(3)


 アズウにとって、森は楽園だった。アズウの住む家の裏。十分と歩かない内に森は広がっている。そのため時々森に住むウサギや鹿などの動物たちが顔を見せたりもして心を和ませるが、アズウにとっては言葉通り森自体が楽園だった。宝の宝庫なのだ。錬金術師なら誰もが新鮮な材料を使いたいと願う。そういう意味で、いつでも自然の良い状態を採取出来る環境は、アズウにとって楽園と言っても過言ではなかった。


「春はいいね。新芽も多いし。あ、コクコスリの実がある」

 森に入って早々、低木に葡萄のように連なっている赤い実を見つけて歓声を上げる。

 コクコスリは乾燥させて粉末にし、蜂蜜に混ぜることで喉の痛み止めになるが、乾燥させない状態で口にすると余りの渋さに、三日は口の中がおかしい状態が続くという木の実だった。

「春先は風邪が流行りやすいから一応採っておこう。あ、そう言えば熱冷ましの在庫も少なくなってたっけ……。ハズナの花はもう咲いてるかな? それよりもアオネラの葉っぱを摘んだ方が確実だな」


 目に付く材料と、これから必要になるであろう調合品に必要な材料を照らし合わせてどんどん篭の中へ入れて行く。

 秋は基本的に木の実や枯葉を採取する。春は若葉や花。まだ花を咲かせていない球根などが主な調合材料となった。

 アズウは、森の恵みを採取しながらどんどん奥へと入って行った。奥へ行くほど陽の光が遮られ、徐々に薄暗くなって行く。それでもアズウの足に迷いはなかった。獣道すら付いていない森の中。しかもあまり奥へ行くと狼が出るという話があるというのに、アズウに脅えや警戒心は微塵もない。頭の中にあるのは採取したものを調合することだけ。その調合したものを村の人たちが使い、喜んでくれる姿だけが占めていた。


「あ、痺れキノコ発見」

 薄暗く、湿気が出て来た地点で、巨木の裏を見たアズウがはしゃいだ声を上げる。

 そこには赤い傘に黄色の水玉模様が描かれている掌サイズのキノコが密集していた。それはれっきとした毒キノコだった。間違って口に入れたなら神経が麻痺して死ぬことすらある猛毒キノコだ。だが、そんな毒キノコでもアズウに掛かれば害獣駆除用の材料として安全に調合されてしまう。

「あとは眠りキノコもあればいいのに。そうすれば麻酔銃の弾も作れるし、不眠症の薬も出来るのにな………って、殆ど作ってるの薬だなぁ。いっそのこと薬師にでも転職しようかな? そうすればもう人を殺すための爆薬や毒薬なんてもの作らなくてもいいし、作らせられなくても済むんだよね」

 まだ十代の頃をふと思い出し、苦笑を消して小さく呟く。


 アズウには村人たちに隠していることがあった。村の人間たちの知らない自分の過去。自分自身ですら消してしまいたい過去だ。だが当然のことながら過去はなくならない。だからアズウは語らないことを選んでいた。もしも村人たちが知ったなら、アズウはその直後に村を出なければならなくなるだろう。たった一度だったとしても、アズウにとって、人として許されないことだった。他の誰が許しても、自分が許してくれないことを、過去にアズウはしていたのだ。

「……僕は皆を騙しているんだね。やっぱり僕は薬師にも錬金術師にもなれない詐欺師にしかなれないのかもしれないな………」

 と、キノコを手にしてアズウは静かに吐き捨てたなら、直後、

「ああああああーっもう、駄目だ駄目だ! 何いきなり暗くなってるかな、僕は。僕一人が落ち込んでたところで過去が変わるわけないんだから、グジグジしてないでやることやる! ほら、フジミネの木を見つけて削らなきゃ煙玉作れないんだから早く探せ!」

 不自然なほどいきなりテンションを上げ、再び森の奥へと入って行く。

 

 アズウが当初の目的であるフジミネの木を見つけたとき。森の中はかなり暗くなっていた。ようやく見つけたフジミネの木の皮をナイフで少しずつ数本削り、満足げに息を付いたとき、ふと、「暗い」と思った。実際は、「ふと暗い」などという生易しさの欠片もないほどの暗さだった。が、その瞬間まで暗いと認識していなかった自分に、アズウは感心していいのやら呆れたらいいのやら分からず、少しばかり途方に暮れた。辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。

「我ながら何と言うか、恐ろしい集中力だね」

 とりあえず誰もいないから褒めてみた。

 そして、ずっしりと重さを主張しだした背中の意見も聞き入れ、そろそろ帰ろうかと思ったとき、ふと、「どうせだから川まで行ってみよう」と言う気になった。

 根拠はない。根拠はないが、その誘いに乗らない理由もアズウにはなかった。

「そうだな……。もう少し行けば川に出るんだよねぇ。確か今日は満月のはずだから……もしかしたら何かいいものでもあるのかな?」

 好奇心にも似た期待に胸を膨らませ、アズウは早速川のある方へ足を向けた。

 満月の夜は滅多に取れない貴重なものが手に入ることが多かった。それこそ何があるのか想像すら出来ない。シザキボタルという蛍が大量発生していたり、月下草という銀色の花が一輪だけ咲いていることもあった。シザキボタルは発行塗料を作るのに便利だし、月下草は最上級の傷薬の材料として重宝されるものだった。

 今までも、満月の夜に川まで出歩いて、何かを見つけることがあった。

 だが、それ以上に何もない方が多かった。それでもアズウは行くことにした。いつも部屋に閉じ篭っている自分だ。たまにはゆっくりと自然に触れるのもいい。それに、満月の夜の風景が、アズウは好きだった。


 誰もいない、静寂に寄って張り詰めた程よい緊張感。凛と澄み渡った空気が一体を満たし、月光を反射して煌く川。その奥に広がる夜よりも暗い森の影。見上げれば皓々と輝く満月。それを取り囲む無数の星々。まるで落ちて来そうなほどはっきりと力強く輝く星々を見たならば、その壮大さにアズウは泣きたくなるほどの感動を覚えるのだ。

 自分がいかに小さくて、自分の悩みがいかに小さくて、自分には何も出来ないかもしれないと思うが、それでも星たちは自分を見ていてくれると思うと、嬉しかった。見守られていると思った。それに恥じない生き方をしなければならないと思った。気持ちが引き締まった。だからアズウは川へ向かった。初めは行く気がなくても、一瞬でも行ってみようかと思えば終わりだった。行かずにはいられなかった。


 もう少し、もう少し。

 薄っすらと明るさの漏れている一点を目指して足を進める。その足が我知らずどんどん速くなっていくことに、アズウは自分で気が付いていなかった。

 だが、他の者が見れば、ある種取り憑かれたような様子に見えただろう。そう思わせられる程の早さだった。いくら暗さに慣れ、夜目が利くからといって、駆け足ほどの速さで下も見ずに走るなど普通の村人には出来ない。

 が、アズウは自分でも意識していないが、まるで恋焦がれた待ち人の許へ駆け寄るのにも似た焦りとも期待とも言えるような心境、衝動に突き動かされて走っていた。それは、自分がそうなっていることにすら気付かないほど強いものだった。

 木々の間隔が広くなり、影が薄くなり、出口が近いことを実感しつつ、森の終わりへと飛び出す。


「うわぁ……」


 降って来そうなほどの満天の星空に、アズウは無邪気な子供のように歓声を漏らした。

 綺麗だった。空気が澄んでいて、冷たくて、目が覚めるようで、満月が大きく、夜でもはっきりと物の形が捉えられるほど明るかった。

「これだよ、これ。やっぱり満月の夜は綺麗だなぁ……。勿論、満月以外でも風情があって僕は好きだけど、でもやっぱり満月の夜は特別だよなぁ……と観賞したところで、何かないか探そうかな?」

 自分の想像していた通りの綺麗な景色だったことにすっかり気分を良くしたアズウは、完全なる独り言を呟きながら周囲へと視線を走らせた。そして、

「!」

 下流を見たまま絶句する。何故ならそこに、自分以外の人影を見付けたからだ。

 誰だろう?

 単純であり当然の疑問が脳裏を過ぎる。


 こんな夜に一体何の用があって来ているんだろう? と、自分のことを棚に上げた疑問まで浮かんだなら、確かめに行こうと思い至った。もし万が一、不審者が闇に紛れて飲み水にもなる川に毒でも流そうとしていたら大変だ。もしそうなら止めなくてはならない。

 だとしても、実際本当にそうだった場合、自分は止められるのだろうか? と、思いながら、とりあえず近付きさえすれば何かが分かるだろうと決断し、アズウは足を進めた。その際、念のために、いきなり相手がこちらに気づかないように、そっと足音を立てないように近づいて行く。そして、近付くにつれてアズウは自分の思い違いを痛感して行った。


 そこには、月の精がいたのだ。正確には一七、八歳ぐらいの一人の女性が立っていた。金色の波打つ長い髪。白い肌に透き通った青い瞳。身に纏っているのは漆黒のドレスと、月光。

 そう、その女性は、まるで女性自身が発光しているかのように、夜に浮かび上がって見えていた。


 なんて綺麗な人だろう……。


 アズウは魂を抜かれたかのように見蕩れた。それこそ、いつまで見ていても飽きることはないと思えたし、むしろ、夢か幻じゃないかと思った程だ。 だからこそ、その幻想が消えるまで見ていようと思ったのだが、それは叶わない願いとなった。女性がおもむろに短刀を掲げたのだ。刀身が月光を反射し夜に煌く。

 女性の顔に泣き出しそうな切ない決意が表れる。その瞬間、アズウは現実に戻って来た。


 あの人死ぬ気だ!


 儀式や呪いなどではなく、生きることを止めようとしていると直感したアズウは、理由が分からないまでも反射的に声を上げていた。


「そこで何をしているの?」

 刹那、女性は弾かれたようにアズウを見た。

 その驚きの表情と、悲しみに濡れた頬を見たなら、何故かアズウは死なせてはいけないと自分に言い聞かせ、思い止まらせようと決意した。

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