(3)


 占わずとも、嫌な予感ほど当たるのが世の中だった。

 ミューズが来てから三日と間を空けないうちに、一人。また一人と、熱が下がらないという理由で熱冷ましの薬を貰いに来る村人たちが日に日に増えて行ったのである。それこそ、老若男女関係なかった。その一人一人に、アズウは念を押してから、薬を与えるようにして行った。

 村人たちはそれに対し、「熱冷ましはいつもアズウのところで貰っている」「熱冷ましを飲んで体調が悪化したことはない」と一様に声を揃えて言うと、三日分ずつ貰って行った。

 アズウにしてもシエラにしても、信用してもらえていることは嬉しいが、急に増えだした集団風邪のような症状に不安が増す一方だった。


 アズウはミューズが帰った後、師匠の妻が書き留めていた病と薬に関する書物を探したが、熱だけが一週間以上続き、何の症状も現れない病に関する記述を見つけることは出来なかった。

 大きな病や危険な病のとき高熱や微熱が続くこともあるようだが、村人たちは一様に熱が下がらないだけで他に症状はないと言っていた。中には熱がある所為で体が熱くて苛々するため、それを防止するために薬を希望する村人もいたほどだ。むくみがあるわけでもなく、発疹が出るわけでもなく、関節が痛むわけでもない。

 唯一あるとすれば熱によるだるさと、それによる不快感。それに対して薬を出すと言っても、熱冷まし以外に出しようがなかった。


 ただの風邪だと言い切れたらどんなに楽か分からない。

 村人たちは熱が下がらないだけだと楽観的だったし、あえて不安がらせる必要もないと思ったアズウもシエラも何も言わなかったが、普通に考えて高熱まではいかない微熱が何の理由もなしに出続けるということはおかしなことだと思っていた。


 何かがあるかもしれない。そう言って、アズウは部屋に閉じ籠るようになって行った。薬の調合もしなければ在庫が尽きてしまうほど患者は増えていたのだ。それでも、まだその頃はアズウにも笑顔があったし、シエラとも普通の会話が出来た。相変わらずからかわれもした。アズウから笑顔が消えたのはそれからもう少し後のことだった。


 その日も、アズウの許には殆どひっきりなしに村人たちがやって来ていた。この頃になると、村人たちも何なのだろうかと疑問を持つようになり、村人同士で原因を話し合ったりするようになっていた。その中で話が脱線したり、「お前もか」「俺もだよ」「三日続いたからとりあえず来てみた」「熱が出たのは昨日なんだけど、もしかしたら今流行っているやつかと思って来てみた」と言う者もいれば、「だるいだるいと思ってたらどうやら熱出してたみたいでな」と、のんきなことを言って笑い合っている村人たちもいた。

 そんな中、アズウが村人に細かく話を聞き、シエラが一人一人のカルテを作成しているとき、


「あ、アズウさん! 大変だ!」

 勢い良く扉を開け放って転がるように入って来たのは、ヒューズだった。その腕には毛布に包まれているらしいミューズの姿があった。

「どうしたんですか?! ヒューズさん」

「おい、ミューズちゃんどうしたんだい?」

 前回は余裕すらあったヒューズだが、今は余裕など微塵もなかった。休まずに走って来たのだろう、汗の浮かぶ顔は上気し、その顔には怯えにも似た動揺が張り付いていた。

 あまりの剣幕に、それまで話していた村人も慌てて席を立つ。

「こ、これを見てくれ」

 席を譲ってくれたことに対してのお礼もそこそこ、ヒューズは腕の中のミューズの顔を、アズウに突き付けるようにして見せた。

『!』

 その場にいた誰もが息を呑んだ。前回は多少苦しそうな様子はあったものの、帰るときには元気な笑顔で手を振って帰ったミューズの顔は真っ赤で、玉のような汗が浮かび、呼吸も荒くなっていた。その上、ポツポツと豆粒ほどの大きさの血のような色の発疹が顔中に出ていたら、驚くなと言う方が無理だった。

「これは……」

 声もなくアズウが見ていると、ヒューズは興奮冷めやらぬ様子で話し始めた。

「ついさっき、朝の一仕事を終えて帰って来たら、家の前に倒れてたんだ。そのときはもうこうなってて。でもな、それまでは綺麗な顔で本当に元気だったんだ。あんたの熱冷ましもちゃんと効いて、飲み続けて三日後にはすっかり良くなってた。だからもう大丈夫だと思ってたんだ。そしたら、こんな」

「ちょっとすみません」

 アズウは父親の腕の中でぐったりとしているミューズの腕を取った。袖を巻くって様子を見れば、そこにも発疹があった。喉もとにも服の隙間から見えたため、もしやと思って確かめてみたならそうだった。

「おそらく全身に発疹はあるでしょう。何か予兆はありませんでしたか?」

 言いながら懐中時計を取り出し脈をとるアズウ。

「まったく。今朝だって綺麗な白い顔で俺を見送ってくれて、で、帰って来たらこうなってたんだ」

「奥さんも気づいていなかったですか?」

「妻は元気になったから外に遊びに行ったと思ってたそうで、それがまさか家の前に倒れているとは思ってもいなかったそうだ」

「村の人たちは教えてくれなかったんですか?」

「それが、見つけた場所が茂みの裏だったんで、普通に表からは見えない位置にいたんだ。それで、どうなんだ? ミューズは大丈夫なのか?」

 と、身を乗り出して訊ねる父親に、アズウはあくまで穏やかに話した。


「ヒューズさん。とりあえず落ち着いた振りをして下さい」

「振り?」その顔がありありと何のために? と訴えていたなら、

「父親であるあなたがそんなに取り乱しては、ミューズちゃんが不安になって怯えます。大丈夫です。発疹が出たから直ぐにどうこうということはありません。ただし、少し検査が必要になります。文献も当たります。薬はその後でなければ調合出来ません。だから、時間が掛かります」

「掛かる……って、どれくらい?」

「分かりません。だから選んで下さい。僕に任せるか、きちんとした医者のところへ行くのか。あなたが決めるんです」

「そんな……」

 父親はショックを隠しきれない様子だった。

 それも仕方がないとシエラは思った。頼みの綱のアズウに、子供の運命を決めるのは自分だと言われたなら、責任の重さに途方に暮れたくなるだろう。それは暗に万が一を覚悟しろと言われたも同然だった。

 もしも、今ここで自分が占いをしたとしたら……と、一瞬考えて、慌てて頭を振るシエラ。もう占いをしないと決めたのは自分だ。それをいつも破って来てろくな目に遭わなかったのだ。シエラはもう同じ過ちを犯したくなかった。

 いや、それ以前にシエラ自身が怖かった。恐れている結果が出てしまったとき、自分の心は耐えられないと確信があった。


 だからこそ思う。ここまでなっても行きたくない隣村の医者とはどんな人間なのかと。

 普通は医師の資格も知識も乏しい人間のところに、いくら薬が作れるからといって通ったりはしない。切り傷や打撲などの簡単なことなら理解も出来るが、ことは命が掛かっているのだ。命が掛かっているときにその正常な判断さえ奪う医者がいるということが、見たこともないのにシエラは恨めしかった。

 ミューズが可哀相だった。何とかしてあげたかった。アズウに助けてあげてと言いたかった。だが、言えなかった。言えるわけがなかった。アズウは自分に出来る限界を知っている。だからこそ今父親に選択を迫っているのだ。それを、無理を言ってアズウに引き受けさせ、万が一のことがあった場合、傷つくのはアズウだ。シエラはアズウが傷つく様を一番見たくなかった。自分は酷い人間だと思う。今高熱で苦しんでいる小さな命より、自分の大切な人間の心が傷つかない方を選んだのだから。


 私は人として最低なのかもしれない。それでも、私はアズウを守りたい。

 でも、それと同じぐらいミューズを助けてあげたい。

 シエラは様々な感情を込めて、カルテ作りの下敷きにしている板を力強く握り締めた。

 父親は言った。

「私はあなたに頼みたい。たとえどんな結果が出たとしても。俺はあんたを信じたい。もう駄目かと覚悟していた私を助けてくれたあんたを」

「分かりました。最善を尽くします」

 その日から、アズウの顔から、雰囲気から、全てを包み込むような柔らかいものが消えた。そこに、錬金術師がいた。

 アズウは、ミューズを救うと決めた瞬間、家の外で順番待ちをし、また、ヒューズの慌てぶりにどうしたのかと様子を窺っていた村人たちに向かって事情を説明し、これから暫く研究に打ち込むため、診察が出来ないことを告げ、隣村か、近くの町医者に行けるものはそちらに。体力的にまだ大丈夫そうな人はもう少し様子を見ることを、どうしても辛い者のみ薬を与えることを承諾させた。


 事情を窺っていた村人たちは快く承諾して行った。

 そしてアズウは、初めの熱が続いたことと今回のことが関連しているものかどうか確かめるため、父親の言ったことをメモした紙を握り締め、仕事場へと向かった。

 その後ろ姿に、シエラは何一つ声を掛けられなかった。アズウの全神経がミューズを蝕んでいる病に向かっているのがわかったから。故に、シエラは独りになったような気がした。


 シエラはアズウの仕事場に近付くことが出来なかった。自分には何が何だか分からないものだらけの中で、暗号化された書物が読めるわけもなく、手伝えることもなく、むしろ気を使わせるだけで足手纏いにしかならないことを知っている。だからこそ、シエラは孤独だった。自分は無力だと思った。自分には人を救う技術がない。それを手伝えるほどの知識もない。出来ることと言えば邪魔をしないことだけ。そして祈り。ご飯を作ることだけだった。


 そうだ、夕飯を作ろう。


 昼過ぎからずっと仕事部屋に閉じ籠っているアズウに、せめて栄養のあるものを作ってあげようと思った。

 出来たものをお盆に載せて仕事場まで持って行く。ノックをしようとして一瞬躊躇い、逡巡してから意を決してノックする。

「アズウ。いい? 夕飯を作ったの。開けるわよ」

「うん」

 了解の声を聞いて開ける。中央のテーブルの上では文献や書物が大きく広げられ、奥の机の上では何かの調合が行われていた。空気が張り詰めてピリピリしていた。怖いほどに真剣な表情のアズウが放つ雰囲気に、シエラは少し気圧され、

「あ、あの。夕飯……なんだけど、そっちの棚の上に置いておくから」

 と言って、アズウの正面にある棚の上に布巾を掛けた状態で置く。

「じゃ、じゃあ、私は行くから、あまり無理しないでね」

 言うわけがないとは思いつつ、それでも邪魔だから早く出て行ってと言われる前に出て行かなければという衝動に突き動かされて部屋を出て行こうとするシエラ。刹那、

「あ、待ってシエラ」

 そんなシエラを、いつもの優しいアズウの声が引き止めた。

「何?!」と、勢い良くシエラが振り返る。

 そんなシエラの行動に一瞬驚いた表情を浮かべたアズウだが、その後微笑みながら一通の白い封筒を差し出して、

「明日の昼までにこれを出して来て欲しいんだ。村の手紙入れ。それに入れておけば明日回収屋が取りに来てくれるから。場所は分かる?」

 と、訊ねられ、シエラは「分かるわ」と言って手紙を受け取った。

 そして、出て行こうとすると、再び呼び止められ、

「申し訳ないんだけど、後で摘(つま)めるお菓子作ってくれるかな? あと、暫くは籠もりっきりになるかもしれないから一緒にご飯を食べられないかもしれない。本当にごめんね」

 と、苦笑混じりに言われたなら、アズウが自分に気を使ってくれることが嬉しくて、シエラは笑みを口元に浮かべて力強く頷いた。

「大丈夫よアズウ。一人で食べるのは慣れてるし、後で美味しいお菓子持って来てあげるね」

「うん。ありがとう」

 そのアズウの笑顔と心遣いが、一瞬なりともシエラから寂しさを紛らわせた。

 だが、扉を閉め、いつもとは違い一人分の食事しか乗っていないテーブルを見たなら、シエラは泣きたくなるほどの寂しさを覚えた。

 別に、こんな状況を生み出したミューズを怨む気はさらさらないが、それでも自分を慰めるためにシエラは小さく呟いた。

「病名が分かって、薬の調合が成功して、薬が出来れば、またすぐ元通りの生活になるわ。だから大丈夫」

 そしてシエラは一人の食事を始めた。久しぶりに不気味なほど静かな夜だった。

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