第6話『束の間の喜び』

(1)


 シエラが寂しい思いをしていたことは、仕事場に籠もりっきりだったアズウにも分かっていた。だが、だからと言って、一緒に薬を作るわけには行かなかった。

 いくら実験のためとは言え、鼠で実験している様子を見せるわけにはいかなかったのだ。多くの鼠が死んで行った。悶え苦しんで死に、発疹が全身に及んで二目と見られない有様になって死に、泡を吹いて、痙攣をし続けて……。

 もしもそれが人間に起きたなら、それこそ阿鼻叫喚の地獄絵図だっただろう。

 だが、やらないわけにはいかない作業でもあり、反面、アズウの最も嫌いな作業だった。

 人を救うためとはいえ、その代わりにどれだけの小動物を殺していくのか? 

 考えるだけで、アズウの心は締め付けられた。そんな残酷な作業をしているなどと、シエラに知られて嫌われるのが怖かった。勿論、村人たちにしても同様に。

 もしも知られたなら嫌われるどころの話では済まないかもしれない。だが、だからと言ってやらない訳にはいかなかった。やらなければミューズが死ぬのだ。


 見た瞬間危険なものだということはアズウには分かっていた。

 全身に及ぶ発疹に高熱。発汗。意識混濁。体力や抵抗力がある大人ならまだしも、子供にとってそれは命に関わるものだった。かろうじて一命は取り留めても、場合によっては脳にダメージが残り、障害が残るかもしれない可能性もあった。ゾッとした。同時に、一秒でも早く特効薬を作らなければと焦りを覚えた。

 文献を開き、材料を確かめ、その中に魔術などにも用いる特殊な石が必要だと記されていたのを見た瞬間、アズウは動揺した。他の材料はともかく、その石だけが手元になかったのだ。どうにか他の物で代用出来ないものかとアズウは可能性の限り実験してみた。結果は無残なものだった。鼠の一匹たりとも回復の兆しは現れなかったのだ。


 錬金術で作れないわけではないと気付いたのは、ない材料を補うための代用品を探しているときだった。だが、調合に時間が掛かり過ぎた。一つを作るのに六日を要すると分かったなら、アズウは応援を頼むことに決めた。

 アズウが小さかった頃、師匠と共に何度か遊びに行ったことのある魔術師のもとへ手紙を書いた。もしもその石を持っているのなら貸して欲しいということ。それがないと小さな女の子の命が消えてしまうこと。石は後日調合して必ず返すこと。それらを綴ってシエラに出して来てもらった。早く着いて三日。往復してもう三日。最短でも一週間。調合して完成するのが先か、魔術師から石が届くのが先か、可能性は五分五分だった。だが、保険の欲しいアズウにしてみれば頼まずにはいられなかった。


 その間、どれだけの鼠が死んで行ったか分からない。同じ症状を作り出すことは簡単なのに、何故それを治す薬は簡単には作れないのか?

 思わず机に拳を打ちつけたのも一度や二度ではない。もどかしくて、もどかしくて仕方がなかった。焦りだけが募って行った。

 そんなアズウに奇跡が起きたのは、魔術師に手紙を出してから三日後の夜だった。


 その日も、籠の中の鼠が死んだ。泣きたくなるほどのもどかしさに、全てを投げ出したくなり、それでも大きな物音を立ててはシエラが気にすると思って耐えていたそのとき、窓ガラスを突く音がした。何かと思って顔を上げて見てみれば、窓の外に金色に輝く鳥がいた。言葉通り金色に光っている大きな鳥を見て、一瞬アズウは気が狂ったのかと思った。だが、しきりに窓を鳥が突く。

 アズウは急かされているような気がして来て席を立った。


 近づいても鳥は逃げようとはしなかった。ただ、窓を押し開けた分は後ろに下がりはしたが、窓が完全に開ききった瞬間、勢いよく室内に飛び込んで来た。

 アズウは慌てて窓を閉めて、鳥を眼で追った。鳥は室内の天井を一回りすると調合中の机の上に降り立ち、声無き声で一声鳴くと、アズウの目の前で光となって弾け飛んだ。

 アズウはただ呆然と眺め、その美しさに今の状況を一瞬なりとも忘れた。幻かと思ったが、それが魔術師によって送り届けられた物だと理解したのは机の上を見たからだった。

 机の上には、貴重な石であるスルクコーネのルビーにも似た透明感のある赤い石が八個も置かれていたのだ。しかもその端にあたる部分に、金色の光で魔術師の名前が描かれ、自分がそれに気がつくと同時に名前すら光となって消えたなら、アズウは期待と喜びがじわじわと滲み出て来るのを感じた。闇の中で光が溢れ出るように、体が震えるほどの感動を覚えた。涙が出るほどの感謝に言葉もなかった。


 これでミューズが救える!


 アズウはすぐさま石の一つを研磨剤で削り、薬の調合を始めた。眠ることなく細心の注意を払った結果、作り始めてから一日半。翌々日の昼には見事完成した。

 鼠の体から発疹が消え、熱のためにぐったりと動くことも出来なかったにも関わらず、薬を投薬して祈るように見守っていると、効果はすぐに現れ、嘘のように瞬く間に発疹が消えた上に、更に三十分ほど経過すると元気に走り出し始めたのだ。

 アズウはもう一度文献を開き、薬の投薬量。服用の際の注意事項などを確認した。確認し終えた後、一回分ずつに薬を薬包紙に包み、三日分を小さな紙袋に入れると、アズウは勢いよく部屋を飛び出した。一秒でも早くミューズを楽にしてあげたかった。

 アズウがいきなり部屋から出て来たため、窓の前に立ち、ボーっと外を見ていたシエラはひどく驚いた顔をしてアズウの名を呼んだ。

 アズウは落ち込んでいたシエラにも喜んでほしくて、極自然に、それが当たり前であるかのように、シエラに抱きつき、ついで離れて肩に両手を添えながら顔を見て報告した。

「ミューズの薬が出来たんだ! もう大丈夫なんだよ!」

 初めこそ驚いていたシエラだが、徐々にアズウの言葉が理解出来て行くように、その表情に喜びが満ち溢れて行くと、満面の笑みで「よかった」と、共感した。

 アズウは共感してくれたことが嬉しくて、それまでの苦労も、殆ど徹夜だったことも忘れて、これからミューズのところへ行くことを告げ、家を後にした。


 家を出ると、それこそ逸る気持ちを代弁するかのように、足は自然と走り出していた。

 ミューズの家に着くまでに、何人かの村人に声を掛けられたが、挨拶もそこそこにアズウは駆け抜けて行った。

 アズウはいささか乱暴にミューズの家のドアを叩いた。普段はそんなことはしないのだが、気持ちの焦りが全て行動に表れていた。

 木のドアが開くのを待つことすらじれったく、アズウは声を上げて呼び掛けた。

 ドアの奥で慌てて駆け寄って来る足音が聞き取れたのはある意味奇跡に近かったかもしれない。反射的にアズウがドアから一歩離れたとき、ドアは、不安と期待が入り混じったヒューズによって開けられた。

 そんなヒューズにアズウは伝えた。薬が完成したことを。ミューズが治ることを。

 父親であるヒューズは涙を流して喜んだ。その後二人は、汗を掻き苦しそうに浅い呼吸を繰り返しているミューズの許へ行くと、付きっ切りで看病していた母親の前で薬を呑ませた。

 すると、辛そうに眉間に力を入れていたミューズの顔が、とても穏やかになったなら、大人三人で泣き出さんばかりに喜んだ。母親は顔を覆って泣いて喜んだ。

 夫と子供。自分の家族の命を二度も助けたアズウに、母親はどう恩を返せばいいのか分からないと言い、ヒューズは何でも助けがいるなら言ってくれとアズウの手を取って言った。

 アズウは首を振りながら、お礼は何も要らないと言い、注意事項は必ず守って欲しいと念を押した。両親はメモを取って必ず守ることを誓った。

 そして、何度も何度もお礼を言う二人の許を後にしたアズウは、帰り道、言葉には出来ないほどの充実感に満たされていた。自分は今、とても幸せだと思った。

 その日、アズウは久しぶりにシエラと一緒に遅めの昼食を摂ることが出来た。アズウはヒューズたちの様子や、ミューズがもう大丈夫なことを話して聞かせた。シエラはその話を嬉しそうに聞いてくれた。そんなシエラを見て、「やっぱりシエラは笑顔が一番いい」とアズウは思った。どれだけ今まで寂しい思いをさせて、悲しい思いをさせたのだろうかと、分かってはいたが改めて痛感した。

 だが、それも昨日まで。今日からはまた一緒に食事も摂れるとアズウは思っていた。

 が、思ったのも束の間、食事を終えて一息ついた刹那、一気にそれまでの疲れが襲って来て、アズウはそれから丸一日を睡眠によって奪われた。

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