(2)
「助けて!」と、悲鳴を上げてその女がシエラの部屋に駆け込んで来たのは、占ってから三日後のこと。突然どうしたのかと尋ねれば、婚約を破棄されたもう一人の相手が怒り狂って自分を殺しに来たのだと言う。
その凶行に、シエラ自身も蒼褪めた。自分の占いが、まさかそんな恐ろしい結末を引き起こすとは思ってもみなかった。
シエラの部屋の扉は、今にも壊されんばかりに叩かれていた。青白くなって震えているその女と共に部屋の隅に行って抱き締め合っていると、ついに扉が壊され、怒り狂った男が一人、包丁片手に入って来た。
「落ち着きましょう」
とシエラは言ったが、男に聞く耳はなかった。怒鳴り散らし、テーブルや椅子を乱暴に脇に除け、障害物を撤去すると、恨み言を言いながらゆっくりと二人に近づいて来た。
シエラは何とかしなければと思った。占いの結果を伝えるとき、相手のことをもっと考え、注意を促さなければならなかったのにも関わらず、普通に占いが出来ることに浮かれて失念していた自分が招いた結果なのだ。
シエラは男と女の間に入って、何とか落ち着かせようと説得を試みた。そのとき、興奮していた男に刺された。鈍痛の後の激痛に、シエラが呻いて倒れれば、男は我に返ったかのように見る見る蒼褪めて行くと逃げ出し、女はシエラの後ろで悲鳴を上げた。
泣きながら謝って来るその女に、シエラは苦痛に歪む表情を何とか笑みの形にして「大丈夫」と伝えた。そして、女の見ている前で、自分で包丁を抜いて見せた。苦鳴が漏れた。鮮血が吹き出し、女が更に蒼褪めるが、シエラは破れた衣服をめくって女に見せながら言った。
「大丈夫。私は大丈夫なの。ほら。もう傷が塞がっている。だから気にしないで」
そう言うと女は、「何を言っているの?」という顔をした。
だからシエラは見やすいように血に汚れた腹部を拭って見せた。
女は驚きに眼を見開いた。
これで安心してくれる。
シエラはそう思った。だが、違った。
「な、何で?」
問い掛けの声が掠れていた。見れば、女は恐怖に引き攣った顔でシエラを見返していた。
嫌な予感がした。女が少しずつ後ずさって行く。
「あなた、何なの? 何で刺されたのに傷がないの?」
その問い掛けに、シエラには答える言葉がなかった。だが、何かを言わなければならないと思い、口を開いた。逃げて欲しくないから手を伸ばしたが、女はその手から逃げるように身を引くと、
「来ないで!」
拒絶の言葉を吐き捨てて逃げ出した。
その日から、シエラに近づく人間はいなくなった。
どうして? と思った。自分は体を張って助けたのに、どうしてこんな目に遭っているのか理解出来なかった。
自分が裏切られたのだということを信じたくはなかった。だが、嫌でも信じさせられた。それは、死ぬよりも辛いことだった。嫌なことだった。
そのうち、中傷や陰口が囁かれ始めた。商品を売ってもらえず、石が飛んで来た。
もう、ここにはいられない。
シエラは悔しさと悲しさに打ちひしがれながら村を出た。
それからシエラは何度も何度も住む場所を変えた。よせばいいのにと何度思ったか分らない。占いなんて止めてしまえばいいのに。と、何度道具を捨てようと思ったか分らない。
だが、シエラは占いを止められなかった。占いを止めてしまえば、ただの人間として受け入れてくれた唯一の人である師匠との絆が消え失せてしまうような気がしてならなかったからだ。
自分は占い師として生きて来た。自分の占いで人々を幸せにしたいと願っていた。その思いは今も変わらない。だが、その占いの所為で、シエラは人々に罵られ、疎まれ、時には追われた。
信じた人には裏切られ、自分の身に起こっていることは理解出来ず、信じられるものが一つもないままに生きて来た。
誰も自分を受け入れてくれないのだと思うと悲しかった。自分が何のために存在しているのか分らなかった。それ故に、どこかにきっと自分の何もかもを受け入れてくれる人が現れるのではないかと希望を持って生きて来た。
そんな人間に出逢うことだけを目的に様々な場所を彷徨った。
そして、そんなものはどこにもいないと言うことを、今更のように理解した。
先日のことだった。その村に来て、自分にとても親切にしてくれていた男が死んだ。本来はその男の母親が死ぬはずだったのだが、事前にそのことをシエラから聞かされていた男が母親を庇ったお陰で命を絶ったのだ。
そのことを知った母親はシエラを罵った。周囲の人々も次々と罵声を浴びせた。
母親には絶対に許さないと言われ、「黙ってさえいてくれれば息子は死なずに済んだのに、あなたが余計なことを言ったから息子は死んだ! あなたが殺したのよ!」と、泣き叫ばれた。
その瞬間、何もかもがどうでもよくなった。占いを止めようと思い、人間に期待することがどれだけ無意味なことかと理解した。占いは人の運命を決めるものではない。決められている運命を読み解き伝えるものだ。それなのに、まるでシエラが決めているかのように責められても、シエラにどうこう出来るものではない。だからと言って弁解しようにも聞く耳を持っている人間はいない。
自分を理解してくれる人間はどこにもいない。
そう思った瞬間、それまでの緊張の糸がぷっつりと途切れた。疲れと虚しさだけがどっと押し寄せ、希望も期待も消え失せた。
だからシエラは村を出た。道を外れて森の中へ入った。日が暮れた。森の中を流れる川に出た。見上げた先に月が見えた。
自分以外に誰もいない。
そのことが堪らなく悲しくて、自分が憐れで、涙が溢れた。
いっそ、自分が普通の人間で、あのとき火焙りになって死んでいたら、こんな思いをすることもなかったのに! と、悔しさが込み上げて来た。
自分がこんな異質な存在だから誰も受け入れてくれなかったんだ!
死なない自分が憎かった。
楽しそうに笑い合っている人たちを見ると、平気な反面羨ましかった。自分と相手の何が違うのか考えた。何も違わないと思った。せいぜい占いが出来るか死なないぐらいだろう。占いなんてものは簡単なものだったら子供にも出来る。だとしたら、自分が異質だと判断される材料は死なないことだけ! その所為で自分は普通の生活から拒まれている。
だとしたら、それは自分の所為ではないとシエラは思った。
自分が望んで不老不死になったわけではない。気が付いたらそうだったのだ。
むしろシエラこそが被害者だった。
もしも自分が普通の人間のように死ねたとしたら、人は普通に悲しんでくれるのだろうか? 泣いてくれるのだろうか? 惜しんでくれるのだろうか?
もしも死ぬことで自分が周囲に受け入れられるのだとしたら………
私でも死ねるということを見せ付ければいい!
その瞬間、シエラの心に暗い光が灯った。
死にたい。死なせて欲しい。死ななければならない。
シエラは未だかつてないほど冷静に、切実に願った。刺したところで死ななくても、死ぬまで何度でも刺してやる。死なないことにも限界はあるはずだ。シエラはそう思った。それが唯一自分を救う光なのだ。それに縋るしか方法はないのだ。
だからシエラは護身用に腰につけていた短刀を取り出した。
掲げた。月の光が刀身を包み、淡く輝いていた。何だかそれが、女王が手助けしてくれているように見えて、シエラは一つの希望を抱いた。
死なせてくれるかもしれない。死ねるかもしれない。小さな喜びが胸の奥に広がった。
これで還ることが出来るかもしれない!
そしてシエラが、勢い良く短刀を自分に向けて下ろそうとした瞬間、
「そこで何をしているの?」
自分の行動を制止させるかのような張り詰めた声が掛けられた……。
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