(2)
自分でも信じられないことだったが、調合用に広めに作った割には実際狭いと感じていた部屋の中に入っていた量は、とんでもなく多かった。それはせっかく片付けた家の中でも、もっとも広い居間の床を全て占拠してしまうほどだった。
「……何て言うか、よくもここまで一つの部屋に溜め込んだものね………」
自分で言い出して置きながら、実際目の当たりにした機材や材料、書物や資料などを見て、シエラ自身も感心したような、呆れたような声を漏らした。
一応荷物は、テーブルの上に各種機材。床には資料系。書物系。箱に入っているもの。薬品関係、布など、大雑把にまとめて置かれていた。これから本当に必要なものと、そうでないものを振り分けていくのだ。
「さて、眺めていても仕方がないから、分かりやすいところからやりましょう」
「そうだね」
こうなってはもうアズウはシエラに任せることに決めてしまった。自分より明らかに専門家の人間の言うことに逆らってはいけない。
「じゃあ、手始めにそこの書物たちだけど……あれはきっと全部必要なのよね?」
「そうだね」
ざっと椅子の高さほどに六列に積まれた書物について訊ねられ、即答するアズウ。
こればかりは何があっても捨てるわけにはいかない物ばかりだった。捨ててしまったら最後、調合の成功率が格段に落ちる。頻繁に調合するものに関しては覚えているが、アレンジ調合をするときなどは参考にしなければならないことが多過ぎて、滅多にやらないこともあって必要不可欠だった。それに、きちんと焼却処分するのでない限り危険な情報も載っているため無闇に人任せで捨てられない。
「じゃあ、当然のことながらこの機材たちも捨てられないのよね?」
「そうだね」
「この長いガラス棒や、木の細い棒も、針金も?」
「そう。作るものによってはかき混ぜる道具一つで失敗したりするからね」
「ふーん」
とは言うものの、シエラの顔には何でこんなものが? という疑問が浮かんだまま消えなかった。それも仕方がないよな。と思いながら、とりあえず書物から運び込むことにするアズウ。その後ろを付いて来ながらシエラは言った。
「私が次々に持って来るから、あなたはそれを自分で判り易いように本棚に並べて行くのよ? いい? 平積みしてるより探し易いはずだから」
「うん。分かったよ」
アズウは素直に頷いて、右の壁の机寄りにある空っぽになった戸棚に、上から順に並べ始める。頻繁に読むもの。あまり開くことのないもの。薬関係がまとめてあるもの、爆薬・兵器関係が書かれてあるもの。そうかと思えば、アクセサリーや化粧品のことがまとめられたものなど、懐かしいものから馴染みの物まで、一つ一つ丁寧に並べて行く。
普段はぞんざいな扱いをしてしまうけど、でも、やっぱりとっても大切な物たちなんだよな。
並べながら、アズウはしみじみと思った。一冊一冊に良くも悪くも思い出があった。
そうやってアズウが懐かしんでいるのを察したのか、シエラは声を掛けて急かすこともせず、ただせっせと書物や資料を置いて行った。その小さな心遣いが、アズウは嬉しかった。
「綴(と)じられていない資料なんかはこの箱に入れるといいわよ。さっきちょうど良さそうなの見つけたから」
と、何度目かの往復のときシエラがアドバイスをしてくれる。言われるがままに、入れてみたなら、測ったかのようにピッタリな大きさだった。
自分の家の中の物でありながら、何故今まで気が付かなかったのか、我ながら理解に苦しむアズウ。調合では応用が利くのに、日常生活で利かない自分が不思議でたまらない。
そう思っていると、シエラが遠慮がちに問い掛けて来た。
「ねぇ、アズウ。ちょっといいかしら?」
「なんだい?」
と、アズウが戸口から顔だけ出して問い掛け返せば、
「この枯れた何だか分からない干物みたいのや、箱に入った消し炭みたいなのはもう捨ててもいいのかしら?」
若干嫌悪感を表した表情で問い掛けて来る。
本当ならさっさと捨ててもいいよ。と言ってやりたいところだが、生憎とそれらも調合する材料の一つであり、そうそう簡単に手に入れることの出来ない部類に入るものだった。故に、
「ごめん。それはそれで貴重な物なんだ」
と、申し訳なく思いながらアズウが答えると、
「そう。なら仕方がないけど……」
と、腑に落ちない様子でシエラが箱の中にそれらを戻す様を見る。
ま、それも仕方がないことだとアズウは思った。普通の人にしていればゴミやガラクタにしか見えないものが、錬金術師の間では高値で取引されたりするのだから、価値観の違いはどうしようもない。どちらかが折れるしかないのだ。幸いシエラは自分の方が折れてくれたために、貴重な材料が減ることはなかった。
それでも、理解不能なものは後から後から出て来た。宝石とは違う赤い石。道端に転がっていそうな石。乾燥しきった枯葉。何にも使えそうにない黄土色の板。しかもそれらが少量というよりは、明らかに使用目的で集められたと言わんばかりの量だったりした日には、気付かずに捨てるということも出来ず、シエラは一つ一つ確認し、その一つ一つを必要だ。とアズウは答えて行った。やがて、今更のように疑問を口にするシエラの声が、書物を片付けているアズウの耳に届いた。
「……ねぇ、アズウ。今更で何なんだけど……」
「なんだい?」
「あなたの仕事って何なの?」
その問い掛けに、アズウは至極当然のように答えた。
「あれ? 言ってなかったっけ? 僕は……錬金術師だよ」
「え?」
その一言に、シエラが警戒にも似た動揺を込めたことを、アズウは聞き逃さなかった。
その瞬間まで流れていた穏やかで楽しげな空気は消え去り、変わりにピンと張り詰めた緊張感が張り巡らされた。
やっぱり、占い師と似た扱いを受けていたと言っても、錬金術師は普通に受け入れられるものじゃないんだね……
アズウは気にした素振りを態と見せないまま、作業を続けた。
「別に隠していたわけじゃないんだよ?」
嫌われたかもしれないなぁ……と思いながら、だが、どうせいつかは知られてしまうことだからと覚悟を決めて続ける。
「僕が錬金術師であることを言わずに君のことを誘ったのは悪かったと思ってる。でもね、別に隠そうと思って言わなかったわけじゃないんだ。単純に忘れていたんだ。
昨日はとにかく、君が死のうとするのを何とか思い止まらせなきゃいけない。ってことだけが頭を占めてて、それで忘れていたんだ」
何を言っても遅いのかもしれないと思いながら、アズウは書物を片付ける手を止めることなく続けた。
「ほら、僕たち錬金術師を称する人間たちも、普通の人間や教会に属している人たちにしてみれば十分異質な存在だからね。そんな人間に憧れと同時に恐怖を覚えるのも仕方がないのかもしれないけど、錬金術師の間にも『魔女狩り』のようなものはあったんだ。それはやっぱり今も続いていて、場所によっては酷い扱いを受けるし、誤解や偏見が多かったりもする。僕はそれでとても優しかった師匠を失ったしね。別に錬金術師の皆が皆、真人間だとは言わないけれど、錬金術を普通の生活に役立てようと、純粋に研究を続けていた人たちもいた。勿論今もいるんだけど、でも、一緒にいることで不愉快だと思うのなら、君は自分の意志に従って他のところへ行ってくれても構わないんだよ。ただ、死のうとしない限りはだけど」
どこかでアズウは期待していた。自分と似た境遇のシエラなら偏見もなく受け入れてくれるのではないかと。だから、動揺された瞬間、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。
「幸い僕はここの人たちに受け入れてもらえることが出来た。僕は錬金術で薬も作ることが出来るから、半ば薬師として置いてもらってるんだけど、それなりに信用も得ることが出来た。だから君も、占い師としてではなく、悩んでいる人たちの話を聞いて、こっそり占った結果を元に解決法を教えてあげる相談役とかしてその場その場に受け入れてもらっていけば信用を勝ち取ることが出来ると思うよ?
僕にだって出来たんだ。君ならきっと出来るよ。だって君は僕よりずっと要領がいいし、気が付くし、手際がいいし、何よりすごく綺麗だし。
知ってる? 男はね、美人さんに弱いんだよ? で、女の人はね、色々相談に乗ってくれてアドバイスしてくれる人が好きなんだよ? だから君なら出来るはずなんだよ」
言いながら、「また、一人になるんだなぁ……」と、アズウは思った。
「後は僕一人でも片付けられるから安心して。元々いつもは僕一人で片付けているわけだし。出逢ってまだ一日も経っていないけど、とても楽しかったし嬉しかった。本当にありがとう」
本当は引き止めたかったが、自分が占い師であることで散々嫌な目に遭って来たというのに、その上更に錬金術師である自分といて、万が一あらぬ噂を立てられたなら、それこそ生半可な言い訳など通じない状況になるかもしれない。そんな危険を冒してまで一緒にいたいなど思うわけがないと、アズウは判断した。だから、別れの意味を込めて感謝の言葉を述べたのだが、
「いい加減にして!」
「!!」
いきなり真横から上がった怒りの声に驚いて、弾かれたように顔を向けると、肩を怒らせ激怒しているようなシエラがそこにいた。
まさか、自分の真横まで来て怒鳴って来るとは思いもしなかったアズウは、仕舞おうと思っていた本を胸に抱き、半ば硬直してシエラの言葉を聞く羽目になった。
「あのね、さっきから黙って聞いてれば何淡々と勝手なこと言ってんのよ!」
「え?」
「いつ私が錬金術師を軽蔑してるって言った? いつ私が、錬金術師であることを隠していたなんて酷い! って責めた? 私はただ驚きを口にしただけよ?」
「だって……普通は」
と、アズウが動揺を正当化しようと口を開き掛ければ、
「私は普通じゃないの!」
シエラは一言の下に切って捨てた。その上指を突きつけ、
「いい? 私を拾ったのはあなたなのよ? 私が死のうとしていたのを邪魔したのはあなたなの。あなたが自分を信じて手伝いに来てと言ったから、私はここに来たの。それを今更何? たかが錬金術師であることを知られただけで私を追い出すって言うのはどういうこと? 私はあなたの言葉を信じてここに来たのであって、あなたが錬金術師じゃないから来たわけじゃないわ」
「……じゃあ……」
「いるに決まってるでしょ?」
腰に手を当て、上から睨みつけるようにつっけんどんに言って来るシエラ。
だが、言い方などはこの際問題ではなかった。
自分は聞き間違いでもしているのだろうか? とアズウは思った。
自分が錬金術師であることを隠していたことで信用を失って、騙していたと思われて出て行かれるとばかり思っていたのに、シエラは出て行かないと断言した。
「大体ね、相談役になれば良いとかって簡単に言ってくれるけど、そもそもその相談役って言うのは先に信用がないと出来ないものでしょ? 信用出来るかどうか分からない人間相手に普通の人は相談なんて持ち掛けて来ません。信用を得る前に私が飢え死にするわ。
そもそも、私を無理やりこの世に縛り付けたあなたに私を追い出す権利はありません。むしろ、あなたは私を置いておかなければならない義務があります。よって、私は出て行きません」
と、一気に言い切ると、次の瞬間には、
「……だから、まだ一日も経っていないのに、『ありがとう』なんて別れの言葉は言わないで。私を、独りにしないで……」
その、消え入りそうな声の願いを聞いて、アズウはシエラが怯えていることに気が付いた。俯いている所為で表情は見えないが、その肩が、小さく小刻みに震えていた。
それまでの強い口調も態度も、全てこの弱い心を守るための鎧だったのかと思った。
シエラがいてくれる。自分がシエラに頼られてる。そのことが嬉しくて、
「ありがとう、シエラ。君がここにいてくれて嬉しいよ」
アズウは本心を口にした。シエラは泣き出しそうな笑顔を向けると、
「当たり前よ」
と呟いた。
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