(2)

 アズウは感情を押し殺し、次いで、怒りに震えた声で問い掛けた。

「何故、シエラを狙うのです?」

 それがケルンにとって楽しかったのだろう。ケルンは勝ち誇ったように続けた。

「何故だって? お前気付いていないのか? この女の正体を」

「正体?」

 何を言うつもりなの?! と、シエラは声に出せなかった。ケルンが言おうとしていることについて思い当たる節があり、それを暴露されることが怖くて、信じたくなくて、そう思ったら、何故か声にならなかった。

「まあ、世の中『百聞は一見にしかず』とかいう言葉もあるぐらいだ。実際その眼で見るといい」

 言うが早いか、シエラは自分の喉を一直線に何かが通り過ぎるのを感じた。遅れて痛みがやって来て、目の前を赤い物が飛んでいた。血が吹き出したと思った瞬間、目の前が暗くなり、悪寒が背中を走った。

「シエラ!」

 アズウの悲鳴が聞こえ、駆け寄って来るのが見えた。

「黙って見てろ!」

「うわっ」

 駆け寄って来たアズウをケルンが乱暴に蹴り飛ばす。咄嗟に身を守ろうとしたが、衝撃にアズウは倒れた。痛みに歪んだアズウの顔が、徐々に驚きに染まっていく様を、涙の所為で歪んだ視界でシエラは見ていた。

 見られた!

 シエラは絶望に叩き落されたような気持ちになった。実際、大量の出血をして血が足りなくなったのも原因の一つだろうが、体中から一気に力が抜けた。

「おっと」

 ケルンが慌ててシエラを抱き直す。そして言う。

「どうだ。凄いだろ?」

 対するアズウの答えはなかった。


「俺は確かにこの女の首を切った。でも、見てみろ。これだけの出血があれば、普通は死ぬ。でもこの女は死なない。それどころか……見えるか? もう傷が塞がっているんだ。普通の人間にこんなことは出来ない。こいつはな、死なないんだ。

 別にお前は夢を見ているわけでも、俺が夢を見させているわけでもない。これは現実だ。こいつは死なない。どんなに信じたくなくてもな。

 お前はお前でどうして自分の秘密を俺が知っているのか気になっているだろ?」

 ショックを受けているらしいアズウの姿を見て気を良くしているケルンが、調子付いてシエラに問い掛けた。

 シエラは悲しみと悔しさと怒りに心を乱したまま、見下ろして来るケルンの顔を睨み付けた。そうしないと泣いてしまいそうだった。泣き顔だけは見せたくなかった。

 しかし、そのささやかな意地の張り方がケルンの嗜虐心に火を付けた。

「俺はあんたのことなら何でも知ってるぜ。遠い昔に占い師になったこと。魔女狩りにも遭っていたこと。何度も死んで生き返ったこと。最近では自分の占いの結果で、死ぬはずだった母親が助かり、その息子が死ぬ事件があったな。

 何。それに関しては俺が死亡確認の手続きをしたから知ってるんだが、そのとき俺はあんたを見て驚いた。俺はあんたを知ってたんだ。親父たちの書物に残っていたんだからな」

「?!」

「理解出来ない。って顔しているな。でもな、残ってたんだよ。お前のことが。初めは記述だけ。そのうちあんたの似顔絵が載ってた。小さいときに見たそれと、あんたはまったく変わっていなかった。あんたは今までずっと生きて来てたんだ。俺はいつも親父たちの話を聞いていた。あんたが居れば、錬金術師なら誰でも憧れる『賢者の石』が作れるってな。

 知ってるか? 『賢者の石』に必要不可欠な材料が何なのか。それはな、お前だよ。お前のような死なない人間の血が必要なんだ。その血が多ければ多いほど、石は作れる。その血が濃ければ濃いほど、純度の高い石が作れる。分かるか? その石があれば、俺ですら不老不死になれるんだ。他の誰が死んでも、俺は生き残れる。俺だけは生きていけるんだ。そして、お前さえ手に入れてしまえば、その石はいくらでも作れる。それを欲しがる奴は五万と居るだろう。そうすれば、俺は大金持ちだ。死なずに大金まで手に入れられるんだ。

 死なない人間なんているわけがない。子供心にうちの親父たちは馬鹿なんじゃないかと思っていたが、まさかこんなところでそんな人間に出会えるとは思ってもなかった。今の今まで、正直半信半疑だったが、あんたの首を切って確信した。あんたは死なないってことを。本当は違っていても構わなかった。あんたに絶望を与えられさえすればそれでいいと思っていた。だが、確かめたかったんだ。本当にそんな人間がいるのかどうか。

 だからこそ、俺は神に感謝する。俺の目の前に、俺の望む全ての物を与えてくれる人間を遣わしてくれたことを。そして俺は感謝する。身近に最高の材料がありながら、それに気付かず利用もしなかった馬鹿なお前に。

 そもそもあの病自体、俺のお前に対する嫌がらせだったんだ。お前に治せなければ俺のところに客が来る。そう踏んでれば、お前は予想に反して特効薬を作っちまう。いったいどんな奴かと見にくれば、疑いもせずに受け入れて、馬鹿正直に処方箋までよこしやがった。しかも傍にはこの女だ。まさかと思ったさ。だが、それで俺は決心した。お前から全てを奪ってやることを。お前が絶望する様を見てやるってな。

 どうだ? 村人の信用を失って、錬金術師にとっての最高の材料を奪われた気分は?

 悔しくて、悔しくて堪らないだろ?」


 ケルンは顔色を無くし、表情が徐々に消えて行ったアズウに対して嘲笑を浴びせた。

 シエラはかつてない絶望の底へ突き落とされた気分だった。

 自分が死なない体質であるということを、シエラはずっと黙っていた。気味が悪いと思われることが嫌だったからだ。だがそれはある意味アズウを騙していたということにもなる。自分がこんな気味の悪い存在だと知っていたら、アズウは受け入れてはくれなかっただろう。

 ケルンの話を聞いて表情を消して行ったアズウの怒りが手に取るように分かった。


 嫌われた。絶対に嫌われたと思った。

 自分を騙していた人間を、そうそう人は受け入れられない。まして、アズウは錬金術師だ。ケルンの話が本当なら、自分は錬金術師にとっての最高の材料ということになる。アズウがそのことを知っていたら利用したかもしれない。だが、シエラは黙っていた。錬金術師にとっての憧れである『賢者の石』を作らせなかった。もしも逆の立場だったら、シエラは隠していた人間を許さないだろう。自分の夢を叶えてくれるものが傍にありながら、そのことを気付かせもしなかった存在を恨めしく思うだろう。

 故に、自分は嫌われたと思った。捨てられるのだと思った。今までいろんな人に嫌われ、罵られて追い出されて来たが、この日ほど身の引き裂かれる思いをしたことはなかった。

「騙すつもりはなかったの」と言えたらどんなに楽かと思った。

 だが、声にならなかった。それを言ってしまったがために返って来る拒絶の言葉が恐ろしくて、言えなかった。ただ、それまでの幸せだった短い記憶が、これからも続くかもしれなかった幸せに対する希望が全て断たれてしまったことだけが悲しかった。死んでしまいたいほどに悲しかった。だが、自分は死ねない体だ。だからこそ、何もかもがどうでもよくなった。どうせアズウに嫌われてしまうのなら、この身なんてどうでもいい。

 そう思ったとき――


「だから、何なんですか?」

「あ?」小さな呟きは、自分に酔っていたケルンを現実に引き戻すのに十分だった。

 見れば、アズウはゆっくりと立ち上がりながら、感情を押し殺した声で言葉を紡いだ。

「シエラが最高の材料? 自分のところに人が集まらない? そんな下らないことのためにあんなことをしたというのですか?」

「何だと?」

「自分の考え方が原因で人が寄り付かないことを棚に上げて、自分から離れて行った人たちを逆恨みして、挙句の果てに僕に対する嫌がらせのために、皆の命を危険に晒して、その上奪っておいて、言うことはそれだけですか!」

 アズウの怒りが爆発した瞬間だった。

「僕のことが気に入らなかったのなら、初めから僕を狙えばよかっただろう!」

 アズウの怒る様を、シエラは初めて見た。

「その度胸すらなかったくせに、病を治す医師でありながら、その病を利用して人々を苦しめるなんて………。

 あなたは医者だろう?! 治すのが仕事だろう!」

 ケルンの動揺が、腕越しに伝わって来た。

「それを個人的な理由で命を危険に晒させるなんて……人の命を何だと思ってるんだ!

 そんなんだから、誰も周りに寄り付かなくなるんじゃないか!

 自分を頼って来る人間を捕まえて『客』? 『患者』だろ?! 人が病に怯えて助けを求めにやって来ているのに、そんな人たちを捕まえて、金づる扱い。人に慕われないのは自業自得じゃないか! シエラのことにしたってそうだ」

「!」

「シエラが死なない? 賢者の石の材料? 不老不死? そんなもの。だから何なんですか? そんなことを確かめるために、シエラの首を切ったんですか? あんたは一体何様だ!」

「なっ」


 きっと、ケルンには理解出来なかったのだろう。アズウが自分の固執している全てのことを全否定したのだから。同時に、シエラも一瞬アズウの言っていることが理解出来なかった。てっきり自分は嫌われるとばかり思っていた。だが、違った。

「シエラがどんな体質を持っていて、どんなに普通と違っていようが、それに何の意味があるっていうんですか? 

 シエラはシエラだ。シエラザードという一人の人間だ。それ以上でも以下でもない。単に死なないって言うだけだ。痛みはあるんだ。死ぬほどの痛みは感じているんだ。それでもシエラは死ねないんだ。そんな辛い人生を歩み続けて来た人間に対して、賢者の石の材料? 錬金術師にとっての最高の材料? 侮辱するにも大概にして下さい!

 あなたに死ねない苦しみが理解出来るのですか? 不老不死? そんなもの、僕はいりません。僕は一緒にいたいと思った人と、人生の限り一緒に居られればそれで満足です。でも、シエラはそんなささやかな願いも叶えられないんです。いつも一緒にいたいと思った人との別ればかりを体験しなければならなかったんです。その辛さがあなたに想像出来ますか? 出来ないでしょう? 出来る人はそんなことは言わないですからね。

 だから僕は言わせてもらいます。人の痛みを理解しないあなたなんかに、シエラは絶対に渡しません!」

 その瞬間、シエラは涙が溢れるのを止めることが出来なかった。

 嬉しかった。アズウの優しさが嬉しかった。誰にも受け入れてはもらえないと思っていた人生が、自分が、今初めて完全に、何の思惑もなく受け入れられたと理解出来たなら、喜びに体が震えた。

 この人となら、ずっと一緒に居られる。ずっと一緒にいたい。と、今ここに、改めて強く思った。アズウと一緒なら辛いことも耐えてゆける。アズウだけは何があっても信じられる!

 だからこそ、

「シエラ! 少しの間目を閉じて!」

 と、言われたときも、すぐに従えた。

 瞼を閉じた上からでも真昼のような明るさを見た。

「うわっ!」

 ケルンの短い悲鳴が聞こえ、自分を押さえつけていた手が離れたと思った瞬間、強引に手を引っ張られた。

「走るよ」

「待て!」

 アズウの誘いの声と、ケルンの悲鳴染みた静止の声が上がる。

 だが、シエラは迷うことなく、手を引かれるがまま、眼を閉じたまま走り出していた。

 不安は何もなかった。たとえ自分の周りがどれだけ暗くとも、自分を導く手と、行く末を示す光がある。

「君だけは何をしてでも守るから」

 開けた目の前に、アズウの優しくて力強い笑顔があったなら、シエラは何も怖くはなかった。つられるように口元に笑みを浮かべ、シエラは「はい」と答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る