第2話『満月の夜の拾い物』

(1)

 本来ならばもう少し広いはずなのに、様々な物が様々なところに堆積たいせきしているため非常に狭くなったその部屋に、今触れられそうなほどの緊張感が張り詰めていた。

 散らかった部屋だった。入って真正面の壁には出窓。その真下には何かが煮詰められている中ぐらいの窯。それを煮詰めるために石で出来た竈があり、その横には書物や資料が積み重ねられ、物置台と化した小さな机が置かれていた。

 向かって左の壁にも小さな出窓。その下、竈の隣には防災用と思しき水瓶があり、その隣の背の低い棚には、上には各種書物や書類。四段に分かれた棚の内、上の二段にはフラスコやビーカー、乳鉢といった様々な実験器具が収まり、引き出しになっている三段四段目からは布や紙の切れ端が覗いていることから、中もさぞかし酷いことになっていると容易に想像がつく有様。

 その正面の壁には、壁一面の大きな棚が二つ。うち右の棚は縦横に十ずつ計百個の引き出しが付いており、引き出しそれぞれに名札が貼られ、中に何が入っているのか判るようになっていた。もう一方の左の棚はただ物が置かれるような状態で、中には様々な液体の入っている大小各種の小瓶や、色砂のようなもの。箱や袋。何に使うのか理解不能な器具らしきものや、宝石のようなものから骨のようなものまで、一応片付けているような部分と、とりあえず物を詰め込んだだけという状態の部分とで占拠されていた。

 そして中央のテーブルの上には、今まさに天秤やすり鉢、ランプなどの実験器具が各種の特色を生かし、ある一つの物を作り出すために利用され、所狭しと……本当に所狭しと並び、主に不満を漏らすことなく己の力を発揮していた。

 主はそこにいた。何を隠そう、緊張感の生みの親である彼は、それこそ息をすることを忘れるくらい全神経を右手の試験管に注いでいた。


 年の頃は二十歳前後。少し長めの赤い髪は前髪が目に掛からないように黄色の布地に緑や赤、黒などで模様の描かれたバンダナで押さえられている。真剣な表情で白い粉の入ったビーカーに、試験管の中のピンク色の液体を加えようとしているのを見詰めている瞳の色は赤。着ている物は首周りが広くなっている薄黄土色の麻で織られた半袖の服。その胸元には緑色の宝石のペンダント。黒いズボンにブーツ。深緑色のローブは腰の部分で左右の袖を交差させて止めることで下に落ちないようにして上の部分を垂らし、更にその上から小さな皮袋が沢山付いたベルトを下げた状態で、部屋の惨状を気にすることなく、自分の世界に没頭していた。


 後一滴。この一滴を加えられたら完成だ……。


 試験管を傾ける手が震えていた。試験管とビーカーが互い触れ合い、カチャカチャと小さな音を立てている。傾けられたピンク色の液体が、前進後退を繰り返しながら、一本の紐のように細くなり、入り口までやって来る。


 一滴……後一滴だけ。


 そして、今まさにその一滴がビーカーに落ちる! と言う瞬間だった。

『アズウ! いるぅーっ?!』

 盛大に玄関の扉が開く音と自分を呼ぶ大声が響き渡った。

 自分の世界に没頭していたアズウは、いきなり現実に戻されたショックで心臓が飛び出すかと思うほどに驚き、その拍子に、当然のことながら手元を狂わせた。

「しまっ……!」

 一滴では済まないほどの大量の液体がビーカーの中へと落ちたのを見た瞬間、アズウは血の気が引くのを感じた。同時に、ビーカーの粉末と液体が混ざり合ったところが発光。刹那、


 ドォオオン!!!!


 建物を震わせて盛大な爆発音が鳴り響いた。

『うわぁっ』

 アズウの家を訪れた男の子二人も、いきなりの爆発音と、部屋の中を駆け抜けて来た白煙に驚き、悲鳴を上げながら家を飛び出す。反射的に家から離れ、童話の中に出て来る火吹き竜が火を噴いた後のように、玄関から白煙を上げている家を見て、ドキドキと大きな音を立てている心臓に手を当てながら互いの顔を見る。

 驚いた。それはもう驚いた。いつもはアズウがニコニコしながら部屋の奥から出て来るのに、今日は想像すらしたことのないことが起きた。

「び、びっくりしたね、おにいちゃん」

 年の頃は五歳ぐらい。茶色のさらさらの髪をおかっぱにした、女の子のような整った顔の男の子が、七歳ぐらいの男の子に向かって同意を求める。

「そうだな。びっくりしたな」

 短い茶色の髪に、やんちゃ盛りの表情の兄が、胸の玩具おもちゃをギュッと握り締めながら同意する。二人とも目を真ん丸に見開いて、興奮したように顔を上気させていた。だが、いつまで経ってもアズウが出て来ないのを見て、段々と不安になって来た。


「おにいちゃん。アズウでてこないよ」

 弟の方が兄の服を引っ張って訴える。

「アズウだいじょうぶかな? しんじゃったのかな?」

「バカ。そんなことあるわけないだろ」

 と、泣き出しそうな弟を叱るものの、兄の方も不安は拭えなかった。むしろ、弟と同様に死んでしまったのではないかと思い、いきなり怖くなった。


「どうしようおにいちゃん。おかあさんにしらせにいかなくちゃ。アズウしんじゃったよ」

「バカ! なくな。アズウはしんでなんかないよ。だいじょうぶだよ」

「でも、アズウでてこないよ?」

「だいじょうぶだったら」

「なんでそんなことわかるの?」

「なんでって……」

 涙を堪えながらの問い掛けに、兄が一瞬言葉に詰まる。何故と言われても明確な根拠などなかったのだから仕方がない。だが、兄にも意地があった。何より、アズウが死んでしまったなどということを信じたくなかった。だから兄は言った。

「おれがいまからみてきてやる! だからおまえはここでまってろ」

「ええっ!」と、弟は驚き、兄の服を掴みながら、

「だめだよ。あぶないよ。おにいちゃんまでなにかあったらいやだよ。ぼく、ないちゃうよ?」

「だって、しかたないだろ」

「しかたなくないよ。ぼくアズウもすきだけど、おにいちゃんもすきだもん。いなくなったらやだもん。ずっといっしょだもん」

 そう言って再び泣き出す弟を見て、兄は困り果ててしまった。しっかり握った服から弟が手を離すとは思えないし、でも、アズウの安否は気になる。兄は逡巡した。そして、決断を下した。

「よし。いっしょにようすを見にいこう」

「え?」

 弟が泣き止んで、兄の顔を見上げれば、兄は意を決したような表情で力強く一度頷いて、

「何かあったらおにいちゃんがまもってやるから、ぜったいに手をはなしたらだめだぞ。やくそくできるか? できるならつれていってやる」

 その言葉に、弟は表情を明るくした。明るくして、袖で顔を擦って涙を拭くと、「うん」と元気に答えた。そんな弟の力強い頷きに勇気付けられ、兄弟は互いの手をしっかりと握ると、逃げた玄関へと近付いて行った。

 二人はとても緊張していた。いろんな意味でドキドキしていた。ほんの少しの距離なのに、途方もなく遠くに玄関があるような気がした。

 白煙は既にない。もう大丈夫。絶対大丈夫。アズウもきっと大丈夫。

 呪文のように二人で呟いて、玄関まで辿り着く。そっと中を窺う。静かだった。物音一つしないことが、急に二人の不安を膨らませた。

 嫌だ。と思った。思った瞬間、二人は呼んでいた。


「ァ、アズウ! アズウ! だいじょうぶか? いきてるか? いまそっちにいくぞ! たすけてやるぞ!」

「たすけてやるぞ!」

 兄に倣って、己を奮い立たせる弟。そんな兄弟が玄関先に足を踏み入れようとしたそのとき、

「ああ、大丈夫。大丈夫だから。ちょっとこっち散らかってて危ないからそこで待ってて」

 慌てた様子のアズウの声が部屋の奥からして来た。

 その元気そうな声を聞いたなら、二人は顔を見合わせて顔いっぱいに安堵の笑みを浮かべた。


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