。だからこそ、シエラは言おうとした。

「大方、アズウのことを気に入らない……」

 ここにいる誰かでしょ?! と、言い切る前に、


「シエラ!」


 シエラは強くアズウに手を引かれて口を噤んだ。

 弾かれたようにアズウを見ると、アズウは無言で首を振った。

 どうして! と、シエラはもどかしくなった。アズウは優しい。それは分かっているが、時と場合によってはその優しさに怒りが込み上げた。

 だが、懇願するような眼差しを向けられては、シエラも何も言えなくなってしまった。

 何も言わないことが、多くのことを物語っていた。アズウは争いを望んではいない。


「行こう。僕の振る舞いが至らなかったんだよ。恨まれるにしても、信じ切られないにしても」

「違う!」とは声にならず、シエラは大きく頭を振った。信じてくれない村人が悪いんだとシエラは強く思った。

 いつもいつもいつもいつも、他人は他人を利用するときだけ親しげに接して来て、都合が悪くなればすぐに裏切る。それが堪らなく悔しかった。どいつもこいつも同じだと思った。憎しみだけがシエラの体を駆け抜けた。それでも、アズウの眼と合えば、アズウが「行こう」と誘えば、激情が過ぎ去って行くのを実感させられた。

 私がアズウを守らなければいけない。

 シエラは痛切に思った。背後ではアズウに対する罵詈雑言が飛び交っている。

 何を言っても無駄なのだと、アズウでも無駄だったのだと、最後は悲しみだけに包まれて、二人は家の中へと戻った。ドア越しに村人たちの怒りは伝わって来た。

 本当は何も言わずに出て行くはずだった。だが、一縷の望みを抱いて説得してみようと説得したのはシエラだった。自分の愚かさ加減がこの日ほど憎らしく思ったことはない。


 アズウならもしや……。と思ったが、結果はアズウを傷つけるだけだった。悔しくて、情けなくて、もどかしくて、悲しくて、シエラは涙を止めることが出来なかった。

「ご、ごめ…ん。ごめん……なさい………アズウ。ごめんなさい」

 謝らずにはいられなかった。アズウは、そんなシエラの涙を拭って言った。

「君が謝る必要はどこにもないよ。むしろ謝るのは僕の方だ。君は逃げることに疲れたと言っていたのに、結局僕も逃げる羽目になってしまって。嫌なことを沢山思い出してしまったよね? ごめんね。もう少し僕がしっかりしていればこんなことにはならなかったんだけど……」

 シエラは否定を告げるために頭を振った。そんなシエラの頭を、アズウは子供を宥めるように撫でて慰めると、

「さあ、行くよ。表には人が居るから、裏から出よう」

 シエラは言葉もなく頷いた。それと同時に、打ち合わせ通り火を点けて行く。特に、アズウの仕事場にはアルコールも撒いて、良く燃えるように細工さえして燃やす。残しては置けないが、持って行けない物が多かったのだ。

 建物の内部から煙が出て来たことで、外の村人たちが動揺する声が聞こえて来る。

 その隙に森の中へ逃げ込んでしまおうという計画だったが、実際裏口を開けると、そこにも村人の一部が居た。

「やっぱりこっちから出て来たか。卑怯だぞ」

 容赦ない罵倒の声が浴びせられる。シエラは悔しかったが、アズウに迷いはなかった。

「すみません」

 謝罪の言葉と共に、アズウが懐から煙玉を取り出して村人たちの足元へ投げ付ける。反射的に逃げる村人たち。その隙を突いて、アズウはシエラの手を引っ張って走り出していた。

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