(3)


「さて、無駄話はこれくらいにして、さっさとやらないと本当に丸一日掛かっちゃうわ」

「そうだね」

 気持ちを先に切り替えたのはシエラが先だった。その顔にはもう弱気な様子は見受けられない。いつまでも弱気ではいられない状況が目の前にあるのだから仕方がないのかもしれないが、おかげでシエラが元気になったと思えば、アズウは、これもまぁ良しとしよう。と思った。が、

「そうだね。じゃないわよ、アズウ。一冊一冊に思いを馳せるのはいいんだけど、もう少し急がないと、あなたが部屋から出られなくなるわよ。

 私は次の本持ってくるから、早く片付けちゃってね」

 と、言われれば、若干焦りが芽生える。良く見れば、本当に、出られなくなりそうだった。六列に分けられていたため、そんなに意識はしていなかったが、入り口を塞ぐには十分な量だった。

「これはちょっと急がないとマズイかな?」頬が軽く引き攣った。そのとき、

「ねぇアズウ。干物とかは錬金術に使うんだろうけど、玩具は使わないわよね?」

 廊下の向こうから、身に覚えのない品についての質問が飛んで来た。「玩具?」と、問い返せば、

「そう。これ何かしら? 石炭車か何かしら? 結構新しい感じの木で出来た置物……かと思ったら、ちゃんと車輪が動くわ。あら、何だかちょっと楽しいわね」

 シエラがその玩具を気に入ったらしいということが伝わって来た。同時に、何か大切なことを忘れているような気がして来た。

「ねぇ、それってどんな玩具?」と、嫌な予感を抱きつつ質問し返せば、

「これよ。何だか壊れてるわよ?」

 シエラが廊下の向こうで掲げて見せた。刹那、


「あああああっ!」


 アズウは悲鳴を上げていた。シエラはビクリと身を竦ませて、驚きに目を丸くした。

 それは昨日、兄弟から預かった物だった。森に材料を取りに行ってから今の今までドタバタしていた所為ですっかり忘れていた。いや、自分の名誉のために弁解が許されるのなら、正確には、部屋から荷物を一旦全部出すときに目にはしていて、直さなければとは思ったのだ。思ったのだが忘れていた。

「マズイ、今何時?」

 と、手を差し出しながら訊ねれば、持って来てという意味を察したシエラが、書物越しにアズウに玩具を手渡しながら、「もう少しで正午になるわよ?」と教えてくれた。

「うわ、間に合うかな?」

 と、アズウが焦れば、「どうかしたの?」とシエラも少し焦った様子で訊いて来た。だからアズウは、

「昨日の午前中に、その玩具を直して欲しいって頼まれてたのを忘れてたんだ。今日のお昼頃に取りに来て。って、言ったからもう少しで来るかもしれないんだよ」

 と、腰に下げていた袋の一つから、長方形の布を巻いたものを取り出し、紐を外してテーブルに広げる。その中には綺麗に彫刻刀や螺旋(ねじ)回しの工具がずらり並べて収められていた。

「ねぇ、間に合うの?」

「多分、大丈夫だとは思うんだけど。多分ここの発条(ぜんまい)が欠けたか何かして、動かなくなったと……やっぱり。だったら、この発条を取り替えさえすれば後は大丈夫なはずなんだけど、ただそのためには分解が必要で」

 言いながらも、アズウは組み立てたときと反対の順で次々に分解して行った。何としても間に合わせなければならないと思っていた。たとえ子供との約束だとしても、こっちの都合で破るわけには行かない。こっちにしてみれば些細なことでも、子供にしてみれば楽しみにしていた分、手酷い裏切り行為になってしまう。自分との約束なんてどうでもいいのだと思い込まれ、そのまま自分の価値さえないものと考えてしまうこともあるということを知っているアズウにしてみれば、信用を賭けたちょっとした瀬戸際だった。

 だというのに、


「あら? アズウ大変。誰か来たみたいよ」

 ハードルは何故か上がって行った。が、それならそれでアズウも反撃に出る。

「うわっ。ごめん、シエラ。僕ちょっと手が放せないから、『申し訳ないけど、今取り込み中なので急ぎでなければもう少ししてからお願い出来ますか?』って、言ってくれない?」

 実際今取り込み中だ。住まわせてもらっておいてその態度は何だと叱られそうなものだが、何事にも優先順位というものがある。それに関してはアズウも譲れないものがあった。幸い、シエラが素直に「はい」と聞き入れて対応してくれたお陰で、アズウは何事もなく直し終えることが出来た。

 それと同時に正午を知らせる鐘の音が村中に響き渡った。

「ま、間に合った……」と、アズウがホッとすると、

「そうでもなかったわよ」

 と、シエラが苦笑いを浮かべて報告しに来た。

「どういうこと?」と、テーブルに伸びた状態で、顔だけシエラに向けて尋ねれば、

「さっきの来客が、多分その玩具の修理の依頼人よ?」

「えっ」

 恐れていたことを告げられて、アズウはバネ仕掛けのように飛び起き、青褪めた。

「だからね、もしかしたらと思ったから、「もう少し待っててくれたら、修理も終わるから中に入って待ってる?」って、聞いたの。だけど、その子たち、私の顔を見たら物凄く驚いて慌てて帰って行っちゃったの。やっぱり、引き止めておいた方が良かったわよね?」

 と、シエラが落ち込んだなら、

「いや、シエラのせいじゃないよ」

 少しばかりアズウは冷静さを取り戻した。

「帰っちゃったなら仕方がないよ。きっと、扉が開いたら僕じゃなくて、自分の知らない君が出て来たから驚いただけだと思うから」

「そうかしら?」

「そうだよ。だから君が落ち込む必要はないよ? 問題は、僕が約束を破ってしまったこと。お詫びにもう一つ何か作っておこうかな? 何がいいかな?」

 と、考え出す。本当に悪いことをしてしまったと思った。それというのも全て部屋を散らかしていた所為だと思うと、それまでの自分自身が恨めしく思えて来る。初めからきちんと片付けられていて、どこに何があるのか明らかに分かる状況が整っていれば、もっと早い段階で修理品があったことを思い出せたのだ。だが、荷物に埋もれていたり、大移動したり、しなければならないものが文字通り山積みになっていたなら、目先にだけ捕らわれて失念していた。

 ほんと、僕って男は調合以外のことはまるっきり抜けてしまって役に立たない人間だ。

 アズウはガックリと項垂れた。早く片付けようと思った。


「よし。大体片付いて来たぞ」

「本当ね。お昼からいきなりやる気を見せだしたものね」

「当然だよ。これ以上自分に落ち込みたくないもの」

「そうねぇ」

 心の底からのアズウの叫びに、シエラは小さく笑って返す。

 子供たちをある意味門前払いしてしまったアズウは、見違えるほどテキパキと片付けを行った。お陰で鐘が四つ鳴る前にはあらかた片付き、後は細々としたものを収納するだけとなっていた。だが、気がかりはあった。

「それにしても、子供たち遅いな。もうそろそろ来てもいい頃なのに。やっぱり怒っちゃったのかな? 直接返しに行った方がいいかな?」

 そうなのだ。シエラと遭遇して驚いて帰ってしまった後、子供たちがやって来なかったのだ。

「大丈夫よ。今に来るわよ。きっと違う遊びに夢中になって忘れてるだけよ」

 と、シエラが慰めてくれるものの、アズウは気落ちしたまま立ち直れなかった。

 早く来てくれればいいのに。謝るにも謝れないじゃないか……。

 と、思っていると、まるで誰かが聞きつけたかのように、コンコンと遠慮がちに扉が叩かれた。

「来た!」

 子供のように顔を輝かせてアズウが扉を開けに走る。ノブを掴む。開ける。

「遅くなってごめ……っ?!」

 と、相手をろくに確認もせずに謝ったなら、最後まで言い切ることなく、アズウは目を剥(む)いて言葉を飲み込んだ。確かに、扉の前には修理を頼んだ兄弟がいる。が、問題はその後ろにずらりと控えるギャラリーたちだ。しかも、その顔がどれも疑わしそうか、期待に満ちた顔だったりした日には、一体何事かと思う。

 自分は何もしていない! と、声にならない声で訴える。

 そして、恐る恐る「何事ですか?」と、訊ねたなら、半円を描くように集まった村人のうちの一人が、好奇心に彩られた顔をアズウに近づけて尋ねた。

「いや、あの子らが、あんたんとこに見知らぬ女の人がいる! って、興奮気味に話してたもんだから見に来てみたんだが……本当か?」

「え?」

 それは、思ってもみない質問だった。本当かどうかと訊ねられたら答えは決まっていた。

「どうしたの? アズウ」

 戸口で硬直していたのを訝しんだかのように噂のシエラが声を掛けたなら、

『おおおおっ。本当だ』

 村人たちは一斉に驚きの声を上げた。その様にアズウとシエラの方が驚き、思わず身を竦ませる。が、好奇心に支配された村人たちにしてみれば格好の獲物だった。

「おい、アズウ。一体どこで引っ掛けて来たんだ? こんなもったいない美人」

「水臭いじゃないか、アズウ。何で俺たちに紹介しなかった?」

「いつから一緒に暮らしてるんだ?」

「馴れ初めは何だ?」

 次から次へと、答える暇もなく矢継ぎ早に質問が投げ掛けられる。

 何故自分がこれほどまでに質問されるのか分からなかった。分からなかったが、

「結婚式はいつやるんだ?」

 などという、冷やかしなのか本気で心配してなのか分からない質問が飛んで来たなら、一気にアズウは顔から火を噴いた。

「け、け、結婚だなんて、何言ってるんですか! そんなんじゃないですよ。彼女は暫く家にいるだけです!」

「ほーぉ」

「だから、そんな意味ありげな答えしないで下さいよ! 皆さんが考えているようなことはありませんから!」

「本当かぁ」

「本当ですよ! 嘘ついてどうするんですか。僕と彼女が結婚だなんてそんな」

「でも、お前さん顔が真っ赤だぞ」

「皆さんがからかうからです!」

 思わず怒鳴るも、顔が笑っていることを自覚する。それを誤魔化すように、アズウは状況が良く分かっていないながらもニコニコしている兄弟に向かって、

「はい。とりあえずこれ直しておいたから」

 と言って、直した玩具を渡した。すると、「ありがとう」と素直にお礼の言葉を返す二人。

 それに引き攣った笑みを返したなら、

「じゃ、これで、ちょっと今、家の大掃除の真っ最中なので失礼します!」

 アズウは半ば強引に扉を閉めてしまった。そうでもしなければ家の中まで押し入られそうな気がしたのだ。が、万が一押し入って来ないように背中で押さえた扉越しに、賑やかな村人たちのブーイングを聞いたなら、とにかくアズウは混乱していた。

 未だかつて、これほどまでに好奇心を向けられたことはなかった。しかも、別に付き合っているわけでもないのに、いきなり結婚の話まで出された日には、完全にパニックになってしまった。

 け、結婚だなんて、そんな。僕とシエラがそんなこと。あるわけないじゃないか。

 大体、僕たちは昨日の夜出逢ったばっかりなんだぞ? お互いのことだって良く知り合っていないし。第一、結婚は両者の合意が必要であって、シエラに選ぶ権利があるんだから。って、そうじゃなくて、選ぶとかどうとかじゃなくて、え? 何でこんな騒ぎになってるんだ? 落ち着けアズウ。まず落ち着いて誤解を解かなくちゃ。いや、その前に謝らなきゃ。あまりにいきなりのことで僕だって驚いたんだ。シエラはもっと驚いたかもしれない…………………………………。

 と考えて、アズウはハッと気が付いた。

 僕が聞いていたということは、勿論傍にいたシエラにも聞こえたわけで、つまり、シエラも結婚するのか? って質問を聞いたわけで…………うわっ。

 アズウは芯から恥ずかしさのあまり赤くなって行くのが分かった。体が火照(ほて)った。そして何故か、何か言わないといけないと思い込み、反射的に言葉を紡ぐ始末。

「し、シエラ? あ、あの。ご、ごめんね。何だか大騒ぎになっちゃって。でも、気にしないで。皆面白がって言ってるだけだから」

 とは言うものの、恥ずかしくてまともにシエラの顔を見られないアズウ。

 シエラとの結婚。

 勿論村人たちが冷やかしで言っているというのは分かっているが、言われた瞬間、思わずシエラとの新婚生活を連想してしまったアズウにしてみれば、若干後ろめたさがあった。シエラが自分のことをどう思っているかも知らないうちに、勝手に妻の役をやらせたとあっては、不愉快な気分になるかもしれないと思った。

 故に、本当ならばきちんと謝らなければならないと思うのだが、慣れない種類の冷やかしに、アズウは完全に冷静さを失っていた。出来ることなら穴の中にでも隠れて嵐が過ぎ去るのを待ちたいと切に願うのだが、あいにく、アズウの願いは聞き入れられることもなく、それから暫く大騒ぎが続いた。

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