(2)


「何だ? どうした?」

 問い掛ける声も心なしか震えていた。

「黙っていたら分らないだろ?」

 沈黙が恐怖心に繋がるのは早かった。ケルンも気が付いたのだろう。自分が観察されていることに。だから言葉に焦りが混じった。錬金術師たちの一人が言った。

「先ほど私たちは言いましたよ? その石は不完全だと。どういった悪影響が出るのか分らないと。あなたがそのまま何事もないのならそれでよし。ですがもし何かがあったら……」

「な、何かって、何だ?」

「さあ、それが分っていればあなたに持ち出させたりしませんし、その石を取り込むよう促したりもしませんでしたよ」

「じゃあ、何か? 俺はお前たちの実験のために踊らされていたと言うわけか?」

「それは人聞きの悪い。もしも本当に完成したものだったら、あなたは見事に不老不死を手に入れるわけですから、確率の問題ですよ。完成されているのかいないのかは……」

 白々しい弁解に、ケルンが押し黙った。怒りで言葉が出なくなる経験は、この数日でシエラも散々味わった。だが、同情心は芽生えなかった。

「じゃあ、もし、未完成のものだったら……俺はどうなるんだ? おい、俺はどうなるんだ?」

 欲望に駆られて未知の物を口にした男は憐れにも涙声になっていた。それは怖かろうとシエラは思った。自分が周囲とは違う生き物だと自覚した瞬間の不安感は並大抵ではない。元々そう言うのに憧れを持っているなら別だが、普通は怖い。普通ではないことを嫌う人間だからこそ、普通でなくなることは怖いのだ。そのことを、今更この男は知ったのだ。


 滑稽だった。もっともっと怖がればいいとシエラは思った。無意味に命を奪われたミューズの恐怖はそんなものではなかったのだと心の中で言い捨てた。

 直後、いきなりケルンが咳き込んだ。ちらりと見れば、自ら口に指を入れ、飲み込んだものを吐き出そうとしていた。

 あれほど欲しがっていた物を一旦口にして置きながら、恐怖心に駆られて吐き出そうとしている姿は惨めだった。

 欲しかった物を手に入れるために周囲を巻き込んでおきながら、いざ手に入ると捨てようとするケルンが許せなかった。

 だったら何のためにミューズを初めとする村人たちが犠牲になったのか分らない。

 アズウが沢山傷ついたのか分らない。そう思ったとき、シエラの体は勝手に動いていた。


 パン!


 と、高い音が地下室に響いた。

 突き飛ばされたケルンが呆気に取られた顔をしていた。

 だからシエラは見下ろしながら冷たく言い放った。


「今更吐き出してどうするの? ミューズを殺して、アズウを傷つけて、私を閉じ込めて、独占してまで欲しかったものでしょ? だったらそのまま入れて置いたらどう? 吐き出したら私があなたを殺すわよ?」

 ケルンは涙と涎に汚れた顔をシエラに向けた。

 シエラは醜いと思った。この男の所為で人生が狂わされたのだと思うと、腸が煮え繰り返るほどの思いだった。

 ケルンが悔しそうに眉間に皺を寄せる。そして、何かを言おうと口を開きかけたとき、見間違いなどではなく、一瞬大きくケルンの体が脈打った。

 ケルンが眼を見開いて、空気を求めるように大きく口を開いて喘いだ。

「何?」

 異変を察知して、シエラが一歩退けば、

「不完全だったか」

 錬金術師の誰かが悔しそうに呟いた。

「不完全だったら、どうなるの?」

 ケルンではないが問い掛けた。

「わからん」

 と、錬金術師は答えた。

 だが、答えはすぐに分った。目の前で、ケルンの体は普通では絶対にあり得ない動きをしていた。まるで大きな蛇が体の中を動いているように、ぼこぼこと波打ち、血管が浮き出した。骨の折れる音がして、ありえない場所に関節が生まれ、吐き気が込み上げるような変容を来たしていた。だが、眼が逸らせなかった。あまりにも現実離れし過ぎていた。


 シエラの後ろで錬金術師たちも低く呻いていた。

 ケルンの肌は変色していた。既にそこに人間と呼べるものはいなかった。

 苦しいのだろう。だが、涙を溢れさせてケルンが手を伸ばすも、言葉は言葉になっていなかった。

「……どうするの……これ」

 極自然な問い掛けが、シエラの口を吐いて出た。

「何とかするしかあるまい」

 答えた声に戸惑いが滲んでいた。銃が構えられた。

 そんなものでどうにか出来るのか? とシエラは思った。刹那、

「!」

 無数の衝撃がシエラを貫き、背後で苦鳴が上がった。

 ケルンの十本に分かれた指が、シエラを貫通して背後の錬金術師たちを貫いたのだ。

 それが皮切りだった。ケルンの原型を留めていない何かの塊から、次々に触手が伸びたかと思うと、容赦なく錬金術師たちを、シエラを貫き、薙ぎ払っていた。

 悲鳴が地下室に木霊した。


 結局こうなるのか……と、シエラは無感動に思った。

 痛みがないわけではないが、酷く曖昧だった。自分を貫いた触手が乾燥剤でも掛けられたかのように乾いて霧散していく様を見てから倒れた。その視線の先で錬金術師たちが惨殺されて行くのを見ていた。欲に負けて自然の理を捻じ曲げた報いを受けているのだと思ったら、助けなければ! などという気持ちは起こらなかった。

 これは全て自業自得なのだ。無関係な人の命を奪った報いなのだ。

 ただ、錬金術師たちはどうなってもいいが、その錬金術師たちが倒れてしまった後、ケルンだったものが村に出てしまったらどうしようかと、そのことを気に掛けたとき、シエラは気を失った。傷を治すために眠るのだと理解した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る