呪われた占い師と心優しき錬金術師

橘紫綺

呪われた占い師と心優しき錬金術師

第1話『彷徨った先に出会う者』

(1)

 水面には満月が落ちていた。

 満月。


 シエラはヴェールを取って、天を仰いだ。皓々と光る満月がそこにあった。雲ひとつなく晴れ渡った空に浮かぶ無数の星々に囲まれた夜の女王がそこにいた。

 静かだった。まるで自分以外何者も存在していないかのように静かだった。

 夜よりも暗い森の影が対岸に広がり、川面は月光に煌き、空気はどこまでも澄み渡っていた。


 誰もいない――


 そのことが急に胸に沸き起こり、シエラの眼から大量の涙が溢れた。悲しみが溢れた。自分が独りだということが堪らなく悲しかった。

 誰も私の苦しみや悲しみを理解してはくれない。助けて欲しくて縋るのに、誰も助けてはくれない。手を伸ばすのに、取ってはくれない。

 あたかも自分が、たった独り地上に落とされ、空に帰れなくなった迷子の星のように、シエラは必死に訴えた。助けて欲しいと。一緒にいさせて欲しいと。


 だが、仲間も女王も何もしてはくれない。

 そこには大きな壁があるから。人という壁があるから。人は自分の理解出来ない者を拒絶する。だからいつまでも受け入れてはもらえない。助けてはもらえない。

 ………そう。誰も助けてはくれない。だって、私自身が異様なものだから。等しく必ず訪れるはずの死が訪れないから。私が異質だから、だから誰も助けてはくれない。


 そう。シエラはけして死ぬことのない体を持っていた。不老不死だった。

 自分が死なない人間なのだと言うことに気が付いたのは、既に三十年以上も前のことになる。降って沸いた天災のように、突然やって来た『魔女狩り』。シエラが十六歳を迎えた年だった。

 シエラは巷でも評判の占い師だった。その日もいつもの場所でいつものように人々に請われて占いをしていると、突然異端審問局の人間がやって来て、シエラは捕らえられた。


「人を惑わす悪魔の手先。そんなものの言葉を聴く必要はない」


 そう言われて、シエラは何が何だか分らないままに、問答無用で処刑台に連れて行かれた。そこにはシエラと同じような年齢の女たちが、シエラと同じように状況を理解出来ないまま柱に縛り付けられて泣き叫び、命乞いをしていた。

 何が起きたのか分らなかったが、自分が今から火焙ひあぶりにされると言うことだけは、嫌でも理解出来た。分かりたくもないことだった。

 恐ろしいことだった。生きながらに焼かれる恐怖は、気が狂うほどのものだった。

 まさか、こんな死に方をするとは思わなかった。死にたくはなかった。だからシエラは叫んでいた。

「お慈悲を! どうかお慈悲を! 私は何もしていません! 神に誓って本当です!」

 柱に縛り付けられている誰もがそう叫んでいた。

 高台に設けられた柱に縛り付けられた。

 騒ぎを聞きつけた人間たちの姿が見えた。

 野次馬として詰め寄った人々の中には、泣き叫んで誰かの名前を呼んでいる者もいた。恐ろしそうな表情をしているものもいた。居たたまれなさそうに眼を伏せ、顔を逸らすものもいた。冷静に、冷たい眼差しで見つめる人間も、何も知らず、笑っている者もいた。

 様々な人がいた。だが、誰一人として柵を乗り越えて助けに来てくれる人はいなかった。

 そしてそのまま、シエラたちは火を点けられ、絶叫が空気を震わせた。


 シエラには何が何だか分らなかった。何故自分が焼かれるのか分らなかった。自分は占いをしていただけだ。それが何故悪魔の手先になるのか分らなかった。火の爆)ぜる音が聞こえた。悲鳴が聞こえた。服や髪が燃え出し、熱さと痛さと恐怖に泣き叫び、肉の焼ける嫌な臭いに絶叫したーことすら、恐慌状態に陥っているシエラには自覚出来ていなかった。


 次にシエラがハッキリと認識したものは、静寂だった。

 ああ、自分は死んでしまったのだな。と、思った。

 そう思ってから、死んでからも意識はあるのだと思った。直後シエラは風の冷たさを感じ、身を縮ませて、自らを抱いた。そして気が付いた。自分が衣服を何も身に付けていないことに。

 何故?! と思い、驚いて眼を開けると、シエラは自分が大量の灰の中にいることに気が付いた。刹那、いきなり現実に引き戻されるかのように、自分の身に起こったことを思い出した。そして思う。

 何故自分は生きているの?

 自分で触って分っていた。自分の肌に火傷の一つ、切り傷の一つすらないと言うことは。

 だが、シエラは自分が死んだと言うことを確信していた。自分が焼かれて行く身の毛もよだつほどのおぞましい記憶もきちんとある。吐き気を催す臭いもかいだ。だからこそ生きていることが理解出来なかった。

 月光に照らされた夜の街の風景がそこにあった。その中で、自分だけが異質だった。

 少し前までは当たり前のこと。だが、死んだはずの自分にとっては異質なことだった。

 つねってみたら痛かった。痛覚があると言うことはおそらく死んではいないことだと思い、それなら火焙りになった事実はどこへ行ったのかと混乱に陥っていると、


「うわあああっ!」


 悲鳴が上がった。反射的にそちらをみれば、顔を青ざめさせた兵士らしき人間と目が合った。下っ端の兵なのだろう。ランプを掲げて、灰の中に座り込んでいるシエラを照らし震えていた。


「ば、化け物……」


 擦れた声で紡がれた単語を聞いた瞬間、シエラは灰の中から飛び出し、その場を逃げ出した。次に捕まれば、今度こそ確実に殺されるのだと思った。


 気が付くと、シエラは教会に保護されていた。布を纏って植え込みの影に倒れていたのを保護されたのだと説明され、自分が気絶していたことを知る。教会では手厚く保護されたが、自分が何故そんな状態であったのかと尋ねられても、それだけは答えられなかった。火焙りにされたはずなのに生きていた。などと言っては、それこそ魔女扱いされかねない。

 だからシエラは食事を得て、服を貰ったなら、隙を見て逃げるように出て行った。

 とにかく街から出たかった。街の中にはシエラの顔を知っている者も沢山いる。シエラが連れて行かれて火焙りにされたことを知っている者も沢山いるし、実際見た人間もいるだろう。だとしたら、そんな自分が普通に街にいたら矛盾してしまう。見つかれば捕まる。見つかれば今度こそ終わりだ。

 だが、どうしてもシエラは一度家に戻る必要があった。出て行くなら持って行きたい物があった。顔を隠して、足早に家路を辿り、幸い想定していた見張りもないことを確認し、人通りが途切れた頃を見計らって占いの道具と資金を持ち出した。

 街の近くは不安だったので、自分の行ったことのない場所を目指してシエラは歩いた。極力人と眼を合わせないように、俯いたまま歩いていた。自分を知っている人間に会うのだけが怖かった。

 それから一年が過ぎる頃。シエラはある小さな町の宿屋で、住み込みで働いていた。そこである日、近々反乱が起こるらしいと言う噂話を聞いた。

 だとしても、自分にはどうせ関係のないこと。と、特に気にも留めていなかったが、それがシエラ自身にも関係していると知ったなら、シエラは噂話をしている人間たちの間に割って入って問いただした。

 その反乱は、この一年で無意味に家族や大切な相手を『魔女狩り』で奪われた者たちで起こされると言う話だった。そもそもその魔女狩りは、領主がとある占い師に自分の破滅を言われたことに腹を立てたのが原因で引き起こされたらしと知ったなら、シエラの中で怒りの炎が燃え広がった。


 そんな下らないことで私は殺されたのか!


 その怒りは自らも反乱に加わる決心すら引き起こした。

 領主の兵と、異端審問局。義勇兵と市民。それに同調した他の土地の領主たちの兵。それらの争いはとても大きなものとなった。その中で、やはりシエラは二度死に、二度生き返った。一度目は斬られ、二度目は逃げる途中、崖から川に落ちて。斬られた痛さも、息の出来ない苦しさも味わったが、結局シエラは生き返った。嫌でも理解させられた。自分が死なない人間になったのだと言うことを。

 自分でも思った。だったら自分は何者なのかと。

 自分の身に起こっていることが軽く常識を超えているため、自分自身が恐ろしくてならなかった。

 その後シエラは別の村で反乱の結果を聞いた。反乱軍が勝利を収め、「革命」と言われるようになり、占い師や呪い師が再び太陽の下に堂々と出て行ける権利を勝ち得たと聞いたなら、シエラは幾分かホッとした。

 故に、親しくなった人に悩みを打ち明けられたとき、シエラは占いをした。

 相手はシエラの占いの結果に喜んで、「二人のうちのどちらと婚約するべきか悩んでいたけれど、決めたわ」と、明るい表情を浮かべて「ありがとう」と言った。その言葉を向けられたことで、シエラはとても幸せな気持ちになった。

 自分が何者だろうとも構わない。自分の占いで誰かが幸せになるならそれでいいじゃない。とシエラは思った。

 このとき、ようやくシエラは晴れ晴れとした気持ちになったのだが、悲劇はすぐに起きた。


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