(2)



 それから更に数日経ったある日のこと。毛布で娘を包んだ父親がアズウのところへやって来た。


「すまん、アズウ。娘の様子がおかしいんだ。少し見てくれないか?」

 四十代後半らしき男はそう言って、五歳くらいの三つ編みを結った女の子をアズウに見せた。女の子は苦しそうに真っ赤になった顔を顰(しか)めていた。

「どうぞこちらへ。シエラ。体温計と毛布を持って来てもらえる?」

「分かったわ」

 アズウが父親に椅子を勧めてシエラに指示を出す。シエラはすぐにアズウの調合部屋の手前にある自分の部屋から、水銀の入った体温計と、予備の毛布を持って戻った。

「はい。アズウ」

 と、体温計をアズウに渡して毛布をテーブルの上に広げる。

「ありがとう。シエラ。ではヒューズさん。ミューズちゃんをここへ寝かせて下さい」

「ああ」

 言われるがままに娘を寝かせる父親。すると、寝かせられたミューズは薄っすらと目を開けて、不安そうに「アズウさん」と名前を呼んだ。

 アズウは安心させるかのように微笑んで応えた。

「こんにちはミューズちゃん。具合はどうですか? 喉は痛くありませんか? 頭は痛くないですか? お腹は? 手足がビリビリしてない? 胸は苦しくない?」

 言いながら、そっと各所に手を添える。が、ミューズは全てに首を左右に振って応えた。

「そっか。じゃあお顔が赤いからお熱を測ろうね。いいかい?」

 と了解を取って体温計をミューズの口に入れるアズウ。そして、

「何があったんですか?」

 穏やかな口調のまま、慣れた様子でアズウは父親に問い掛けた。

 出会ってすぐの頃、アズウが医者や薬師に間違われたと話していたことをシエラは思い出していた。そして、これまでも何度か誤解に繋がる行為をシエラは目の当たりにして来た。実際アズウは手馴れていた。いっそ、錬金術師などではなく本当に医者か薬師になればいいのに……と思い、半分冗談で進言したとき、アズウも半ば本気で転職しようかと思っている。と答えたことも思い出す。

 父親は答えていた。


「いや、本当は二週間ほど前のことだったんだ。こいつが頭が痛いと言い出してな。風邪でもひいたのかと思ったんだ。で、ちょうど隣村に行く用があったから医者に見てもらったんだが、一旦良くなったものの、その後また熱を出してな。熱を出したら呑ませればいいって言われていた貰った薬を飲ませていたんだが一向によくならねぇ。別に命がどうのこうのと言うほど高い熱を出してるわけでもねぇし、そう焦るもんでもないと思ってたんだが、いくらなんでも一週間以上も続くと話は別だ。だから、俺の命を助けてくれたあんたなら、娘も助けてくれると妻が言うもんで……いや、俺自身もそう思っていたから、じゃあ診てもらおうと思って連れて来たんだ。頼まれてくれるかい?」

 と、少し弱気に訊ねられたなら、アズウも少し困った口調で、

「でも、僕は正式な医者でも薬師でもありませんよ? 一応薬や医者の知識もありますから、それを買われて置いてもらっているんですが、それでも大丈夫ですか? 信用出来ますか?」

 と、念を押した。男はアズウがこの村へ来るきっかけになった男だった。そして娘は、アズウがこの村へ住むきっかけを与えてくれた村長の娘の子だった。本当ならば助けたい。だからこそアズウは念を押したのだ。

 対して父親は、真剣な顔で答えた。

「大丈夫だ。俺はあんたを信じる。だからあんたも自分を信じて娘を救ってくれ」

 その言葉にアズウが頷くのをシエラは見た。

 そのとき、シエラは自分の服が引っ張られているのに気が付いた。見ればミューズが小さな手でシエラの服を引っ張っていた。


「どうしたの?」

 シエラが中腰になってミューズの顔に自分の顔を近づけて小声で尋ねると、ミューズは赤い顔で、口に体温計を銜えたまま微笑み、

「ほえーしゃんがはうーしゃんのおよめしゃん?」

 と、訊ねて来た。自分がアズウのお嫁さんか? と聞かれたことに驚き、一瞬眼を瞬かせるシエラ。大人たちのからかいは、子供たちにまで伝染していたことに、シエラは嬉しいやら恥ずかしいやら、それに少しばかり寂しさを加えて、

「違うけど、そうよ」

 と、答えた。ミューズは答えを聞いて少し困ったような思案顔になったなら、そうなるのも仕方がないと思ったシエラは、

「ごめんね。難しいこと言ってしまったわね。苦しくない?」

 と、熱で赤くなっている額に手を当てて訊ねた。するとミューズはシエラの手に自分の手を重ねて答えた。

「ううん。ふめたくてきもひいい」


 小さな手だった。柔らかくて、温かい手だった。それに、手を握られるとは思ってもいなかったシエラは、動揺した。自分の冷たい手が気持ちいいと言われたことが信じられなかった。それでも、自分の手がミューズの苦しみを少しでも軽減出来るなら、いくらでも手当てをしようと思わせられた。助けてあげたいと思った。

 すると、まるでその声が聞こえたかのようにアズウがこちらを振り向いた。

「じゃ、ミューズちゃん。体温計を取るね」

 勿論偶然だということは分かっているが、驚いた。そんなシエラに微笑を一つ向けると、アズウは再び父親に向かって話し始めた。

「確かに、八度近い熱がありますね。でも、家では苦しいとかどこかが痛いと言ったりはしていないんですよね? 初めの頭痛以外は」

「ああ」

「咳や鼻水は? お腹は下してませんか? 吐き気は?」

「たまに咳き込むが、そんなに酷いもんじゃないな」

「ちなみに、隣村の医師はどんな診断を下しましたか?」

「風邪だろうと言っていた」

「だとしたら、多分そうです。僕も風邪だと思います」

「風邪が二週間も続くものか?」

「ないとは言い切れません。これでどこかが痛いとなれば別な可能性もあるんですが、そうなれば少し検査をしなければなりません」

「検査?」

「はい。血を採って調べるんです」

「出来れば検査をしない方向でやってもらいたいんだが、無理か?」

「無理……ですね。一応後から資料の方を探してみますが、僕がとりあえず出せるのは熱冷ましぐらいです」

「そうですか……」

「はい。お役に立てなくて申し訳ないのですが、きちんと学んだ者ではない人間の診断で間違いがあっては大変です。僕としてはもう一度隣村の医師に行くことをお勧めしますがどうですか?」

 と、至極当然のことを問い掛ければ、何故か父親は嫌そうな困ったような顔で、歯切れも悪く答えた。

「……こう言うのも何だが、個人的にあの医者が好かんのだ」

「好かない……って、それでも治すなら行かなければ……」

 と、軽く諌めたなら、

「いや、分かってる。分かってるんだがなぁ……」

「ミューはあのおいしゃさんきらい!」

 言いあぐねいている父親の代わりにキッパリと断言するミューズ。

 誰もが驚いてミューズを見れば、ミューズは不機嫌そうに頬を膨らませて答えた。

「だって、こわいんだもん。やさしくないもん。ミューのかおちゃんとみてくれないし。おくすりにがいし。だからミューはきらい! ぜったいいかない! ミューはアズウさんになおしてもらうの! アズウさんもおよめさんもやさしいからこっちがいいの!」

 と、言われれば、

「………だ、そうなんで、本人の意思も尊重してお願い出来ませんかね?」

 と、父親が後を続ける。

 アズウは父親とミューズを交互に見やり、次いでシエラの顔も見たなら、溜め息一つで根負けしたことを認め、

「では、三日分の熱冷ましの薬を出します。それで効果があればよし。もしもなければもう一度隣村の医師の許……が、嫌なら、他のところでもいいです。きちんとしたお医者さんに見せること。その条件を飲むのならお薬を出します。いいですか? 僕は医者でも薬師でもありません。そこを良く考えて下さい?」

 と、念を押す。が、結局父親はアズウから薬を貰って帰って行った。

 熱がありながらも元気に手を振って帰るミューズを見送るシエラ。だが、ミューズが見えなくなった後、どこか思い詰めたアズウの顔を見たならば、シエラは一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

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