第3話『問答無用な誘い人』

(1)


「そこで何をしているの?」

「誰?!」

 突然上がった男の声に、思わず威嚇するような声を上げるシエラ。

 声のした方を見れば、そこには人間らしき影があった。影としか言いようがなかった。もしかしなくても相手には自分の姿が見えているのかもしれないが、シエラの方からは、相手が月光を背中から浴びているせいで良く見えない。

 声から察するに若いということは判断する。だとしても、何故こんな夜にランプも点けずにこんなところにいるのか分からない。そして、何故声に焦りが混じっているのかも。

 いっそ、月見に来たら想像もしなかった人間=自分がいたから驚いた。と言うのならまだ話は分かる。だが、それならそれで、素性の知れない人間を警戒して近付いたりせずに逃げるものだと思うし、もし、自分が邪魔ならもっと脅すような響きがあってもいいような気がする。それなのに、肝心のその相手は、

「ああ、ごめんなさい。今明かりを点けます」

 先ほどとは打って変わって、まるでシエラを説得するような落ち着いた口調で宣言すると、ごそごそと音を立てて何かを探し始めた。何かと言うのは多分会話から察するにランプか何か、明かりの点くものだと判断するが、万が一を想定して、シエラは自分に向けていた短刀を影に向かって構えた。

 影が縮まる。カチャンと軽い音がする。シュッとマッチの擦る音がしたかと思うと、小さな明かりが生まれ、それがやがて大きくなる。ランプに炎が灯ったとき、人工の明かりが自然の夜を凌駕した。

「これで僕の顔が見えるかな?」

 影はランプを掲げて、自分の顔をシエラに晒した。


 年の頃は二十歳前後。赤い髪と同じ見る人をホッとさせるような優しい赤い色の瞳。喉許には黄色の下地に赤や緑、黒の模様の入ったスカーフのような物を巻き、足元まである深緑色のコートに、裾から覗くのは黒いズボンとブーツ。ランプの明かりと自然の夜が攻め合って、はっきりとは色まで断言できないが、おおよそ合っていると判断する。

 問題は、そうやって姿を現したからといって、目の前の男が信用に値するかどうか……と言うこと。答えは「ない」だ。


「あなた、私に何の用?」

 シエラは警戒心も露にキッパリと言い放った。自分で命を絶つのと、他人に辱められた後殺されるのでは意味が違う。

 自分自身が自分の手で死ぬために自分を他人から守るのは当然のことだ。だと言うのに、目の前の男は少しばかり困った表情を浮かべて、

「用……ってことの用はないんだけど、ただこんな夜に一人で何をしているのかと思ったから……。ほら、この辺は狼も出て来ることがあるから危ないし」

「だからって、あなたが心配する必要がどこにあるの?」

 と、シエラが拒絶も露に言い退ければ、男は少し寂しそうに笑って答えた。

「確かにないのかもしれないけど、でも、気になったから……」

「気になった?」

「そう。こんな綺麗な月夜の晩に、こんな綺麗な女の人が、月光に輝く短刀を掲げてたら誰でも気になると思うよ? だから声を掛けたんだ。何をしているの? ってね」


 その声はとても悲しそうにシエラには聞こえた。それが同情を含んでいると言うことも直感で理解した。だが、自分が同情されているなど信じられないことだった。いや、信じたくないことだった。

 思わず信じかけたシエラは、頭を振ってそのことをなかったことにした。

 信じることに疲れたと思ったのは他でもない自分だ。それを、さっきの今でなかったことにするほど馬鹿にはなりたくなかった。

 もう騙されない。

 シエラは自分自身の、甘えの心を断ち切るために、目の前の男の優しさや気遣いを踏み躙ることにした。自分でもはっきりと分かる冷笑を浮かべ言ってやる。


「そんなに知りたいのなら教えてあげるわ。この世が嫌になったから出て行くの」

「何故?」

 問い掛けは早かった。だから答えた。

「何故ですって? それを知ってどうなると言うの?」

「他人に話すことで意外と気が楽になって考えが変わるかもしれないよ?」

 しつこい男だとシエラは思った。おせっかいな男だとシエラは思った。

 自分のことなど何一つ知らないくせに、何故そうも簡単に変わるかもしれないなどと言えるのか理解出来なかった。


 私は考えを変えたくないのよ!


 シエラは内心で叫んだ。自分に優しくしてほしくなかった。決意を揺らがせてほしくなかった。こうも簡単に揺れる自分が嫌だった。また期待してしまいそうなもう一人の自分が疎ましかった。だからシエラは語ることにした。もう一度だけ賭けてみようと、天使か悪魔か分からない囁きを続けるもう一人の自分に言い聞かせるために。

「そんなに聞きたいなら教えてあげるわ」

 シエラは右手で力いっぱい柄を握りながら話し始めた。


「私はね、占い師なの」

「占い師?」

「そうよ。普通の人間の視えない未来を視る占い師。占い師が世の中でどんな扱いを受けているか知ってる? 今はまだ良い方よ? でも、場所によっては今も、占い師と知られたら酷い扱いを受ける場所もある。私はそんな場所を今まで転々として来た。

 普通の人間が占い師に何を望むか知ってる?」

「自分の未来……とか?」

「違うわ。自分の望む未来を望むのよ。だから、自分の望まない未来を言われると偽者扱い。事実を捻じ曲げて望んでいる結果を述べて外れれば抗議しに来る。捻じ曲げて伝えたら外れるのが当たり前だと言うのにね。だってそうでしょ? 未来はね、決まっているの」

「決まってる?」

「そうよ。ある程度まで未来は決まっている。既に用意されているものだから私には視えるの。用意されたケーキが何なのか知っているから箱の中身を当てられるように、中身の知らされていないものは私には分からない。たとえ事実を捻じ曲げて望んだ未来を信じたとしても、結果は結局自分の望んだものとは違うものになる。何故か分かる?

 その人が、占いの結果に満足して自分で望む未来を引き寄せる努力を止めたからよ。止める要素が高ければ、私には止めた結果起こる未来が見える。逆なら逆の未来。

 結局はその人の行い一つなの。でも、自分に不幸が降り掛かって来たなら、誰も自分の行いのせいだとは思わない。殆ど誰かの所為にして被害者ぶって自分を慰める。その結果が憎たらしくもおぞましく、何より恐ろしい『魔女狩り』に繋がった。

 それまで散々占いに助けられておきながら、いざ自分に火の粉が降りかかりそうになると恩を忘れて私たちを売り飛ばした。一体どれだけの仲間が殺されて行ったか分からないわ。

 人ってね、初めは興味本位や同情心で声を掛けて来るけど、所詮一番可愛いのは自分なのよ。いざとなれば自分を守る生き物なの。自分と少しでも違う人間は同じ人間とはみなさない生き物なのよ。

 占いは当たって当たり前。少しでも外れたら罵られる。でも、当たり過ぎれば感謝の気持ちも神懸り的な扱いも通り過ぎて悪魔扱いされるのよ。

 分かる?! 私はそんな人間を相手にすることに疲れたの。そんな人間たちを信じることに疲れたの!」


 それに、どんなに一緒にいたいと思っても、私は年老いない。一緒に歳を取れなければ誰とも一緒にはいられない。好きな人たちに化け物扱いされるのも嫌だし、たとえ受け入れられても、自分を置いて皆が死んで逝くのをただ見ているだけなんて、きっと辛過ぎて耐えられない。


「占い師と言ったところで、所詮はただの人間なのに。占いが出来るからと言って未来が変えられるわけでもないのに。周りは過剰な期待を寄せて、そして勝手に憎んで裏切って行く。それに対して私はあまりにも無力。憎まれて疎まれて、誰も自分の声を聞いてくれない。占いが出来ても自分の未来が視えるわけじゃないから自分の未来は自分で切り開いて行かなきゃいけないって言うのに……。その辺の人間と何も変わらないのに……。

 それなのに、気が付くと私はいつも独りになっていた。何度占いを止めようと思ったか知れないわ。何度占いの道具を捨てようと思ったか知れないわ。でも、捨てられなかった。私と道具はずっと一緒だった。自分の過去である道具を捨てることなど出来なかった。

 だって、過去を捨てたら私はどうなるの? 過去が人間を形作ると言うのなら、過去のない私は存在理由を失ってしまうわ。

 ああ、何も言わないで。言わなくてもいいわ。分かっているから。ええ、分かっているのよ、自分でも。自分がただ逃げているだけだって言うことは。

 でもね、占い師だから憎まれて追われたりもするけど、占い師だから頼られるの。もしも占い師でなくなったら、もう誰も私を頼ってくれなくなるかもしれない。もしそうなったら、私が頼られていたんじゃなくて、占いが頼られていただけになってしまう。

 分かる? 本当は自分などどうでもいいと判断される恐怖。占いを止めた私には存在価値を見出してもらえないの。いてもいなくても変わらない人間になってしまうの。

 だから私は決めたの。旅立つことを。

 分かってくれる? まぁ、別に本当に分かって欲しいとは思ってはないけれど。ただね、これだけはちゃんと分かって欲しいの。私はね、疲れたの。だから邪魔しないで」


 途中から、自分でも興奮して来て何を言っているのか分からなくなっていた。だが、誰にも言えなかったことを話していると、言いたいことが次から次へと溢れ出て来て、話そうとする傍から次のことが押し寄せる波のように浮かんで来て、どうせ分かってもらえるわけがないと思いながら、言い切っていた。

 しかし不思議と言い切れたお陰か、先ほどと比べて心が幾分軽くなったような気がしたが、それだと男が言った通りになったようで何だか悔しくて、シエラは男を睨み付けた。その視線を受け、それまで静かに目を閉じて話を聞いていた男は目を開けると、静かに言葉を発した。

「一ついいかな?」

「何よ」と、シエラが身構えて促せば、

「君には何が出来るの?」

「は?」予想すらしていなかった問い掛けに、応じる言葉が間抜けに思えた。

 だが、そうなるのも仕方がないとシエラは思った。罵られたり、軽蔑されたり愛想を尽かしたりするだろうとは思っていたが、まさかそんな、人の話を聞いていなかったかのような問いかけが来るとは思ってもみなかった。


「あ、あなた、今の今まで何を聞いていたの?! 私は占い師で占いが出来るって言わなかった? と言うか、占いしか出来ないし、その占いももうしたくないって言わなかった?」

 と、思わず感情も露にシエラが怒鳴れば、

「いや、聞いてなかったわけじゃないし、君が占いをしたくないって言うのなら別にしなくてもいいんだけど、それ以外に何が出来るのかな? って」

 男は半ばしどろもどろになりながら弁解をした。が、やはりシエラには理解出来なかった。占いしか出来ないと今も答えたにも拘らず、それ以外に何が出来る? と再度問い掛けてくるのは何だろう? 馬鹿にしているのか? と思った。あまりのことに左頬が軽く引き攣ったりもしたが、男はそんなシエラの状況を把握していないかのように続けた。

「言い方が悪かったのなら謝るよ。具体的に言うとね、掃除は出来る?」

「掃除?」

「そう、掃除。得意? 片付けとか」

「そんなの、得意かどうかは別として、普通に出来るわよ。散らかってると落ち着かないし」

「本当? じゃあ料理は?」

「一人暮らしが長いからそこそこ出来るわよ」

「じゃ、じゃあ洗濯も出来るよね?」

「常識でしょ?」

 質問の趣旨が分からないまま答えて行くシエラに対し、男の声と表情に期待と喜びのような物が満ちて行く。

 自分は一体何を確かめられているのだろう? と、一抹の不安を覚えるシエラ。

 そんなシエラの様子を表情や雰囲気で感じ取ったらしい男が、「これが最後だから」と前置きをして問い掛けて来た。

「暗記力や記憶力、応用力は自分である方だと思う?」

 そのふざけた問い掛けの割には真剣な目に押され、「一体何の質問よ!」と抗議するのを躊躇うシエラ。逡巡し、とりあえず答える。

「そ、それなりにあると思うわよ」

「本当?!」

 刹那だった。

「じゃあ、僕のところへ来て!」

「!!」

 シエラは一瞬心臓が止まりかけるほど驚いた。

 男の誘いは、あまりにも唐突で、あまりにも自然で、あまりにも無邪気で、まるで小さな男の子が大好きな女の子を遊びに誘っているかのような、後ろめたさも他意もなかった。

言うなれば純粋。純粋その物の期待に満ち溢れた笑顔と言葉。未だかつて、子供以外に向けられたことのない言葉と態度に、シエラはどうしようもないほどに動揺した。それ故に、思わず感情も露に怒鳴り返していた。

「な、何故私があなたのところへ行かなければならないの?!」

 だが、男も簡単には引き下がらなかった。優しげに微笑んだまま当然のように言葉を紡いで行く。

「だって、さっきの話を聞いていると、君は独りでいることが嫌なようだからさ。

 確かに、占いなんてあってもなくても人生そんなに左右されずに生きられるし……って言ったら、占い師であるあなたには侮辱に取れるかもしれないけど、でも、その占い師であることで苦しんでいるのなら、占いなんて止めちゃえばいいんだよ。で、僕のところで住み込みでもいいし、通いでもいいから僕の助手をしてもらいたいんだ」

「だから……何で」

「僕は助手を探してる。君は占いを止めても受け入れてくれるところがないから死のうとしている。僕は君の過去も苦しみも苦悩も今、君自身から直接聞いた。だから後から何かバレてそれまでの人たちのように自分の中で処理しきれずに裏切る心配もないし、好きなように気兼ねなく暮らせられる。その場所を提供出来るんだよ。君の悩みの種が一気に解決。どうせいらない命なら、捨てようとした命なら、もったいないから僕に頂戴(ちょうだい)」

「頂戴……って、あなたね、頂戴と言われて「はいそうですか」なんてあげられるわけないでしょ?」

「だから誘ったんだよ」

「!!」

 真剣な言葉だった。思わずシエラが息を呑むほどに。

「占いが嫌ならしなくていい。占いがしたくなったらすればいい。どうせいらないと言うのなら、死ぬ覚悟が出来ていると言うのなら、最後にもう一回試してみてもいいんじゃない? 死ぬことはいつでも出来るよ? でも、この瞬間を生きることは今しか出来ない。

 僕は今日ここへ来て良かったと思っているよ。だって、月光を浴びた綺麗な君と出会えたんだから。そんな君が僕のところへ来て僕の手伝いをしてくれるってなったら、僕は幸せで、これが夢なんじゃないか? って思えて来る。

 だから僕はこの月夜に誓うよ。君を絶対に独りにさせないって。この命を賭けてここに誓うよ。

 だから、こんなところで死ぬのは止めて、僕のところに来て。僕を助けて欲しいんだ。

 あ、ちなみに僕の名前はアズウだよ。アズウ=テイル。アズウでいいから。宜しく」

 と言って、右手を差し出して来る男=アズウ。

 シエラは何に驚けばいいのか、何に怒ればいいのか、何に喜べばいいのか分からなかった。何もかもが自分の予想を裏切っていた。こんなストレートな思いをぶつけられたことはなかった。

 目の前の男は、自分の言った話を嘘か冗談だと思っているのではないかと思った。

 自分が死ぬことはいつでも出来るものではないし、本当に出来るかどうかも怪しいことだと言ってやりたかった。

 いつもこれが最後。これが最後と言い続けて、その結果がこれだったと言うのに、また更に希望を持てと酷なことを言うのか! と罵ってやりたかった。

 だが実際は、思うだけで、喉元まで出かけるだけで、あらゆる言葉が消えて行った。

 自分に差し出された右手を見て。占いが出来なかった頃、何のとりえもなく生きがいもなかった自分を占いの世界へ導いてくれた師匠の右手、誘ってくれた右手を思い出した。


 占いなんてしなくてもいい……

 

 ただのシエラに戻った自分に差し出された右手は師匠に次いで二人目。

 まるでそれが、死んだ師匠が「もう一度賭けてみなよ」と言っているように思えて。そう思った瞬間、不意に笑いが込み上げて来た。

「はは……、あっはははははは」

 右手で口を、短刀を持った左手で腹を押さえて思いっきり笑う。何十年振りかに思いっきり笑った。涙が出てくるほど笑った。それまで笑わなかった分を取り戻さんとする勢いで笑った。腹が捩れて痛くなった。息が出来ずに苦しかった。それでも楽しくて仕方がなった。

 涙を擦りながらアズウを見れば、アズウは嬉しそうな微笑を浮かべていた。

 師匠が導くのなら、もう一度だけ、これが本当の最後として賭けてみようと思った。

「はー、はー、ああ、笑った。本当に久しぶりに思いっきり笑ったわ」

「そう? でも、やっぱり君の笑顔は普通の顔よりももっとずっと魅力的だよ」

 そんな言葉をお面目もなく吐けるんだから、生粋のナンパ師なんだか、言ってる意味も分からない子供みたいな人なんだか……ほんと、変な人だわ。

 と、シエラは思った。何だかついさっきまで死のうとしていたことが嘘みたいで、それが更に笑いの尾を引いた。だから賭けてみようと思った。これが正真正銘最後の賭けだ。

「私はシエラ。シエラザードのシエラ。宜しく。アズウ」

 涙を喪服に擦り付けて、シエラは笑顔で、アズウのその手を取った。

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